「あ……あぁ……リオーネまで…………殿下、あなたのせいでリオーネがっ……!!」
リオーネが床から落ちていったのを見たヴェッポは、半狂乱に近い状態になり、私に掴みかかってきた。
私は彼がどんどん黒く染まっていくのを見ながら、胸ぐらを掴まれたまま違う場所を透視していた。
彼に責められる事などどうでもいい、とにかく彼女が無事でいるのかどうか、それだけしか頭になかったのだ。
きっとこの場にいる者たちには私がなぜか侍女を失ってショックを受け、呆然としているように見えているだろう。
リオーネ……落ちた先は地下通路…………ここは新しく出来たもののようだが、床に針山のような罠が仕掛けられてはいないようだ。
床に落ちて体を打ち付けた様子ではあるけれど、皆と話しているリオーネの姿が見えてくる。
良かった、無事だ……!!
私は心底安堵し、長い溜息が漏れてしまう。
「彼女が落ちていってしまったというのに!溜息なんて!」
「すまない、しかしあなたに付き合っている時間はないんだ。私は忙しい」
「な……っ!」
早くリオーネたちを助けなければ……そんな事を考えていると皇帝が立ち上がり、こちらにゆっくりと近付いてくる。
「アレクサンダー殿下、あなたが連れてきた侍女が一緒に落ちてしまった。大変心苦しく思っておる」
「いえ、心配には及びません。侍女は……」
「そうだな、侍女くらい一人いなくなったところで、どうという事はない。またこちらから、新たな侍女を献上いたそう」
そう言い放ったイデオンの顔はとても醜く歪み、人の命など何とも思っていない冷たい笑みを湛えていた。
私やヴェッポが動揺している姿を見てそのような事を言ってくるとは、何とも悪趣味だ。
アストリーシャ様のご両親を狂わせ、彼女を孤立させ、帝国の力が衰えるように仕向けた男の本性が垣間見えたような気がして、背筋が粟立つ。
お前だけは絶対に生かしてはおかない。
私は拳を握り締め、心の機微を悟られないよう笑みを絶やさずにイデオンと会話を続ける。
「侍女の一人や二人、どうという事はありません。お心遣い、痛み入ります。時間も勿体ないですし、我々も大事な話をするべきでしょう」
「ああ、そうだった!大事な話があるのだ……とりあえずそこのネズミを捕まえて牢にぶち込んでおけ」
「「は!」」
謁見の間にいた衛兵がヴェッポやドッゴールを捕縛し、彼らは何が起こったか分からずに引きずられながら連行されていく。
「ど、どういう事でしょうか、陛下!!なぜ我々が牢へ?!!」
ドッゴールがイデオンに向かって叫び、皇帝は虫けらを見るような目を向けて再度衛兵へ指示をした。
「この者達はギルドの者たちを裏切り、帝国……いや、余を裏切った罪で民の前で処刑される。それまで逃げられないように牢につないでおくのだ」
「な、なぜです!!私はあなた様の言う通りに動いていただけではありませんかぁぁぁ!!!」
ドッゴールは力の限り叫んでいたけれど、衛兵は力づくで彼らを引きずっていき、扉から消えると謁見の間に静けさが訪れたのだった。
ヴェッポは放心状態だったが、おそらく彼らは親方衆をここに呼ぶ為に利用されたのだろう。
甘い蜜を与えつつ、最初から彼らにギルドの者たちを裏切るように誘導し、罪を擦り付けるつもりだったのだ。
罪名など何とでもなる。
甘い蜜を享受し、上手く立ち回っていると思っていたドッゴールたちは、イデオンの手の平で転がされていただけ。
相変わらずやり方が卑劣で陰湿だな。
その事に呆れたように溜息を吐くと、こちらの顔色を伺いながら甘ったるい声をかけてくる。
「アレクサンダー殿下、このような事に巻き込んでしまい、大変申し訳なく思っている。早く落ち着いて話せる場所へ行こうか」
「ええ」
私は端的に返事をし、ねっとりと手を握ってくるイデオンから、するりと手を引っ込め、応接間へと移動したのだった。
彼が同性愛者だという事は頭に入っていたものの、実際に自分に絡んでくる姿を見ると対応に困るな。
ターゲットにされているようには見えないけれど、彼の恋愛対象が同性であるというのは意識しておかなくては。
「こちらへどうぞ」
イデオンに案内されるまま、応接間のソファへと腰をかける。
室内には私とラムゼン、そしてイデオンと側近であるミストレイス公爵のみとなった。
公爵はまだ皇帝に仕えていたのか。
ミストレイス公爵家は代々歴代の皇帝に仕えてきた忠臣……アストリーシャ様が亡くなり、次の皇帝に就いたイデオンに付き従うという事は、あくまで皇帝の血筋に忠実という事か。
「素晴らしい部屋ですね。まさに大事な話をするのに相応しい」
私が大げさに褒めると、イデオンは嬉しそうに頬を染めている。
見なかった事にしておこう。
それにしても見覚えのある部屋だ……ここはアストリーシャ様が他国の要人と大事な話をする時に使われていた部屋だという事を思い出し、懐かしさがこみ上げてくる。
今もその為に使われているのだな。
彼女の専属護衛騎士だった私は常にそばに控えていたので、大事な話も全て共に聞いていた。
生まれ変わり、まさか今度は交渉する側の人間として訪れる事になるとは思ってもみなかった。
「さっそくだが……アルサーシス王国に帝国を明け渡す代わりに、私を貴国に亡命させ、生命の保証をしていただく話、受けていただけるのだろうか」
「その話を父上にお伺いを立てました。こちらが返信になります。今朝方、私のもとに届いたのです」
「おお!では拝読するとしよう」
私が父上の親書を渡すと、嬉々として受け取り、すぐに目を通し始めた。
内容は確認済みだ。父上には事情を話しているので、ひとまずイデオンの思惑に乗ったフリをしてほしい旨は伝えている……親書に書かれているのは実に友好的な内容だ。
案の定ヤツの顔をチラリと見てみると、顔が緩んでいるのが伺える。
この男は自身の欲望や感情を隠すのが本当に下手だな……よくこれで皇帝が務まったものだ。
おそらくミストレイス公爵が優秀なので国が保たれていただけだろうが。
しかし最後のあたりを読んだところでイデオンの顔色が少し変わり、ニヤリと表情が変わったのだった。
「あなたのお父上は実にお優しく、堅実なお方だ。私が”誠意”を示せば、私からの要求を呑んでもよいと仰ってくださった」
「誠意……見せていただけるのでしょうか?」
「もちろんだとも!しかしその前に……」
”誠意”を見せる前に我が国について色々確認したかったイデオンは、自分が亡命した時に住む場所や環境などを細かく聞き始めた。
この男は相変わらず自分の事ばかりだな……無事に我が国にたどり着けると思っているのだとしたら、頭の中がお花畑過ぎる。
自分の私利私欲の為に、アストリーシャ様のご家族をめちゃくちゃにしたお前を私が生かしておくはずがない。
イデオンは自分の兄であるアストリーシャ様の父上、先々代皇帝の事を慕っていた。
そしてその想いは叶う事はなく、愛は憎しみへと変わり、皇妃様が皇帝以外と関係を持っているように見せかけ……皇妃様はアストリーシャ様の目の前で、先々代皇帝の手によって殺されてしまったのだった。
賢帝と言われていた先々代皇帝は精神を病み、アストリーシャ様の人生はどんどん狂ってしまわれた。
そしてイデオンは陰で帝国を裏切り、この国の情報を敵国へ垂れ流していた事も分かっている。
アストリーシャ様が亡くなり、一度は国を立て直した皇帝として支持を受けたイデオン。
それも18年が経ち、そろそろ化けの皮が剝がれに剥がれ、この男には国の立て直しなど不可能なところまできている。
そちらが帝国を捨てるというのなら、喜んでいただこう。
その代償は”死”以外にはあり得ない。
「もちろん我が国の名誉にかけて、皇帝陛下の身の安全は生涯保障されますので、ご安心を」
「そうか!貴国の配慮に感謝する」
心底安心した表情を見せている……今は甘い蜜に酔いしれているがいい。
「ではそろそろ見せていただきたいのです。帝国の”誠意”を」