「僕の、為……?」
思えば、そこから狂い始めたのかもしれない。壊れた歯車が、軋んだ音を立てて歪み、それでも回り始めて、止まらないかのように。
「つまり……僕の所為で、僕が原因で酷い目に遭ったと、先輩は言いたいんですか……?」
それはまるで自分を引き抜かれ、空っぽになった其処に全くの別の何かを詰め込まれたような、あまりにも現実味に欠けた、そんなあり得ない感覚。
それに僕はひたすら戸惑って、困惑して、混乱して。けれども、今し方この口から
──違う。こんな……僕は一体、何を言っているんだ……?
こんなこと、間違ってでも言いたくなかった。……言える訳が、なかった。
だが現実は、無情にも僕を裏切る。
「だってそうじゃないですか。先輩は僕の為にここに乗り込んだ。そして酷い目に遭わされた……ほら、遠回しに僕の所為だと、お前が原因で自分は酷い目に遭ったんだって、そう言ってるじゃないですか」
無慈悲に、裏切り続ける。
──僕はなんてことを口走っている……!?
口を開く度に、言葉を紡いで繋ぐ度に。自分が自分でなくなっていくような、奇妙で奇異なその感覚に。僕は糸を繋がれた操り人形の如く、踊らされ続ける。
「止めてくださいよ。僕を
延々と、永遠と。無様にも、愚かにも。
──止めろ。
だけど、僕は抗った。
──止めろ。止めろ、止めろ止めろ止めろ……!
必死に、抗おうとした。……だが。
「止めてくださいよ。僕を
それでも僕の口は、壊れた機械のように淡々と、そんな酷い言葉を吐き出し続ける。
──止めろ止めろ止めろ止めろ!違う!!僕は、こんなこと思ってなんかいない!!
心の中で堪らず、そう叫んだ瞬間だった。
────本当は思ってるんじゃないの?────
何処かで聞き覚えのある声が、僕にそう囁きかけた。
──…………え……?
「何が違うんですか。何も、違わないじゃないですか。先輩は僕を使って、言い訳をしている。そうとしか、僕は思えないんです」
僕が呆然としている隙に、僕の口から言葉が零れ落ちる。
──思ってなんか、いない……僕はこんなこと、思ってなんか……。
もう、わからなくなった。僕という自分が、まるでわからなくなってしまった。
だが、それでも。なけなしの気力を振り絞って、抵抗を続けようとした。……しかし、それはあまりにも弱々しい、儚い抵抗だった。
「だから、僕の為だとか……軽々しく言わないでくださいよ」
そして、そんな程度の抵抗は、無意味に終わる。
「言い訳……ああ、そうだな。クラハの言う通りだ。俺はお前を使って、言い訳してた。……でも、な」
しかし、あまりにも理不尽極まりない怒りを孕んだ、僕のそんな言葉に対しても。この人は真摯に受け止めて、健気に飲み込んで。
「こんな今の俺にでも、クラハの為にできることをしたかった。何でも、どんな些細なことでもいいから、お前の先輩として、お前の為になることをして、やりたかった。それは、本当、だから……!」
そう、返してくれた。とても悲しそうで、とても淋しそうな笑顔を浮かべて。
……だが、その時僕は悟った。悟ってしまった。
──……言うな。言うな、言うな言うな言うな言うなッ!駄目だ、それだけは……これだけは……ッ!!
それは決して、絶対に口にしてはならない言葉。……だったというのに、僕は────
「今の先輩が僕の為に、一体何ができるっていうんですか。……僕の知っているラグナ先輩じゃない、今のあなたなんかが」
────自分に抗えず、口に出してしまった。
──わかって、いたんだ。
最初はゆっくりだったが、徐々に早歩きとなって。そして堪え切れなくなったように駆け出し、どんどん遠去かるその足音を聞きながら。
──本当は、わかっていたんだ……。
脇目も振らず、ただ一目散に。今すぐにでも追いかけるべき、その足音を聞きながら。
──本当はわかっていたんだ……ッ。
今までに味わったことのない後悔と絶望の前に、僕は打ち拉がれていた。
そう、わかっていた。わかっていたというのに、僕は
確かに、今回のことはラグナ先輩の方にも少なからず責任はある。僕にそれを伝えられないことは重々承知しているが、それでもまずは誰かに相談してほしかった。先輩には、誰かに頼ってほしかった。
誰にも伝えず、頼らず。たった一人でライザーの根城に乗り込むなんて無茶で無謀な真似を、僕はしてほしくなかった。
しかし、そのことをああやって責める気など、僕にはなかった。なかった……はずだったのだ。
だってわかっていたから。今回の行動の全てが、先輩なりに僕のことを思い、僕の為にと考えられていたものだと、わかっていたから。
『お前の先輩として、お前の為になることをして、やりたかった。それは、本当、だから……!』
そう、本人から直接言われずとも。僕はわかっていた。ちゃんと、理解していた。……そのつもりだった。
いざ蓋を開けてみれば────
『今の先輩が僕の為に、一体何ができるっていうんですか。……僕の知っているラグナ先輩じゃない、今のあなたなんかが』
────最低最悪の、完全否定。
「…………」
もう、足音は聞こえない。……それとも、もう僕の耳には届かないだけのだろうか。それすらも、そんなことすらも、今やわからない。
ただわかるのは、もはや取り返しのつかない過ち。それを僕は、よりにもよってラグナ先輩に対して、しでかしてしまったのだ。
こうしていくら後悔しようが、罪悪感に押し潰されていようが。どうにもならない。どうしようも、ない。
呆然自失とその場に立ち尽くしていた僕だったが、ようやっと動き出す。鉛のように重たい足取りで、この部屋の壁へと歩み寄る。
壁は固かった。石壁だ。手で触れると、ザラザラとした感触が皮膚を擦る。
「……どう、して」
それだけ、僕は呟いて。石壁からそっと、手を離す。そして、すぐさま。
ゴチャッ──その石壁に、額を叩きつけた。
「どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして」
繰り返し呟き続けながら、僕は繰り返し額を叩き続ける。呟く度に、額を叩きつける。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
ビシ──そして。四十回そう呟き、四十回そう叩きつけた、丁度その時。そんな音と共に、石壁に幾筋の亀裂が走った。
「…………」
気がつけば、目の前の石壁は真っ赤に染まっていた。下に続く赤く太い線を視線で追うと、僕のすぐ足元に小さな赤い水溜りもできていた。
──…………。
妙に軽くなった頭の中で、ふと僕はこう思った。
──
「……ハハ」
乾いた笑い声が、自然と僕の口から漏れ出す。それを聞きながら、僕は自答する。
「そう、だったのかなあ。そう思って、いたのかなあ。ハハ、ハハハ……」
理解不能の、グチャグチャな感情が。滅茶苦茶で無茶苦茶に入り乱れる脳裏に。
────本当は思ってるんじゃないの?────
またその声が、響いた。
「煩えなぁあああッ!!煩えんだよいいから黙ってろぉぉぉおおおおッッッ!!!」
ドゴッ──喉が裂ける勢いで、箍が外れたように叫びながら、僕は石壁を殴りつける。亀裂がさらに広がった。
「……ハハ、アハ、アハハッ!アッハッハッハッハ……!」
僕は笑う。ドクドクと額から血を流して、垂らして、滴らせて。狂ったように──────否、狂って笑って。そう、狂い続けて。そう、笑い続けて。
軋んで歪んで壊れた、この度し難い現実の最中で、独り切り。そうして、
「………………ああ、そうだね。ライザー、僕とお前は……最低最悪の同類だよ」
顔半分を手で覆い隠しながら、僕はそう吐き捨てた。