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深夜の来客

 住人の、誰も彼もが寝静まる、深夜のオールティア。夜の帷がすっかり落ち切った、黒い空を仰ぎ見れば。幾万幾億という星々が輝き瞬いている。そんな絢爛と煌びやかな光景を、彼女は独り。自宅の窓から呆然と眺めていた。


 彼女こそ、このファース大陸モノ王国を代表する冒険者組合ギルド大翼の不死鳥フェニシオン』の受付嬢にして、S冒険者ランカー────メルネ=クリスタである。


「……」


 満点の星を眺めながら、メルネは心の中で静かに呟く。


 ──二人共、大丈夫かしら……。


 メルネが言うその二人とは、もちろん────ラグナ=アルティ=ブレイズと、クラハ=ウインドアのことだ。


 世界オヴィーリス最強の三人と謳われ語られる存在モノたち────人呼んで、『三極』。


 その内の一人に数えられるのが、ラグナ=アルティ=ブレイズ。直近では予言書に記されし四つの滅び────『厄災』。その一柱たる『魔焉崩神』エンディニグルを討滅した彼だったが、少々……否、かなり複雑に入り組んだ事情により、今やその壮絶無比とされた最強ぶりがまるで嘘だったかのように、非力で無力な赤髪の少女となってしまっている。


 そしてそんな彼女……ではなく彼をあらゆる意味で元に戻そうと、現在絶賛奔走しているのがクラハ=ウインドア。彼もまた数十年来の逸材と評され、僅か一年足らずでの最高とされている《S》ランクにまでなった、期待の星の冒険者ランカーだ。


 そのクラハが何故ラグナの為に頑張っているのか。その理由は簡単だ。何故なら、彼はラグナの後輩だから。


 ラグナとクラハの付き合いは実に八年にも長きに渡るもので、二人は相当に厚い信頼で結ばれていると、少なくともメルネはそう思っている。……否、


 メルネの揺るぎないその思いに、微かな翳りが差し始めたのはつい最近のこと────言うまでもなく、ラグナの身にあのような異変が起きてすぐの頃からである。


 メルネは知っていた。そして、見てきた。まだ駆け出したばかりの新人だったクラハは勿論のこと、まだ『三極』に数えられる以前の、最強と自他共に認め、認められ謳われる前の、ラグナのことも。


 だからこそ────いや、恐らく『大翼の不死鳥』GMギルドマスター、グィン=アルドナテも今頃までこの街に滞在していたのなら、きっと自分よりも早く気づいていたはずだ。


 ともかく。だからメルネはそれを敏感にも感じ取った。ラグナの混乱と焦燥、クラハの困惑と戸惑いを。


 側から見れば、別段気にすることもないことだったのかもしれない。そうなって当たり前だという、謂わば一種の常識のような。過ぎる時間がいつしかそのことを気にさせなくなるだろうと、二人についてそう深くは知らない他人は思ったかもしれない。


 だが、メルネは違う。昔から二人のことを間近で見てきた彼女からすれば、それは酷く危うい。


 今はまだ何もなく無事で済んでいるだろうが、その不安定極まりない迷いの感情は、ほんの少しの些細な拍子で呆気なく、そして瞬く間に砕け散ってしまうことだろう。


 そしてそれを一から修復するとなれば至難を突き詰め────最悪の場合、もはや一生を賭しても直らないかもしれない。


 ──固いもの程、何故か案外脆くて派手に壊れてしまう。……二人の間にある信頼は、まさにそれ。


 メルネがそのことに関して危機感を抱き始めたのは、言うまでもなく昨日にあった出来事の所為。




『そうだ。俺はライザー……一年前、『大翼の不死鳥フェニシオン』から抜けたS冒険者ランカーのライザー=アシュヴァツグフだ』




 それは、予期せぬ闖入者であり。そして、招かれざる来訪者でもあって。その男────ライザー=アシュヴァツグフの顔を思い出し、メルネは苦心するように目を閉じ、顳顬こめかみを軽く手で押さえる。


 ──最悪な男が、これまた最悪のタイミング……いえ、だからこそ、なのかしら。


 そう心の中で呟きながら、メルネは頭の片隅に追いやっていた記憶を、ややうんざりとしながらも手繰り寄せる。


 恐らく全てのことの発端なのだろう、一年前の記憶を。


 ──ライザーは優秀な冒険者だった。才能だって、彼は十分持ち合わせていた。異例中の異例、《S》ランクからの冒険者登録がそれを証明してる……けれど、それがいけなかったのかもしれない。それが彼を、ああまで狂わせてしまったのかもしれない。


 メルネの閉じた瞼の裏で、未だになおその記憶は色鮮やかに想起される。


 結果の見えている勝負だと、誰もが思っていた。だが、それは大きな間違いで。しかし、ある意味では当たってもいた。何故ならば、驚くべきことに。




 ザシュッ──その勝負はたったの一合で決着がついたのだから。……それもライザーの敗北という、誰もが予想していなかった形で。




 メルネは今でも思い出す。信じられない面持ちで、あまりにも柔らかで、そして恐ろしく疾いその剣を。


「……」


 今でもメルネは鮮明に思い出せる。あの瞬間、ライザーの肩に遠慮容赦なく振るわれた、クラハの見事な一撃を。一切の躊躇も迷いもなく、宙を駆け抜けたあの白刃の一閃の美しさを。


 だからこそ、彼女は忘れることができない。






『わかったな!?──────クラハァッ!!!』






 これ以上になく、それ以上などこの世にはありはしないと思い知らされるまでに、憎悪と怨恨に満ち満ちた、ライザーの咆哮を。


「……はあ」


 たとえ事勿れ主義の偽善だと理解していても、せめてもとメルネは祈る。本当にるのかもわからない、この世界オヴィーリスの創造主たる『創造主神オリジン』に。


 どうか、ラグナとクラハの二人に何もありませんように。互いを結び繋いでいるその信頼と絆に何もありませんように、と。そうすることで、昨日から不穏な警鐘を鳴らし続けて止まない、己の第六感を抑え込もうとする。


 ──私の予感って、嫌な時程よく当たるのよね……。


 その思いとは裏腹に、そう心の中でメルネが独り言ちる────その瞬間。




 リリーン──不意に、来客を知らせるベルの音が、メルネの自宅に響き渡った。




「……こんな時間に、一体誰……?」


 壁にかけられた時計を見ながら、訝しげにメルネは口に出して呟く。それから少し思案を巡らせた後、彼女は椅子の背もたれにかけていた上着代わりの布を手に取り、玄関にまで向かう。


 そうして、メルネは扉の元にまで近寄り、覗き穴を見る──────






「え……?」






 ──────メルネの自宅の扉の外に立っていたのは、見覚えのある男物の黒い外套コートを羽織り、儚げに腕を抱き、何処か思い詰めた表情をその顔に浮かべている、ラグナであった。

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