深夜────日中夜を問わず、誰も彼しもが忙しく騒がしい
朝も昼も夜も、どのような形であれ。つい先程までは、人々の賑わいで勢いよく活気付いていたオールティアの街道も。今や誰一人としておらず、
そんな閑古鳥が鳴いている、寂寥の静けさ漂う深夜の街道を、今。青年が独り、歩いていた。
……正確に言えば、その青年は独りなどではない。彼の腕の中には、少女がいた。燃え盛り煌めくような赤髪の少女が、抱き
少女は眠っており、目を覚ますことはない。その様子から、余程深く眠り込んでいるだろうことは、容易に察せられた。可愛らしいのは言うまでもなく、幼なげであどけない少女の寝顔は。誰もが惹かれて、視線を引き寄せられて、否応なしに見入ってしまうことは明白。
しかし、そんな寝顔がすぐ目の前に、己が眼下にあるにも関わらず。青年は少女に一瞥することなく、彼女を抱き抱えたまま、街道を歩く。そのまま進んで、彼はその喫茶店の前を横切る────寸前。顔を向けずに視線だけで、彼は喫茶店を見やった。
喫茶店の名は『ヴィヴェレーシェ』。薄暗い店内を見やり、ある席を目に留めて。青年は己が脳裏にて、その光景を呆然と思い起こす。
「その……何だ。ひ、久しぶりだな。元気してたか?────クラハ」
「
「祝福なんかじゃねえっての」
「だあっ!クッソ負けたぁ……!」
「あ……破けちまった」
「ちょ、まっ…お、俺は女物なんか絶対着ねえってさっきから……い、痛い痛い!あんま引っ張んなクラハぁ!」
……それはほんの数週間前の出来事であり、それが今に至る全ての始まり。そして自分は他ならぬ当事者の一人────
そうだとはわかっているが、しかし。今こうやって想起しても、自分が全く無関係な、それこそ傍観者でしかないと思えない。何の関わりを持たない赤の他人としか、思うことができないでいる。
それ故に、それ以上に思いを馳せらせることもなく。特に後ろ髪を引かれる様子も見せずに、青年は
そうしてある程度歩き進んだ青年の視界に、その店の看板は映り込む。看板は、顔馴染みの洋服店のものであった。
「俺ならここにいるぞ?」
「んなっ、ちょ……クラハお前何す」
「お、おう!俺……じゃなくてわ、わた……私はクラハの先ぱ……でもなくて、従姉妹!……い、従姉妹の……あれ?えっと……あ、そうだラナだ。従姉妹のラナってんだ。よろしくな!」
「お、おい待てクラハっ!服は百歩いや千歩譲って着てやるけどっ、女のパン」
「わ、わぁったよ……べ、別に何も、そんな泣くことねえじゃねえか……」
先程と同じように、そんな光景が脳裏を過ぎるが。やはりそれもまた、他人事のようにしか思えない。歴とした自分の記憶であると認知している傍ら、他人の記憶だと思えて、仕方がない。どうしようも、ない。
その洋服店も青年は通り過ぎ、依然として赤髪の少女を腕に抱いたまま、街道を歩く。青白で冷たげな月光に照らされながら、彼と彼女は街道を歩き続ける。
その間、青年の脳裏では数々の光景が目紛しく浮かび上がっていたが。
そして今の今まで街道を歩き進んでいた青年は、そこに辿り着く。
『大翼の不死鳥』の中にある、仮眠室。その名前が示す通り、この部屋には簡素な
今、その仮眠室に。照明の類が一切使われていない、淡い月明かりだけが差し込んでいる、薄暗なその部屋には。今、二人の人間が────寝台で眠る赤髪の少女と、椅子に座っている青年がいた。
少女は落ち着きのある整った、実に可愛らしい寝息を立て。寝返りも打たず、身
まだ幼なげであどけない、可憐で無垢な寝顔と。警戒心がまるで感じられない、あまりにも無防備で
やがて数分、数十分、遂には一時間と少し。決して少なくはない時間が過ぎようとも、構わず意に介することなく、青年は眠る少女を眺め続けて。
「…………違う。君じゃない。君は……あなたは違う、あなたじゃない……」
唐突に、青年はそんな独り言を零して。自分でも気づかない内に、少女の
止められても尚、自分の右手は少女の首を掴もうと、微かに震えており。その動きを左手を通して感じながら、青年は頭上を振り仰ぎ。焦点の定まらない、淀んだ昏い瞳で天井を呆然と見つめながら。
「僕はもう駄目みたいです、ラグナ先輩」
まるで力尽きたかのように、青年────クラハ=ウインドアは心底疲れた果てた様子で、静かにそう呟くのだった。
路地裏。今し方クラハがラグナを連れて去った後の路地裏にて。
未だそこにはクラハによって完膚なきまでに、ぐうの音も出ない程に打ちのめされた四人の男たち。『
他三人が気を失っている最中、彼だけは────ロンベル=シュナイザーだけは先に意識を取り戻し。が、立ち上がれず地面に倒れ伏したまま。彼は己が顔を凄絶に、筆舌に尽くし難いまでに歪めていた。
「クラハクラハクラハクラハクラハクラハクラハクラハァァァァ……ッ!クラハクラハクラハクラハクラハクラハクラハクラハァァァァァ……ッ!!」
と、もはやその名前しか呟けないでいるロンベルに──────────
「よお、負け犬」
──────────
「ッ!?」
突如として頭上から聞こえたその声に、ロンベルが咄嗟に顔を上げる。直後、彼が見たのは。
「力、要らねえか?」