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RESTART(その十六)

「顔、大丈夫か?一応変な風にはなってないし、腫れも引いたっぽいけど……」


 寝起き直後特有の、まだ夢とうつつの境目に在る、僕の意識に。不安と心配がい交ぜになった声音が響く。


 そして薄らとぼやけている僕の視界には、その声と同じ表情を浮かべる、こちらのことを覗き込むように見下ろすラグナ先輩の顔が映り込むのだった。


「…………え、っと……」


 未だ判然としない意識の最中、僕はその一言を絞り出すのが精一杯で。少しの間を挟んで、続きを待つラグナ先輩に僕は言う。


「そうですね……まだ若干、痛みます。それにちょっと、頭痛も……」


「そっか。ならこのまま休んでろ」


「……はい」


 僕は視線だけで周囲の様子を確かめる────今ラグナ先輩と二人でいるここが、僕の寝室であることにはすぐに気がついた。


 しかし一応、念の為に僕はラグナ先輩に訊ねる。


「あの、先輩。この部屋って……」


「ん?ああ、お前の部屋。あの後とりあえず、ロックスに運んでもらったんだ」


 と、僕の問いに答えてくれたラグナ先輩は、参ったようにため息を吐き。それから愚痴を溢すかのように続ける。


「メルネも少しくらいは手加減しろってんだ。こう、ぴゅうって、そんでくるくるーって。もう椅子とか机巻き込みながら、壁までぶち破ったんだぞ?あいつにぶん殴られたお前」


「…………」


 俄かには信じ難い話であるが、それが決して出鱈目デタラメな誇張でも、してや真っ赤な嘘でもないことは、あの拳をこの顔面で受けた僕が一番よくわかっている。


 ……まあ、殴られた直後の記憶が丸ごと全て、綺麗に消し飛んでいるので。僕自身そこまで、はっきりとそうであるとは言えないのが、正直な話だが……。


「それで僕は今の今まで気を失っていた、と」


「おう。おかげさまでもうすっかり夜中」


 ラグナ先輩の言葉を聞きながら、僕は窓の方を見やる。確かに先輩の言う通り、外はもうとっぷりと日が暮れ、夜の帷が下りていて。月が浮かぶの空を、無数の星々が絢爛に飾り立てていた。


 青白く淡い、神秘的な月光に照らされるラグナ先輩の顔を見上げながら、僕は恐る恐ると訊ねる。


「……ちなみにあの後、メルネさんは……?」


「お前を殴った後、さっさとどっかに行っちまった。そんでお前とは当分の間話をしたくないし、顔も見たくないってさ」


「……そう、ですか」


 本当に、メルネさんの寛大さには頭が上がらない。




『一発殴らせて。それで今回のこと全部、水に流してチャラにしてあげる』




 普通は金輪際の絶縁一択のところ、その言葉通りに、その程度で済ませてくれたのだから。


「……そういや明日話したいことがあるから『ヴィヴェレーシェ』に来てくれって、ロックスが言ってたぞ」


 と、思い出したように。唐突に、ラグナ先輩は僕にそう言う。


「え?ロックスさんが僕に?……わかりました」


 だがしかし、ロックスさんからの話となると、一体どういうものだろうか。


 やはり、今回のことについてなのだろうか……。


「あの、ちなみに『ヴィヴェレーシェ』には明日の何時いつ頃行けば?」


「知らねえ。あいつそこまで言ってなかった」


「…………わかりました」


 何故だろう。この流れに妙な既視感デジャヴを覚えるのは、果たして僕の気の所為だろうか。いや、たぶん気の所為だろう。……そう思うことにしよう。


 それはさておくとして、僕は更にラグナ先輩に訊ねる。


「それとグィンさんの方はどうでしたか?先輩」


 と、僕がそう訊ねた瞬間、ラグナ先輩は固まって。それから数秒の沈黙を経てから、先輩はようやっとその口を開かせ、答えてくれた。


「……忙しそうだった。とにかく、すんごい忙しそうにしてた」


 それはそうだろう。様々な貴族────その中でも公爵も出資者パトロンの一人として参加している、『出品祭オークションフェスタ』。そこで起きてしまった今回の、重大な不祥事。その事後処理は……ちょっと、僕も想像するのは遠慮したい。


 それにGMギルドマスターグィン=アルドナテ、そして冒険者組合ギルド大翼の不死鳥フェニシオン』の社会的地位と信頼の失墜は必須であり。それに伴う、諸々の損失は甚大ではない。


 そして何よりも、今後の『出品祭』の開催も、極めて難しく、厳しいものとなるだろう。


 最悪、もう二度と……。


「……はい」


 もはやどうにもままならない問題に対して、そう返すことしかできない僕に。ラグナ先輩は憂鬱そうな表情を浮かべながら、こう続ける。


「それと明日何時でもいいから、俺とお前の二人で『大翼の不死鳥フェニシオン』に来いって。……教会のことで、俺らにちょっと、話がしたいんだって」


 ──……あぁ……。


 ばつが悪そうなラグナ先輩の声で、その言葉を聞きながら。今一度、改めて僕は思い返す────あの、見事なまでに跡形もなく吹き飛んだ教会のことを。


「…………了解です」


 普段は物腰柔らかで、穏やかな微笑をよく浮かべているグィンさん。故にだからこそ、そんな彼が怒ると怖い。


 メルネさんの場合は恐いが、グィンさんの場合は怖いのである。


 明日は一日中、怒られることになるんだろうな、と。そう思いながら。僕は無言になって、ラグナ先輩の顔を見上げる。


 ……さて。そろそろ、誤魔化すのも厳しくなってきた。


「あの、先輩」


 息を吸い、そうして意気込んでから。愈々いよいよ以て、僕はラグナ先輩に確認する。


「ん?どうした、クラハ?」


「その、えっと……ひょっとしなくても、今僕の頭が乗せられているのって……」


「俺の膝の上だけど。それがどうかしたのか?」


「……ですよね」


 別に大したことでも何でもないとでも風に、平然と答えてくれたラグナ先輩。それに対して僕は、やや固く強張った声音でそう返さざるを得なかった。


 いやまあ、わかっている。ラグナ先輩がこういうことに対して別に躊躇いだとか、抵抗がある訳がないことなど。そして自信過剰で過大評価で烏滸おこがましいこと至極この上ないのは重々承知しているが、僕が相手なら尚のこと、殊更ことさらだろう。


 それに僕だって、これがだったのなら、ここまで動揺することはない。しかし、そうじゃないからこのように情けなく動揺しているし、困っている。


 否応にも後頭部に感じる、柔く温い感触────それは明らかに、衣服の上のそれではなく。


 そしてそのことを、今のラグナ先輩の格好が決定的に裏付ける。


 ──相変わらず、目のやり場に困る……っ。


 とっくのとうに鮮明になっていた僕の視界に映り込む、もはや幾度となく目にしてきた、ラグナ先輩の寝間着パジャマ────とは名ばかりの、僕のシャツ一枚の姿。


 確か僕の記憶にある限りでは、寝間着の類がなかった為に、それで一応間に合わせの代わりとして。それで僕のシャツを着てもらうことになったはずなのだが……。


 同年代(肉体的な意味で)の子と比べて見ても、やや小柄なラグナ先輩が僕のシャツを着れば。まあ、見えてはいけない部分は隠れる。隠れはするが、最低限。それもギリギリの間際ラインを攻めた感じで。


 だから肉付きの良いむっちりとした太腿はいつだって全開だし。ラグナ先輩が何かしらの動きを見せる度、ひらひらと揺れる裾から、ちらちらと純白が見え隠れしてしまうし。当然風でも吹こうものならそれが丸出しとなるのは、言うまでもない。


 昏倒から覚めてから、今に至るまでどうにかこうにか耐えていたが。しかし、流石にもう限界だ。もうこれ以上は色々と……危ない。


「先輩。顔の痛みも、頭痛も引いてきたので。そろそろ退きますね」


 と、最後にシャツの布地を些か窮屈そうに、内側から押し伸ばし、押し広げているその胸元を見上げ。そうして、僕はラグナ先輩の膝から頭を退けようとする────


「勝手に退かすな、おい」


 ────が、額に手を押し当てられると同時に、先輩にそう言われてしまう。


 堪らず、透かさず僕は口を開いて言う。


「い、いやですが」


「あ?俺の膝が嫌だってのか?なあ?」


「いえ違います!そうじゃありません!ただ、そのっ……これは……!」


「じゃあいいだろ別に。もうちょっとこうして休んどけ」


「…………」


 嗚呼ああ、神よ。『創造主神オリジン』よ。一体、僕が何を────と、嘆こうとした直前。思い当たる節が次から次へと浮かんでは、一向に止まらないので。僕はもう諦めて、素直にこの状況を受け入れることにした。


 さっきも言ったが、決してラグナ先輩の膝枕が嫌な訳じゃない。柔く温いこの感触はまさに極上の逸品と評するに他がなく、ただこうして乗せているだけで顔面の痛みや頭痛など立ち所に消え失せるし、疲労も取れるし、何より心地良くて癒される。これに嫌悪を抱く者など皆無だろう。いたとしたら草の根を掻き分けてでも捜して見つけ出し、殴り飛ばしてやる。


 とまあ、そんなことはさておいて。むしろ嫌じゃないからこそ、よりまずいというか、駄目だというか。


 顔を今すぐにでも横にすれば無論、視線を向けるだけでも。ラグナ先輩の太腿とお腹と臍、そして純白────下着パンツが即座に視界に飛び込んでくる。


それだけは……それだけは何としてでも、免れなければならない。でないと、僕がどうなるのか、僕でもわからない。


 そうして命を賭した死合しあいを彷彿とさせる、極度の緊張感に。僕が揉まれ、苛まれている、その時────






「皆、憶えてなかった」






 ────唐突に、ラグナ先輩がそう言った。

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