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RESTART(その十七)

「ロックスも。メルネも。GMギルマスも。皆、誰も」


 今し方まで、馬鹿みたいに昂っていた頭と胸の内が、瞬く間に冷めていく。


 何も言えずに黙り込むしかない、そんな僕に対して。先輩は淡白な声音で、淡々とこう続ける。


「憶えてない────ていうか、そもそもみたいだった」


 そう言いながら、僕のことを見下ろす先輩は神妙な面持ちでいて。その声には何処かに悲しみと寂しさがあるような、ないような────とにかくそれが曖昧で、不明瞭で。少なくとも、その判断が僕には難しい。


「名簿。GMに言ってさ、見せてもらったんだけどな」


 と、そのように迷っている僕に、先輩は言う。


「三回……いや、四回だったか。まあそうやって何度か見返しもした」


 そこで少しの沈黙を挟んでから、先輩が再び口を開いた。


「あいつの名前なんか、どこにも載ってなかった」


 その先輩の言葉は、おおむね予想通りのものだった。


 沈黙から成る静寂が、僕の寝室に満ちる。それは数秒続き、そして十数秒過ぎた直後。


「それでも、僕らは憶えている────ライザー=アシュヴァツグフという、一人の男のことを」


 この静寂を、僕が最初に破るのだった。先輩もまた、その口を開かせる。


「……ああ、そうだな」


 先輩はそう言うと、徐に振り上げた手を自らの頬に近づけて、そっと。まだ生々しく薄ら赤い傷を、指先で撫でやる。


 ──…………。


 それを間近で目の当たりにした僕は、途端に己が心の内が騒つくのを如実に感じ取りながら。そうして瞬く間に、仄ぐらくて醜悪な欲望がゆらりと、鎌首をもたげ始めて────即座に、僕はそれから意識を逸らし、無視を決め込んだ。


 そうして再び黙り込んでしまう僕と先輩。相も変わらず、この静寂が少しばかり、気まずい。


「悪い。変な空気にしちまった」


 さて今度ばかりはどんな言葉で切り出すべきかと、僕が言いあぐねていると。先輩が先にそう言って、僕に申し訳なさそうな。粗相をしでかしてしまった子供が浮かべるだろう、そんな不安そうな表情を送るのだった。


「い、いえ。気にしないでください、先輩」


 そんな表情をいきなりの不意打ちで見せられ、思わず息が詰まりそうになりながら。狼狽してしまって震える声音で、どうにか僕がそう返すと。先輩は表情に明るさを少し取り戻してくれた。


「ん、そう言ってくれると助かる。……あんがと」


 それから先輩は僕から視線を逸らし、少しの間を置きつつ。再び僕と視線を合わせ、気恥ずかしそうに僕に言う。


「その、さ。時間も時間だし、そっちも起きたばっかりだし。だからまあ、クラハが嫌なら嫌で全然、別にいいんだけど」


「……?はい」


「俺たち色々……本当に色々、あったじゃん。だ、だから……だから、な?」


「えっと、はい。そうですね」


 中々煮え切らず、歯切れの悪い先輩の言葉に、僕もまた困惑の声音で以て返事をする。


 すると観念したように先輩は小さく嘆息し、僕にこう言う。


「話さないか?俺とお前、離れ離れになってからの、色々なこと」












 それから僕と先輩は話し合った。今が夜だということも気にせず、過ぎる時間を忘れ去って。


 これまでにあった全てのことを────お互いが離れていた間の、ことを。


 こうして話し合うことで、こうすることで。お互いが離れてしまった為に生じてしまった、隙間を埋め合うように。


 そうしてある程度話も進み、僕はについて言及し始めた時のこと。


「それで道すがら、ちょっとした経緯で。僕はユアという少女の護衛を引き受けて、少しの間共に過ごした訳なんですけど」


「……おう」


 ──?あれ、先輩……?


 それまでとは打って変わって、その時の先輩の返事は何故か、何処か不機嫌そうで。そのことについて多少の疑問を覚え、引っかかりながらも。話し出してしまった手前、僕はそのままこの話を続けることにする。


「……本当ならあまり言いたくはないんですが。僕が先輩に会う為の覚悟と決意の一押しをしてくれたのが、ユアなんです」


 ……もはや手遅れだとは思う。いや確実にそうなのだろうが。これはきっと、先輩には言うべきではなかった。だが、それでも僕は言わずにはいられなかった。これだけは言わなければ、ならなかったのだ。


「……」


 案の定、先輩の表情は芳しいものではなくなっており。そのことに僕は後ろめたい罪悪感を抱き、目を伏せて。けれど、口を開いて続ける。


「情けない後輩ですみません。ですが、彼女が発破をかけてくれなかったら、僕はたぶん……先輩に会いに「その話、もう終わりな」


 不意に、そうやって先輩が僕の言葉を途中で遮った。そのことに少し驚いて、見てみれば。


 頬を膨らませ、拗ねたような表情を浮かべながら。先輩は鋭い眼差しで以て、僕のことを責めるように睨めつけていた。


「えっ?あ、いや、でも」


「終わりったら終わりだ!終わり終わり終わりっ!」


「……わ、わかりました……」


 この話をして、先輩が心中穏やかではなくなることは予期していたが。しかし、だからといって、まさかこんな反応をされるとは思っていなかった。


 そう、こんな────まるで、嫉妬しているような。


 ──いや、もしかして……そうなのか?


 と、困惑しつつもにわかには信じ難い思いで少し考え。僕はそれを即座に振り払い、頭の中から消し去る。


 僕の情けなさや不甲斐なさに気分を害し、苛立つことはあっても、先輩はこんなことで一々いちいち嫉妬などしたりしない。


 第一、さっきの話の一体どこに、先輩が嫉妬するような要素があったというのか。そうだ。たぶん、僕の思い違いだろう。


 ……それに、嫉妬しているのは先輩の方ではなく……。


「……先輩」


「あ?何?」


 自分の見当違いも甚だしい疑問に結論を出し、早々に切り捨てて。そして己が抱え込むその気持ちを誤魔化すように。


 ふと気にかかっていたことを、これを機に訊いてみようと、僕が声をかけると。先輩は未だ不機嫌そうな声で、慳貪けんどんにそう返す。


 ……気を憚られるが、しかし。訊いてしまった手前、もう後には退けない。それに先輩が自分で言っていたのだ────離れ離れになっていた間の、色々なことを話そうと。


 だから僕にだって、訊く権利は……答えてもらえずとも駄目元で訊いてみるくらいの、ささやかな権利があるはずだ。


「実はちょっと……いえ、かなり気になっていて。できればで全然構わないんですけど」


 と、自分でも少しばかりくどいと思わざるを得ない前置きをしつつ。


 そうしてようやっと、僕は────


「先輩が記憶喪失になっていた間のことを、話してほしいです」


 ────そのことについて、恐る恐る先輩に訊ねるのだった。


「……」


「あっ、い、嫌なら大丈夫です話さなくてもっ!」


 表情が固まり、硬直した先輩の姿を目の当たりにして、僕は慌ててそう言う。


 すると先輩は僕から顔を逸らし、少し遅れて僕にこう言う。


「別に嫌って訳じゃないけど……」


 と、言い終えた後。先輩は再び黙り込み、数秒。まるで意を決したかのように、僕の方へと向き直り。


「……先輩?」


 そうして改まった雰囲気を発しながら、僕のことを見つめていたかと思うと────




「あの日病院の寝台ベッドで目を覚ましたには、記憶がありませんでした」




 ────唐突に、僕にそう言った。


 出会ってから今日この時に至るまで、一度たりとて聴いたことがなく。この瞬間、初めて耳にする、その────の声音で、僕にそう言ったのだ。


 それから先輩はその声音のままに、自らが記憶喪失となっていた間のことを、事細やかに話してくれた。


 親身になって寄り添ってくれたメルネさんの提案を受けて『大翼の不死鳥フェニシオン』の受付嬢として本格的に働いたこと。


 ある日突然訪れた、公爵という大貴族から直々に、『出品祭オークションフェスタ』の目玉商品を紹介する役目を担ってほしい頼まれたこと。そうした経緯の下、あの黒と赤の色合いが印象的だったイブニングドレスを着たこと。


 そうして先輩は十数分に渡って僕に一通り話してくれた後、一息き。


「ってな感じだったんだ」


 と、締めた。その時の声音は既に、十六歳の少女から元のラグナ先輩へと戻っていた。


「……な、なるほど。そうだったんですね」


「まあぶっちゃけ、俺も俺でよくわかってない。今でもなんか、俺が知らない俺を遠くから見たみたいな、そういう変な感じでさ。悪いけど、これ以上は上手く話せそうにねえよ」


「気にしないでください。寧ろ凄いですよ、先輩。僕がきっと同じ立場だったら、混乱しちゃって……とてもじゃありませんが、先輩みたいには話せないですから」


「そうか?……そっか」


 僕の返事に対して先輩は不思議そうに首を傾げ、直後納得したように頷いた。


 そうしてまた、僕の寝室は静まり返って。けれどすぐさま、先輩が口を開いた。


「俺たち、やり直せるよな。やり直して、いいんだよな……クラハ」


 その言葉に対して、僕は何も言わなかった────言えなかった。


「……クラハ?」


 当然、そんな僕のことを先輩は訝しみ、呼びかけてくる。こちらのことを見下ろすその眼差しには、不安が見え隠れしていた。


「先輩。そろそろ、起き上がってもいいですか」


「え、ぁ……おう」


「すみません」


 僕にそう訊ねられた先輩は、最初と同じようにまた断ろうとしたのだろう。しかし、こちらのただならぬ雰囲気を感じ取って、先輩は渋々といった様子で了承し。


 そうして僕は一言謝りながら、名残惜しそうな先輩の視線を浴びつつ、先輩の膝から頭を退かし、上半身を起こす。


 ──……。


 先輩とやり直す。先輩との関係を修復する。その為に僕は、やはり告白しなければならないだろう────先程の、ユアについて話したように。


 そして本来ならば、そこで言うべきだった。それはわかっていた。


 わかっていて、わかっていながら────言わなかった。言えなかった。今さっきの、先輩の返事と全く同じように。


 …………怖い。




『それでも、貴方はラグナに言うべきだった』


『ええ、そうね。知られたくないわよね。私だって、そんなこと知られたくない』


『それを聞いて、ラグナが貴方のことを嫌いになると思う?』


『ならないわよッ!ましてや、貴方なのよ!?クラハ!!』


『ラグナならきっと、それがどうしたんだって、そう言って。笑って、流してくれた……そして貴方のことを心の底から心配したはずよ』




 そうであっても、やはり。怖いものは怖い。堪らなく、仕方なく、どうしようもなく……怖い。


「……」


 先程からずっと震えが止まらない両手に、止め処なく汗が滲む。この土壇場の瀬戸際で、踏ん切りがつかない────決心ができない。


「クラハお前、まだ調子悪いんならもう大人しく休んどけよ。別に俺は構わねえし、遠慮もいらねえって。ほら」


 当然、こんな体たらくの僕を先輩が放っておけるはずがなく。心配が入り混じる優しい声音でそう言い、ぽんぽんと自分の膝を叩いて、そこに頭を乗せるよう先輩は僕のことを催促する。


「……いえ」


 僕だって先輩とやり直したい。僕はまたこの人と、日常いつも通りに戻りたい。


 故にだからこそ、言うんだ。


「先輩」


 そうして、愈々いよいよ以て────






「僕は先輩のことを……殺し、ました」






 ────とうとう遂に、僕はラグナ先輩に、そのことをち明けた。

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