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第38話 5-8 【視点A】いやいやー、恋でしょ、それ

「いやいやー、恋でしょ、それ」


「!?」


後ろから、私の声が聞こえた気がした。振り返るとそこには、ルリの人狼の衣装を纏った、私自身がいた。


「あなた…………誰?」


「私はあなた。母親どころか父親からの愛も知らない、母性本能なんてものから程遠い女の子」


「っ……!」


両親の、目の奥が笑っていない四つの瞳が、目の前に浮かんで消えた。ルリの前では決して見せることのない、私にしか向けられたことのない、憎しみの目。


「でも、親から子への悪意、恐怖、絶望は、よーく味わってきたんでしょ? 恋も……似たようなもんだよ」


「なに、それ……?」


私の形をした何かが、一歩ずつ近寄ってくる。


「恋は……とびきりの恐怖から生まれるんだ。孤独への恐怖。嫌われる恐怖。失う恐怖。奪われる恐怖。そして、愛される恐怖」


「……」


「それが、かつてあなたが実の父親に抱いていた想い。そして今、サイカ・ワ・ラノに抱いている想い……恋心だ」


実の、父親に、私が……?


「…………違う、私は!」


「違わないよ。だってあなたは、母性を知らない。なのにどうして、彼の寝顔を見てあんなに胸が高鳴ったの? どうして彼の手を握っただけで、あんなに心が満たされたの? あなたが感じてるそれって……恋心でしょ」


「ち、ちが……」


心まで侵食されていくようで、言い返すことも、逃げることもできない。目と鼻の先で、私と同じ顔が笑う。


「違わないよ。認めなよ。そうすれば、あなたは恐怖を乗り越えてもっと強くなれる。……クルミちゃんの復讐、まさか忘れたわけじゃないよね?」


「クルミ、ちゃん……」


ラノ君の力で私は、クルミちゃんの仇を討たなきゃいけない。この気持ちは、絶対に忘れちゃいけない。目の前の私と同じ顔が、一瞬クルミちゃんに見えた。叱られているはずなのに、優しい目がどこか私を励ましてくれているように感じてしまう、不思議な笑み。


「彼女の復讐には……彼の力が必要なんだ。彼の魔王の力を引き出せば、あなたはもっと強くなれる。だから彼を……もっとあなたの虜にしてよ。得意分野でしょ? こういうの」


彼女は私のパジャマのボタンに、手をかける。


「嫌っ……!」


思わず目の前の影を突き飛ばす。彼女が私から離れたその瞬間、彼女の上に、二段ベッドが降ってきた。


「え……?」


しかし彼女は二段ベッドに押し潰されることなく、上の段に座って胡座をかいていた。


「人の上にベッドを落とすなんて、君の彼氏は乱暴だね」


彼女の言葉に振り返ると、杖を構えたパジャマ姿のラノ君が立っていた。いつも通りのじとっとした目つきで、二段ベッドの上を睨んでいる。


「おはようございます。……女神は、僕に嫌われたいようですね」


「え、女神、様……?」


ラノ君の言葉に慌ててベッドの上を見上げると、私の姿をしていたそれは、この世界に初めて来た時に見た、女神様の姿になった。


「大正解……。てなわけで、久しぶり、女神だよ。この世界の幸福を司る神様。君たちをくっつける、恋のキューピッド様」


「女神様……何で……?」


「仮面を返しに来たんだ。はいこれ」


そう言うと女神様は、手元に現れた仮面をラノ君に放り投げた。


「……この仮面、ほんとに返してもらえるとは」


「もちろん魅了の妨害装置は外してるけど、それ以外の改造した部分の使い方は、トリセツの魔法陣とチュートリアルの魔法陣を入れてるからそれを見てね。あとこの二つの魔法陣は取り外せるようにしてあるから、見終わったら二つとも別の魔法陣に換装して良いよ。二つの魔法陣の組み合わせは、無限大だよ?」


眠たそうだったラノ君の目が、ぱちくりと見開かれる。


「組み合わせは、無限大……!」


「逆に君が、勇者様を魅了する魔法陣とか装着してくれても良いんだけど……」


女神様の一言で、またラノ君の目がじとっとする。


「冗談じゃーん。そんな怒んないでよー。あ、次はこのベッド借りてくね。二人のために、ラブラブホテル仕様にしとくから!」


女神様が布団を軽く叩くと、そのまま床に現れた魔法陣に二段ベッドごと沈んでいく。


「ま、待って……!」


「じゃ、またねー! 吸血鬼と淫魔には、気をつけなよ!」


女神様は手を振りながら、そのままベッドと一緒に魔法陣に沈んで消えてしまった。


「アヤメさん」


「!」


ラノ君が杖を下ろし仮面をつけると、パジャマがいつものパーカーに変わり、フードが勝手にラノ君の頭の上に被さる。


「しばらくの間、結界の使用はアヤメさんのものも含めて控えたほうがよろしいかと。女神は結界を通して、僕たちに干渉してくる可能性が出てきました」


「う、うん……」


確かに、ラノ君が襲われたのも私の結界の中だった。何か、理由があったりするのかな……?


「ひとまずここから出ます。外に置いておいた剣と呼び出した杖を魔力で繋ぐので、また、力を貸して頂けますか?」


ラノ君の陰から、前回も見た銀色の魔法陣が浮かび上がる。


「今回は、ちゃんと教えてくれるのね。……前回は確か挑発されて、のせられた気がするけど」


「それは、まあ。勇者様ともあろうお方が、同じ手が二度も通じるわけないと思いまして」


ラノ君が杖を掲げると、魔法陣が私たちの上に近寄ってくる。


「……今なら私を挑発する方法、一つあるけど?」


「そうですか?」


「ええ。さっきの私と女神様との会話、どこから聞いてたのかしら?」


「…………アヤメさんが、女神を蹴り飛ばしたくらいから、ですかね」


「え?! け、蹴り飛ばしてはないから!」


私でもわかる、嘘。仮面に隠れて表情は見えないけど、きっとラノ君には全部聞かれてしまったんだと思う。私の本性も、私の忘れてしまいたい部分も。


「そうですか? ではこちらの魔法陣は、どーんと斬り飛ばしてください」


それでもいつも通りに接してくれるなら、私もその気遣いに応えないと。私は聖剣を構え、ルリの人狼の衣装を纏う。


「オッケー。……どうせなら、一撃が良いでしょ?」


聖剣と魔法陣が交わり、壁に掛けられた蝋燭の火が全て消える。私たちは無事、千年魔書魔炉せんねんましょまろから脱出した。でも私は、恋をすることに怖気付いたまま。こんなとき、クルミちゃんならこんな私を、優しく叱ってくれたのかな……。

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