今は初夏、
「え、サイカ・ワ……? 何しに来たの?」
店内に入ると、ルリさんが大きな鞄に荷物をまとめていた。
「あれ、おはようラノ君」
「お、彼氏ちゃんおはよー」
すると上の階から、同じく大きな鞄を抱えたアヤメさんと喫茶店のマスターも降りてきた。
「……おはようございます。マスターの旦那さんの容態が、少し気になって」
マスターの旦那さんに呪いをかけた犯人、黒金の獅子団のリーダーは、昨夜その呪いごと消滅した。これで呪いの進行は止まったはずだが、容態が回復するかどうかは何とも言えなかった。
「あぁ、それがね! 昨日までのことが嘘みたいに元気になっちゃってさ! 実はもう、朝からヒノトリの卵の狩りに出かけちゃったんだよ」
だがその心配は、杞憂に終わったようだ。マスターが嬉しそうに笑っている。
「そうですか……。でも、一昨日あんなことがあったばかりなのに大丈夫なんですか?」
黒金の獅子団のメンバーが招いたヒノトリの襲撃からさらに一夜明け、町はいつも通りの日常を取り戻していた。だが、ヒノトリの卵が不足していることには変わりないのだろう。
「大丈夫さ、旦那はあいつらみたいな素人じゃないからね。無精卵なら親鳥も取り返そうとはしないんだよ。見分けるのはちょっと難しいけどね」
「そうなんですか……」
鏡の森で飼ってるから知ってはいたけど、ひとまず空気を読んで知らないふりをする。でも魔法使いでなければ見分けるのが難しいのは本当だ。マスターの旦那さんも、魔法使いなのだろうか?
「ところでお二人とも、その大荷物は……?」
「あ、これはねー……」
喫茶店の一角に、鞄の山ができていく。すると今度は店の裏口から、大きな鞄が入ってきた。
「よいしょっと……え、あ、いらっしゃいませ!」
と思ったら大きな鞄を抱えた小さな店員だったようで、喫茶バフォメットのマークが入ったエプロンをつけていた。
「あ、いえ、僕は客では……」
「あれ、あ、じゃあもしかして、あなたがアヤメさんの彼氏さん……?」
…………またか。
「……マスターから聞いたんですか?」
「え、いえ、アヤメさんから……」
「……アヤメさんから?」
丁度次の荷物を持って降りてきたアヤメさんと目が合う。
「……本当に、ラノ君の知り合いじゃなかったんだ」
アヤメさんはそのまま通り過ぎると、なぜか嬉しそうに荷物を積んでいく。小さな店員も荷物を置き、僕を見上げる。
「は、初めまして。アトリと言います。弟のカナメのことを助けて頂き、ありがとうございました」
「……?」
「アヤメさんから、あなたがアヤメさんと一緒に、黒金の獅子団のリーダーを倒してくれたとお聞きしました。だからもう、カナメの呪いは解けているって」
どうやら彼女の弟も、フォーボスの呪いを受けていたようだ。こんなに小さな子のさらに小さな弟にまで、呪いをかけていたとは……。
「その子は、今どこに?」
「アヤメさんたちが使っていたお部屋で、眠っています。でも、ここまでは歩いて来れたので、ほんとに呪いは解けたんだと思います」
アトリさんの弟が寝ているという上の階から、呪いの波動は感じられない。マスターの旦那さんと同じように、彼女の弟の呪いも消えてはいるようだ。それより……。
「……ちょっと、勇者様?」
「んー? なにー?」
新たな荷物を持って降りてきたアヤメさんを、店の隅へ呼び寄せる。
「フォーボスが死んだこと、人に話したんですか?」
「アトリちゃんにだけよ。こうでも言わないと、あの店から連れ出せなかったから。まぁでも、マスターはフォーボスのこと、何となく気づいてはいるみたい」
カウンターの奥で、アトリさんがマスターに挨拶をしているのが見えた。
「は、初めましてマスター。アトリと言います。今日から姉弟共々、よろしくお願いします」
「おや、ご丁寧にどうも。私はこの店のマスター、イスルギだよ。よろしくねー」
マスターはアヤメさんたちがかつて、黒金の獅子団を一度この町から追い出したらしいことを知っていた。この町の人間がアヤメさんを勇者だと知っている以上、フォーボスを退治した噂が広まるのは時間の問題か……。しばらくの間は、報復にも警戒しないといけないな。
「仕方ありませんね。それで、あの店というのは?」
「昨夜フォーボスと待ち合わせてたバー。そこであの子、弟君を呪いで人質に取られて、タダ働きさせられてたみたいだから……ここを紹介したのよ」
「住み込みで、ですか?」
「ええ。他に行くあてもないみたいだから。私たちが居候させてもらってた部屋を使ってもらったら良いかなって」
「人手が増えるのは大歓迎だからね! アヤちゃんたちのほうも、進展するきっかけになりそうだし」
マスターがカウンターの奥で、コーヒー豆を挽きながら楽しそうに笑う。良い香りが漂ってくる。コーヒー……今度、まずはミルクとシュガー入りで挑戦してみようかな……。じゃなくて。
「つまり勇者様方は、ここから出て行くんですか?」
「そういうこと」
「それで、次の居候先は……?」
アヤメさんとマスターが悪戯な笑みを浮かべ、降りてきたルリさんがため息をつき僕を睨む。するとカウンターの奥から、アトリさんが心配そうに顔を出す。
「アヤメさんから、彼氏さんのおうちがあるから私たちは大丈夫って、お聞きしたんですが……」
彼氏さんのおうち……。
「……もしかして、僕の実家に住み着く気?」
アヤメさんが、当然のように頷く。
「そ。せっかくだからラノ君、一緒に住まない?」
……何が、せっかくなのだろうか。