「我が名は傲慢な狂信者、サイコ・ワ。世界一幸福な魔法使いを名乗る、勇者アヤメの完璧な配下にして、唯一無二の絶対服従者。以後、お見知り置きを……」
「あ、あの……この方がアヤメさんの彼氏さん、なんですよね?」
アトリさんはなぜか、僕ではなくマスターとルリさんに尋ねる。
「そうそう。この子がアヤちゃんの彼氏ちゃん」
「……そうよ。こいつがアヤの彼氏」
マスターはともかく、ルリさんまでなんでそんなこと言うんだろう。アヤメさんはすでに、引っ越しの準備に戻っている。
「良かった。彼氏さんのおうちなら、男の人のおうちでも大丈夫ですね」
大丈夫ではない。大丈夫ではないし、それにその理屈だと、彼女であるアヤメさんと一緒に住むのは良くても、彼女でないルリさんと一緒に住むのが大丈夫ではない。
「……」
とは言え、ここで否定すれば彼女とその弟はここを出て行こうとするだろう。黒金の獅子団の息がかかった酒場にいるより、ここにいたほうが安全なのは間違いない。
「……わかりました。荷物は今から転送します。部屋は余っていますので、放課後各自で荷解きしてください」
それに、僕の実家にいるのは僕一人だけじゃない。彼らの相手をしてくれるならむしろ助かるが、どうせすぐに音を上げて出て行くことになるだろう。
「……ごめんね、迷惑かけて」
アヤメさんが、隣から僕の袖を引っ張った。それに召喚された勇者なら、城に戻れば豪華な客室くらいいくらでも用意してもらえるはずだ。
「……勇者様の、意思のままに。それに二人くらい増えたところで、そんなに騒がしさは変わりませんから」
「え? ラノ君って、一人暮らしなんじゃ……」
「ま、待ってください!」
するとアトリさんが、急に大きな声を出してカウンターから身を乗り出す。
「本当にお二人は、付き合ってるんですよね?」
「……え?」
「だって……だってその……そんなに恋人同士っぽくないっていうか……」
それはそうだろう。ついさっき恋人になったばっかりだし。
「……」
「サイコワさんは、本当にアヤメさんのこと好きなんですか?」
「え」
アトリさんがカウンターを飛び越えてきた。
「あ、あの! 私は別にアヤメさんのことがかっこよくて好きとかそういうんじゃなくて! ただ、その……お二人が付き合ってるなら、その……もっとこう……ラブラブなところとかを見たいっていうか……!」
「アトリちゃん、ちょっと落ち着いて」
マスターに肩を叩かれて、アトリさんはようやく我に返る。
「これは……キスとかしないといけない感じ……?」
「……マジですか?」
アヤメさんのほうを見ると、彼女も困った顔でこっちを見ていた。アヤメさんは恋愛初心者と言う割に、そういうことにためらいがない。アイドルというのは、そういう演技の仕事とかもする職業なのだろうか。
「キスくらい、私だって弟にしたりします! おやすみのキスとか、いってきますのキスとか」
アトリさんは止まらない。
「え、じゃあ、その先……?」
「勇者様、ご勘弁を」
アヤメさんの呟きを遮る。その先は人に見せるものではないし、そもそも僕の身体は魔力回路に最適化しているため、できればアヤメさんにも見せたくはない。
「じゃあサイコ・ワさん! アヤメさんのこと、どれくらい好きなんですか?!」
「ど、どれくらい……?」
アトリさんの矛先は僕に向いた。どうして好きなのかとか、どこが可愛いのかとかではなく、どれくらい好きか……? 不思議な質問だが、僕にとってはある意味、答えやすくて助かった。
「……」
アヤメさんのほうを見ると、彼女は申し訳なさそうに頬をかく。
「……そうですね。万が一、世界の命運と勇者様の命を天秤にかけることになった場合……世界のほうを捨てるくらいには、好きですよ」
「……!」
アトリさんが目を丸くして、僕から一歩後ずさる。アヤメさんには、初めて会った時にすでに宣言していたことだ。ただ、このままアヤメさんが七月七日に、元の世界の命日通り死んでしまったら、僕は本当に立ち直れないと思う。それくらいには、僕はアヤメさんに愛着が湧いてしまっていた。
「そういうこと。どう? 恋人っぽいでしょ?」
アヤメさんが腕を絡めてくる。ただ本物の恋人は、恋人っぽいなんて言わない。そこに気づいているのか、アトリさんはまだ不満そうに食い下がる。
「でも……」
「二人とも」
そこに助け舟を出してくれたのは、まさかのマスターだった。
「マスター……?」
「二人とも……耳を、見せてごらん」
「!!」
僕とアヤメさんの身体が、同時に小さく跳ねる。アトリさんは、マスターの意図がまだわかっていないようだった。
「耳を……? どういうことですか?」
耳を隠すのが、僕がフードを被っている最大の理由だ。だが、それでアトリさんから解放されるなら仕方ない。僕がフードを外すと、アヤメさんも渋々髪を耳にかけたようだった。
「……」
それを見るとアトリさんは、満足そうに部屋に戻っていった。
「……ごちそうさま」
ルリさんがため息をつく。アヤメさんのほうを見る余裕はなかったが、きっと僕の耳と同じように、真っ赤に染まっていたことだろう。