(セット・焦土・浄土・蒸発・スタンバイ)
僕は無声詠唱で魔法を準備しながら、勇者ヒイロの元へと歩いていく。彼は剣を構えたまま一歩も動くことはないが、研ぎ澄まされていく彼の魔力が、彼の足元を抉っていく。
(サイカ・ワ系ヘル、ストック)
彼の魔法無効化は、おそらく連発できないはず。一撃目は確実に
(セット・キングサイズ・アイスブレイク・スノードーム、サイカ・ワ系永久凍土、ストック)
それも防がれた場合は、ストックしてある攻撃魔法の一斉掃射でこの建物ごと……潰す!
(ストックナンバー、12、13、20、44……)
標的が魔法の射程圏内に入った瞬間、僕が杖を掲げる前に……目の前に、僕の陰が浮かび上がったように見えた。
「はい、そこまでー」
薄っぺらいツギハギの鎧で、全身を真っ黒に包んだ女性が……薄っぺらい剣をこちらに向けていた。
「え?」
「ラノ君、それ以上はダメ」
そしていつのまにか、僕の手元から杖が消え、隣に立っていたアヤメさんの手に僕の杖があった。
「ヒイロさん、やりすぎですよ」
同じくヒイロさんの隣で、礼服の男性が困り顔で、ヒイロさんが構えた剣を下ろさせている。
「だ、誰……?」
「え、ヴァレっち知らないの?!」
タピさんの治癒魔法ですっかり回復したらしいヴァレッタさんが、同じく復活したレンさんの後ろに隠れている。その横でタピさんは、二人の登場に目を輝かせる。
「あの二人は……」
すると目の前の僧侶が、背中の鞘に剣を収めて手についた埃を払う。
「私の名前は八雲ソラ……召喚された、二人目の僧侶。賢者さん、面と向かって話すのは初めてですかね? 前会ったときは、泣きべそかいてたみたいですし」
「!!!」
町に現れたヒノトリを討伐したあの日。女神に根こそぎ魔力を吸い取られ、その直後残った精神をヒイロさんに根こそぎ削り取られたときのことが脳裏をよぎる。
「だって……あれは……」
無意識のうちに、僕は隣のアヤメさんの後ろに隠れてしまう。一方のアヤメさんは、昔の仲間の前だからなのか、出会ってすぐのときのような気丈な雰囲気を取り戻していた。
「ソラ、ラノ君に意地悪しないの」
「事実を言ったまでですよー。それに、これはルリパイセンを守れなかった罰です」
「……」
ルリさんとトゥーラさんはまだ目を覚ましていないようだが、治癒魔法の甲斐あって呼吸は落ち着いている。そういえばソラさんも、アヤメさんやルリさんと同じ、アイドルグループ
「……申し訳ありません。自動魔法が全て解除されるとは、想定外でした」
魔王城攻略のパーティーメンバーになったことを今日聞かされたタピさん、トゥーラさん、ヴァレッタさんの三人はともかく、最初から参加が決まっていたルリさんにも、僕は防御用の自動魔法をいくつかかけていた。だがヒイロさんは、それら全てを
「あら、素直。天下のヒイロさんが相手なんですから、いくら賢者さんでも仕方ないですよー。ね、ヒイロさん?」
ソラさんは、変わらず軽い調子のままヒイロさんに話を振る。
「それでは、困るのだがな……」
「いやいや、この世界でヒイロさんに勝てる人なんてもういませんって。それよりヒイロさん、国王陛下が探してましたよ」
困り顔の礼服の戦士が、僕たちの視線に気づき軽く会釈する。
「あ、俺は四谷マシロ。召喚された二人目の戦士で、ヒイロさんの一番弟子!」
「おー」
マシロさんがおどけてみせると、タピさんとヴァレッタさんが後ろで拍手をし、ヒイロさんがため息をついた。
「国王陛下……? 魔王城攻略の、延期の件か?」
「えっ……?」
ヒイロさんとさっき来たマシロさん、ソラさん以外の全員が同じ反応をした。延期……?
「ちょっとヒイロさん、それをアヤパイセンに伝えにきたんじゃないんですか?」
今度はソラさんがため息をつく。
「延期って、何で……?」
「神託が下った。勇者アヤメ、七月七日が……君の命日らしいな」
「っ!」
神託……女神がヒイロさんに、アヤメさんの命日のことを教えたのか……? 今更、このタイミングで……?
「勇者アヤメ、そういうことは先に言っておいてもらわないと困る。あらゆる不安要素は、取り除くべきだ」
「ヒイロさん、言い方……」
マシロさんがヒイロさんをなだめるが、アヤメさんは俯いたまま何も返さない。
「……よって、魔王城への進軍は七月八日に開始。翌朝の九日に決戦とする」
「まぁ、そうは言っても魔王城攻略は、国を挙げた一大イベントだからね。その手続きのことで、国王陛下がてんてこまいってわけ。ヒイロさん、千歳には伝えたし、早く城に戻ってあげましょう」
そしてマシロさんが補足する。ヒイロさんの発言力は、すでにこの国の王をも凌駕しているのか。
「私のせいなら、私もその手伝いを……!」
「その必要はない。勇者アヤメ、そんな時間があったら、君は鍛錬に励め」
アヤメさんの言葉に被せるように、ヒイロさんが即答する。
「勇者アヤメ……君が生き残るには、君が強くなるしかない。君の仲間は頼りにならない」
振り返ると、タピさんとヴァレッタさんが思い切りヒイロさんに向かって舌を出しているのが見えた。ヴァレッタさんはレンさんの後ろに隠れて逃げ腰になりながらだが、二人ともヒイロさんの暴走に思うところはあったようだ。
「……精進します、みんなと一緒に」
「……」
「私は私の仲間と一緒に、強くなります」
アヤメさんが、拳を握り締めたままヒイロさんを見つめる。僕やタピさんのように、売り言葉にすぐさま食いつかないあたり、彼女は大人だ。
「……起きろ、マグマ」
ヒイロさんが僕たちに背を向けると、右手の指輪が青く光る。その直後、廃工場を埋め尽くすほどの巨大な青い竜が、指輪の魔法陣から召喚された。
「でかっ!?」
「ドラゴン!?」
タピさんとヴァレッタさんが声を大きくする。青い竜が真上に熱線を放つと、廃工場の天井は一瞬で蒸発した。さすが、マグマと名付けられた竜なだけある。
「僧侶ソラ、戦士マシロ、乗れ」
「失礼しまーす」
「……じゃあまたね、千歳」
ヒイロさん、ソラさん、マシロさんの三人が竜の背に乗る。
「……勇者アヤメ、健闘を祈る」
そしてヒイロさんたちは、一瞬で夕闇の空へと消えていった。僕は彼らの姿が見えなくなった後も、しばらくの間廃工場の天井があったあたりを眺めていた。
「……」
するとタピさんとヴァレッタさん、そしてレンさんまでもが、夕陽に照らされながら負け惜しみを口にする。
「……威圧にやられたか」
「……逃げ帰りましたね」
「……泡吹いたわあいつ」
…………この勝負、彼女たちの中では僕らの不戦勝……完全勝利、らしい。