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第57話 8-6 【裸の付き合いパート二】ビカム・ゴッデス

 今は初夏、賢暦けんれき千二十年七月五日の夜。世界一幸福な魔法使い、サイカ・ワ・ラノの自宅に、勇者一行が引っ越して来て二日目の夜。


「やっほー……」


ホーク様の屋敷で夕飯を終え、今日のところは解散となったため、僕とアヤメさん、ルリさんの三人はひとまず、自宅へと戻ってきた。お土産の玉子焼きをザックとアリスに披露してから、僕はいつもの鏡の森の巡回に向かった。その後温泉で一息ついていると、今日もアヤメさんが現れた。


「……僕は隠しますからね」


岩場にかけておいたタオルを手繰り寄せ、仮面をつける。


「……ごめんね、ありがとう」


アヤメさんは昨日と同じように、近くの岩場に腰を下ろすと身体を洗い始めた。


「なんかさ……お風呂入ってるときって、余計なこと考えちゃわない? 嫌なことばっかり思い出しちゃったりとか」


確かにここでは、よく父さんの幻覚を見る。生きていた頃、一緒によく入っていたからだと思う。


「だから気を紛らわせすための話し相手がほしい、ということですね。かわいらしくていいんじゃないですか」


皮肉っぽく言ってみると、アヤメさんが「うー」と唸った。


「私、これでもキュアソルではクール系で売ってたんだけどなぁ……」


「今のアヤメさんは、僕なんかよりもよっぽどかわいい系ですよ。かわいい系の称号は、アヤメさんにお譲りします」


「そう? ラノ君には勝てないと思うけどなー」


「そ、そんなわけないです」


「そんなわけあるってー……」


「…………」


アヤメさんが身体を洗っている間、僕は昨日と同じように口を噤んでいた。


「隣、いい?」


「……それは命令ですか?」


「そ、勇者様の命令よ」


「……仰せの通りに」


意味のないやり取りの後、アヤメさんは僕のすぐそばに腰掛ける。アヤメさんが湯舟の中で伸びをすると、昨日と同じ甘い石鹸の香りが漂ってくる。


「やっぱり露天風呂って最高……。こんなことなら、もっと早くラノ君のおうちに来とけば良かったかなー」


「心配しなくても、これからもずっと使えますよ。明日も明後日も、その先もずっと」


「……」


「いつかは、一人で入れるようになってほしいですけどね」


僕もアヤメさんも、目を合わせることなく前を向いたまま話を続ける。理由としては隣同士で座っているため……いや、そもそも僕は、アヤメさんのほうを見るわけにはいかない。


「明後日……ラノ君は予定とかあるの?」


七月七日。アヤメさんの元いた世界での彼女の命日。そして魔王城攻略の決戦の日でもあったが、ヒイロさんに女神が告げ口したことで一日だけ延期となった。


「……できれば、アヤメさんには一日ここにいてほしいと思っています。この森が、この世界で一番安全な場所だという自信はあるので」


鏡の森。行方不明になった僕のばあちゃん、サイカ・ワ系初代魔導師、サイコー様。シーカー・ワ・ラノの箱庭。絶滅危惧種の魔物や、国一つくらい滅ぼせそうな神獣が眠る楽園。


「頼もしいわね。そういえばタピの家で一緒に戦ってくれた、ヒーちゃんとかミーちゃんもこの森に住んでるの?」


ヒノトリのヒーちゃんと、オオミズウミウシのミーちゃんのことか。


「ええ。鏡の森はサイコー様が、魔物や神獣を守るために創った場所ですから。ここにいるものは、どんな運命からも守られる。もちろん、アヤメさんも」


「そいつは楽しみだね」


「……!?」


アヤメさんがいるはずの方向と反対側から、アヤメさんそっくりの声が聞こえた。反射的に顔を向けると、確かにそこには、アヤメさんとそっくりの顔が迫っていた。


「久しぶり、女神だよ。この世界の幸福を司る神様。君たちをくっつける、恋のキューピッド様」


「ヒューマンケイン・レディ」


「こ、言ノ葉声刃ーコトノハセイバー・レディ!」


異変に気づいたアヤメさんも同様に、湯舟から飛び出て武器を召喚する。一昨日の結界での件で、アヤメさんも女神のことは警戒しているようだ。


「ひどいなぁ。二人して女神に向かってその態度。ボクだって傷つくんだよ?」


「……どうやってここに?」


「どうやって? 女神に不可能なんてないよ。あ、君が明後日死ぬ運命は、変えられないけど」


「……」


女神は温泉に浸かったまま、アヤメさんの姿で足を組みアヤメさんを見つめた。


「しかし勇者さんさー、賢者をもっとあなたの虜にしてとは言ったけどさー、ちょっと大胆すぎじゃない?」


アヤメさんの姿をした女神のほうは、ちゃんと身体にタオルを巻いている。


「あ、それは女神からも言ってあげてください」


「だよねー。でも、脱げばいいと思ってるあたりまだまだお子様だよねー」


「こ、これはそういうんじゃなくて……」


アヤメさんが、召喚した剣で身体を隠す。いや、むしろそういう意図でやっててくれたほうが納得できるんだけど。アヤメさんは羞恥心どころか、危機感もないのか。


「ま、いいや。今日はこれを返しに来たよ」


「っ!?」


突如温泉に魔法陣が浮かび上がり、水飛沫を上げながら巨大な何かが雄叫びを上げた。


「名付けてゴッデスマーライオン。借りてた二段ベッドを改良して、女神の加護を薄めるお湯を吐き出すようにしたんだ。これで君も、魔族の子たちとも一緒に入れるでしょ?」


女神の言うことが本当なら、これでアヤメさんは、ルリさんやアリスと一緒に温泉に入れるようになる。それは良いのだが、黒金の獅子団……もとい鋼の獅子は、こちらに向かって牙を剥き出しにして唸り声を上げている。


「それにしては……敵意剥き出しに見えますが?」


「それはそうだよ。勇者が力を示さないと! あ、賢者君は手伝っちゃダメだよ」


次の瞬間、鋼の獅子の口から水流が放たれる。すると僕の前にアヤメさんが立ち塞がり、剣でその攻撃を防ぐ。


「やってやろうじゃない! フェイクファー・百華繚乱・ウェアウルフ!」


アヤメさんが人狼の毛皮を纏う。鋼の獅子は水流攻撃を止めると、前足で踏み潰そうと飛びかかってくる。僕とアヤメさんは、二手に分かれてそれをかわす。すると鋼の獅子はアヤメさんの避けた方向にまた水流を放つ。どうやら最初から、狙いはアヤメさんだけのようだ。


「このっ!」


アヤメさんは地面に剣を突き立て、それをギリギリでかわす。


「はぁっ!」


月夜に水飛沫が飛び散る。その光景は、まるで……。


「神に捧ぐ、舞」


いつの間にか子どもの姿に戻っていた女神が、岩場で胡座をかいていた。


「これは儀式だ。勇者が女神の前で舞い踊る。女神の加護を抑えるには、この儀式が必要なんだ。この儀式をもって、ゴッデスマーライオンは完成する」


「儀式……」


「昔は儀式なしでも好き放題できたんだけど、ボクももう年だからねー」


女神は岩場から飛び降りると、僕の隣で焼け焦げた布切れを広げた。


「それは……今日タピさんに渡して、即日焼却されたパーカーの残骸……?」


「今日はこの布を借りてくね。ちなみに、あの勇者に着てほしい服装とかある?」


「服装、ですか? 僕は普通の服を着てくれれば、何でも……」


「ちょっと! その言い方、私が露出狂みたいじゃない!」


アヤメさんが裸同然の衣装で鋼の獅子と戦いながら、文句を言っている。その格好で言われても……。


「彼女、余裕そうだね。命日の二日前だから、もっと塞ぎ込んでると思ったんだけど」


「命日には、ならないからです」


「それは君が、復活させるから?」


「……」


「実は女神の条件の一つに、勇者を復活させる儀式というのがあるんだ」


女神の、条件……?


「ほら、あの勇者は一度死んで、ボクが勇者として復活させたでしょ? そしてもうすぐ、君もあの勇者が死んだら、勇者として復活させるんでしょ?」


「……」


「君はもうすぐ、女神になる条件を満たす」


女神になる、条件…………。


「…………何が言いたいんですか」


「ボクは君に、次の女神になってほしいと思っているんだ」


女神が、僕に囁く。僕が、女神になる……?


「性別なんて些細なこと。それに君かわいいし。魔王なんかになるより、よっぽど世のため人のためになると思うよ?」


「……」


千年魔書魔炉せんねんましょまろを耐え切った君なら、大丈夫だよ」


「……そうですか。ですがその条件は、満たされることはありませんよ」


アヤメさんは、水飛沫を上げながら戦いを続けている。この会話がアヤメさんに聞こえていなかったのが、唯一の救いだった。


「そもそも僕は……アヤメさんをもう二度と、死なせたりしない」


「…………なるほどね」


「……」


「…………」


女神が布切れを羽織り、宙に浮いた。その顔から、感情が消える。


「…………では、足掻いてみせろ。そして無様に……絶望するといい」


そして、その姿も消え失せた。


「これは…………世界の意志だ」

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