今は初夏、
「またね、アヤメっち!」
「いざというときは、いつでも呼んでくれ!」
とは言え不確定要素を増やしたくないのと、誰かが誰かを庇って死ぬ事態を避けたかったので、三人には何かあったときに念話と転移で来てもらうことにした。
「アヤメ氏……また明後日、学校で」
明後日、ファムファタール女学院で待ち合わせてから、魔王城攻略の決起式典に参加するため王都へ向かうことに決め、今日のところは解散となった。
「……うん。またね」
僕とアヤメさん、ルリさんの三人は自宅へと戻り、魔鎧討伐のお礼にと農園から頂いた透明トメトをザックとアリスに披露してから、僕はいつもの鏡の森の巡回に向かった。その後一人で温泉に向かうと、ゴッデスマーライオンのマーちゃんが寝転がっていた。
「起こしてすみません。勇者様たちは、もういらっしゃいましたか?」
マーちゃんは顔だけをこちらに向けると、コクリと頷いてから元の体勢に戻った。この鋼の獅子は、女神の加護を薄めるお湯を生成できるらしい。これを温泉に混ぜたおかげで、勇者であるアヤメさんも、魔族であるルリさんやアリスとも一緒に入れるようになったようだ。
「ありがとうございます、助かりました。ご飯の好みが合わなければ、また教えてください」
すると彼女は、鏡の森で捕らえたらしいお魚の骨を咥えてこちらに放った。彼女はどうやら、お肉よりお魚のほうが好きらしい。
「なるほど、わかりました。魚系ですね」
鏡の森の生態系は、後で調整しておこう。彼女のお湯のおかげか、今日はアヤメさんも女神も、僕が温泉に入っているときに現れることはなかった。
「やっほー」
その後寝間着に着替え縁側で涼んでいると、同じく寝間着姿のアヤメさんが現れた。
「アヤメさん、まだ起きてたんですか」
「ラノ君だって」
僕は、水面の満月へと視線を戻す。朱色の橋の下では、ギンガメのギーちゃんとギンガ君が、ゴッデスマーライオンのマーちゃんが残したキャットフードを仲良くつついている。
「……温泉は、無事ルリさんたちと一緒に入れましたか?」
「ばっちり! マーちゃんを連れてきてくれた女神様に、感謝しないとね」
アヤメさんは僕の隣に座ると、置いてあった僕の仮面を抱えて畳の上に寝転んだ。
「アヤメさん……元はと言えば、全部あの女神のせいなんですよ? アヤメさんが勇者の役目を担う羽目になったのも、僕がアヤメさんを……」
言いかけて、慌てて止めた言葉の続きを、アヤメさんは穏やかな顔で口にした。
「ラノ君が私を生き返らせたら、ラノ君が女神になっちゃうことも?」
「……昨日の話、聞いてたんですか」
昨夜、アヤメさんがマーちゃんと戦っている間、女神から聞いた僕の役目。元いた世界で一度死んだアヤメさんを、女神が勇者として復活させたように、僕が死んだアヤメさんを復活させることで……僕は、女神になる条件を満たす。そして僕を次の女神にするのが……あいつの目的。
「私、ラノ君には魔王になってほしくないって言ったけど……女神様にも、なってほしくないって思った」
「……」
「前に女神様から聞いたんだけど……女神って、こっちの世界にずっといることができないんだって。自分の魔力が強くなりすぎるから、だったかな」
こっちの世界……。こっちの世界が人間の世界だとすると、あっちには、女神の世界とかがあったりするのだろうか。
「そんなの寂しいでしょ? せっかくラノ君にも、仲の良い友達ができたんだし。それにヴァレッタなら……仲の良い恋人にもなれると思う」
「……アヤメさん」
「タピもトゥーラも、ラノ君のこと認めてくれてるみたいだった。さっきお風呂で聞いたんだけど、アリスちゃんもすごくラノ君に懐いてるよね」
「アヤメさん」
「ルリだって、ああ見えてラノ君のこと、結構信用してるからね? マーちゃんとも、仲良くなってほしいし。だからラノ君には、人間のまま……みんなと一緒に生きてほしい」
「…………」
「だから明日……もし私が死んでも、ラノ君は私のこと生き返らせたりしないで、んうっ?!」
僕は仰向けに寝転ぶアヤメさんに覆い被さると、その口を自分の口で塞いだ。
「ん……」
「ぷはっ」
少し息苦しくなって口を離す。ビンタくらいされるかと思ったけど、アヤメさんは目を丸くしたまま、じっとしていた。
「…………不安なことや、心配なことがあれば、いくらでも教えてください。僕にできることは、なんだってします。でも、生きることだけは、諦めないでください」
「……」
「言葉は魔法なんです。口にしたことが、現実を書き変えることもある。クルミさんに励まされてきたアヤメさんなら、わかるはずです」
「クルミ、ちゃん……」
「もし今後また、さっきみたいなことを口にしたら、またさっきみたいなことしますからね!」
僕は起き上がり、アヤメさんの手から仮面を取ってつけた。寝間着にはフードをつけていないから耳は隠せないが、仕方ない。するとアヤメさんは寝転がったまま、口を開いた。
「…………じゃあ、さっきみたいなこと言ったら、またさっきみたいなことしてもらえるんだ」
「そうです。だから嫌なら…………。して、もらえる?」
アヤメさんは立ち上がり、大きく伸びをした。
「ありがと、ラノ君。長生きする理由が、一つ増えたかも」
「は……?」
「おやすみ!」
「あ、おやすみ、なさい……」
アヤメさんは振り返ることなく、アヤメさんとルリさんの自室のある離れのほうへと駆けていった。
「長、生き……」
もしかしたら僕は、アヤメさんの生きていたい理由に、なれたのかもしれない。
「……」
いや、生きていたい理由で、あり続けなければならない。そうすればあとは……僕の役目を、果たすだけだ。
「ヒューマンケイン・レディ」
僕は、お気に入りの赤い杖を呼び出した。
第三章【新たな仲間】完結
勇者アヤメの死まで、あと一日……?