部屋で兄が選んでくれたセーラースク水やニーハイに着替えると、意外にすごくかわいくて、ユズナはそれをかなり気に入ってしまった。
その日のお昼過ぎ、ナノカがユズナの家にやってきた。
彼女はユズナと同じ、セーラースク水を着ていて、白いニーハイを履き、頭には猫耳カチューシャをつけていた。
その格好は、ユズナよりも似合っていて、悔しいとか負けたとか思わないくらいに可愛かった。
恥ずかしそうにモジモジしているのが、 またよかった。たまらなかった。
わたしもお兄ちゃんの前でモジモジすればよかったと思った。
ヒメナさんと違って、彼女はユズナの家には一度も来たことがなかったはずだった。
そのヒメナさんは7年前に事故に遭い、今は筆談やタブレット端末を使って意志疎通がかろうじて出来るくらいらしいから、住所を教えることができるとは思えなかった。
どうしてうちがわかったの? と訊ねると、お父さんが知っていたから車で送ってもらったとナノカは言った。
兄はヒメナさんの高額な治療費やナノカの学費を払い続けている。
だから、彼女の父親が住所を知っていてもおかしくはなかった。
ナノカが兄に会ったのは昨日が7年ぶりのようだったし、兄はヒメナさんのお見舞いに行ったりはしていないのだろう。
「ユイトさん……お兄さんはいる?」
ユズナはナノカが自分に会いに来てくれたと思ったから、兄に会いに来たのだとわかりガッカリしてしまった。
ユズナだけでなく、ナノカの初恋の相手も兄だったと昨日聞いたことを思い出したりもした。
7年ぶりに会った兄は、ユズナのスク水を着てニーハイを履き、裸足でミライースを運転するような人になっていたけれど。
引いていたりはしていなかったから、もしかしたら7年ぶりに初恋の続きが始まってしまったのかもしれないと思った。
ユズナの初恋がなかなか終わらないように。
「お兄ちゃんなら出かけちゃったよ」
ユズナはそう言ったけれど、兄は実際には彼女にタコ殴りにされて、ボロ雑巾のようにリビングに転がっていた。
「そうなんだ。このかわいいスク水とかニーハイとか、わたしへのプレゼントだってお兄さんからのメッセージカードが入ってたから、お礼を言いに来たんだけど……」
明後日の月曜の朝には車で迎えに行くのだから、お礼なんてそのときでいいし、そもそも兄が勝手に送りつけてきたものにお礼なんて必要ないのにと思った。
ナノカは可愛いだけじゃなくて、とても律儀で、非の打ち所のない子だった。
「そうなんだ? じゃあ、お兄ちゃんに伝えておくね」
ユズナはせっかく来てくれたナノカと遊びたかったけれど、リビングに転がっているボロ雑巾が邪魔だなと思った。
だから、兄がいることに気づかれないように、2階にある彼女の部屋にナノカを案内することにした。
ユズナの部屋は、あまり女の子女の子したりはしていない。
中学生くらいの頃は、古民家カフェみたいなお洒落な部屋にしたいと思ったから、ブラウン管テレビの中身を抜いて作られた一点モノの水槽をお年玉を奮発して買ったりして、その中で金魚を飼ったりしていたけれど、今はもう金魚はいなかった。
その代わりに、兄といっしょに組み立てた水陸両用モビルスーツのプラモデルが何体も潜っていた。
そのすぐ隣では、全長1m超の巨大プラモ『HGUC デンドロビウム』が長大なビーム砲をいつも水槽に向けていたし、ガンプラ史上最大級の全高約860mmの『HGUC 1/144 ネオ・ジオング』などもあった。
USJで買ったデロリアンの模型のボンネットの上に、ガチャガチャの小さなフィギュアの朝比奈みくるちゃんが寝転んでいたりもしたし、運転席にはドラえもんが乗っていたりする。その他には仮面ライダーのフィギュアや変身ベルト、アニメやゲームのかわいい女の子のフィギュアなども飾られていた。
完全にオタク女子の部屋だった。
「ごめんね、こんなオタク丸出しの部屋で」
と、ユズナが謝ると、
「どうして謝るの? わたしの部屋もプラモデルはないけど、フィギュアとかアクスタばっかりだから全然大丈夫だよ」
ナノカはそう言って、スマホの中にあった部屋の写真を見せてくれた。
想像してた以上のオタク部屋で、ユズナは驚かされてしまった。
ナノカは自分の格好とユズナの格好を見比べて、
「なんだか双子コーデみたいだね」
と言って笑った。今もそういうのやってる子っているのかな、と。
双子コーデは、確か何年か前に流行ったもので、洋服の色や柄、アクセサリーなどのアイテムを、まるで双子のように揃えるファッションのことだったと思う。
ペアルックが恋人同士や夫婦間で行うのが多いのに対して、双子コーデは主に仲の良い女の子同士で行うものだった。
ユズナにはそこまで仲の良い友達はいなかったし、誰とも付き合ったことがなかったから、そういうことをしたことがなかったけれど、今のふたりは全く同じセーラースク水とニーハイソックスに猫耳カチューシャをつけていたから、本当に双子コーデみたいだなと思った。
「わたしね、今日は本当はユズナちゃんに会いたかったから来たんだ」
ナノカは、ユズナの隣に座るとそう言い、彼女の手を握った。
「ユズナちゃんのお兄さんにお礼を言いに来たっていうのも嘘じゃないけど、ユズナちゃんに会いたかったの。伝えたいことがあったから」
恋人同士がするような、指をからませる繋ぎ方だった。
その絡ませ方はなんだかとてもエッチで、ユズナはドキドキしてしまった。
伝えたいことというのは、この手の繋ぎ方と関係あるのだろうか。
「わたしは、お姉ちゃんみたいにお兄さんを取ったりしないから大丈夫だよ。お兄さんも、いくらわたしがお姉ちゃんに似てるからって、わたしを好きになったりしないと思うし」
ユズナが今不安に思っていることは、どうやらナノカには手に取るようにわかるようだった。
そんなにわかりやすい顔をしていたのか、一昨日見せてくれたギフト以外にもそういうギフトも彼女は持っているのかまでは、ユズナにはわからなかった。
「わたし、ヒメナさんのこと、嫌いだったんだ」
ユズナは彼女に正直に打ち明けることにした。
7年前のこととはいえ、友達になったばかりの女の子のお姉さんのことが嫌いだったなんて、言うべきじゃないということはわかっていた。
けれど、ナノカならきっとわかってくれると思った。言わなくてもわかっていてくれているのかもしれないとさえ思った。
「わたしも、お姉ちゃんのこと嫌いだったよ。大嫌いだった」
わたしたち似てるね、同じ男の人が初恋だったくらいだもんね、仕方ないよね、とナノカは続け、悲しそうに笑った。
――続いては、パナギアウィルスに関するニュースです。現在、渋谷のスクランブル交差点と中継が繋がっています。中継先の上浪(うえなみ)さん、聞こえますか?
ふたりで部屋でテレビを観ていると、ユズナたちの目に異常な光景が飛び込んできた。
――はい、上浪です。こちらは渋谷のスクランブル交差点です。ご覧ください。十代の女性を中心に、たくさんの女性がスクール水着やニーハイソックスを着用して交差点を渡っている様子がお分かり頂けますでしょうか。これは映画の撮影やフラッシュモブなどではありません。実際に現在全国各地で起きている異常事態です。
――まるで4ヶ月早いハロウィンのような光景ですね、國川(くにかわ)さん。
――ハロウィンにスクール水着で渋谷集まる人なんていないでしょう。まったく、これは本当に異常な光景としか言えませんよ。
それは、本当に異常な光景だった。
――やはり、5月31日に発表されたパナギアウィルスの感染・発症予防法が関係しているのでしょうか。
――そうでしょうね。ですけどね、スクール水着やニーハイソックスにパナギアウィルスの予防効果があるわけがありません。あんなデマを信じて、全国でこれと似たようなことが起きているなんて、日本は世界の笑い者ですよ。同じ日本人として私は恥ずかしいですね。
――しかし、國川さん、あなたは社会学者であって、医学はご専門ではないのでは?
――医学が専門じゃなくても、デマだということくらい、常識でわかることではないですか? わかりませんか? 志倉(しくら)さん。あなたは、一体何年報道に携わってるんです? あぁ失敬、あなたは確か元芸人、タレント崩れのキャスターもどきでしたかね。
――では、お聞きしますが、青カビからペニシリンが作れることは、当時、常識でわかったことでしょうか?
――それは常識です。実際にそうやってペニシリンは作られているわけですから。ですが、スクール水着がパナギアウィルスの予防に役立つなどということは、天地がひっくり返ってもありませんよ。
――私は、ペニシリンがまだ存在しなかった100年ほど前の時代に、青カビから肺炎や食中毒、化膿症などの治療薬となる抗生物質が作れるということが常識の範囲内だったのか、それとも常識の範囲外だったのかをお聞きしたつもりだったのですが。
――ですから、常識の範囲内ですよ。何度も言わせないでくださいよ。
――ペニシリンを発見したのは、イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングでしたが、では、どうして1928年まで発見されなかったのでしょうか? 当時から常識の範囲内であったなら、ペニシリンはもっと早く発見できたのでは?
「ヤバい人だね……この國川っていう社会学者の人……」
「うん、司会の志倉さんもヤバいけどね」
「ペニシリンを例に出したのは、たぶん、一般人の常識じゃ到底理解できないような、専門家にしかわかならないようなことがあるんだってことを言いたいんだろうけど……」
「この人たちはギフトのことも知らないだろうし、ギフトのせいでスク水とニーハイがそうなってるなんて、知らないんだもんね。」
テレビの中で繰り広げられる不毛な会話に、ユズナもナノカも呆れてしまった。