ヒメナさんを轢いた男が変死したことを不審に思った兄は、探偵に調査を依頼し、ヒメナさんの両親に手紙で報告していたらしく、その手紙をナノカは読んだことがあったらしかった。
たぶん実際には、兄は探偵に依頼したのではなく、自分が作ったプラモデルを脳波で遠隔操作し調査をしたのだろう。
オモチャ屋さんで買えるプラモデルは1/144サイズなら大体15~20cmほどの大きさだ。食玩のプラモデルならその半分以下の大きさのものもある。
どんな小さなプラモデルでも、兄ならビーム兵器やバズーカ、マシンガンなどの性能を設定に忠実に再現できるから、小型の無人スパイ用ドローンとして適任だった。
プラモデルがそのメインカメラやサブカメラ、マイクなどで見聞きした情報は、すべて兄の脳にインプットされるようになっていたはずだから、どんな探偵よりも優秀だった。
それを使う兄が優秀だったらの話だったけれど。
「その人、刃渡十三(はわたり じゅうぞう)って名乗ってて、綾城会(りょうじょうかい)系の暴力団の組員だったみたいなんだ。だけど、そんな名前の人はこの国に存在してなかったみたい。本名もわからなくて、下手したら戸籍もない人で、日本人かどうかもわからなかったんだって。逮捕されたとき、刃渡13センチの包丁を持ってて、その包丁はかなり使い込まれてたらしいんだ。料理人でもないのに、何に使い込んでたのかはわからないけど。だから、名前はそこから取ったんじゃないかって」
刃渡十三は、ヒメナさん殺しの依頼を受け、事故ではなく故意に彼女を轢いた? 車で轢くだけでなく、包丁で刺し殺すつもりだった?
だけど失敗したから、留置場で何者かに殺害され、変死や心不全として処理された?
そういうことだろうか。
なんだか、陰謀論のような話だったけれど、ナノカは真剣な顔をしていた。その顔は、先程まで愛し合っていたときと違い、ユズナが怖いと思うくらいだった。
だけど、ユズナにはひとつ疑問があった。
「お姉ちゃんは事故に見せかけて暗殺されるはずだったんだと思う」
どうしてヒメナさんが命を狙われなければいけないのか、ユズナにはわからなかった。
「暗殺? どうして?」
だから、ナノカにそう訊ねた。
「お姉ちゃんみたいなギフトを持つ人がいたら、病院や薬局や製薬会社が流行らなくなるからだよ」
ナノカの返答は、どんどん陰謀論じみたものになっていった。
だけど、どうやらそれは彼女の思い込みではないようだった。
ヒメナさんは、自分のギフトに気付いた中学生くらいの頃から、暇さえあればいろんな病院に顔を出していたらしい。
彼女のどんな病気や怪我も治療するギフトは、患者に直接触れる必要がなく、彼女の半径10メートルの中にいる人を一瞬で治療できるものだった。
彼女は病院の中を一通り歩くだけで、病院中の患者を治すことができた。
市内の病院だけでなく、県内の病院や隣県の病院にまで足を伸ばすようになっていたという。
ヒメナさんは何年も無償でそういうことをしていた。
世の中には、治りもしないのに治ると言って、病気や怪我で悩む人からお金を騙しとるだけじゃなく、ちゃんとした治療を受けさせもせず死なせるような悪い人がいる。
だから、ヒメナさんは本当に素晴らしい人だったんだなと思った。
「お姉ちゃんはきっと、慈愛とか博愛の精神だけじゃなかったと思うんだ。自分の力を世の中に知らしめたいって気持ちがどっかにはあったんだと思う。でも、善意からそうしてたのは間違いないと思うの。お姉ちゃんが治してあげた人たちはどうして自分が治ったのかわからないし、お医者さんにももちろんわからない。誰もお姉ちゃんの顔も名前も知らなかったはずなんだ。でも、7年前にはもう、どこにでも監視カメラがある時代だったから」
だからヒメナさんは、監視カメラの映像から顔や名前、住所などの個人情報を特定され、命を狙われたということなのだろう。
彼女が家族や兄のためだけにそのギフトを使っていたら、今頃ふたりは結婚していたかもしれなかった。
少なくとも、兄はそれくらい彼女を愛していたし、今も愛しているのだろう。
ユズナとナノカは義理の姉妹になっていたかもしれなかった。
だけど、そうはならなかった。
彼女はたくさんの人を病気や怪我から救ったけれど、それはしてはいけないことだったのだろうか。しない方が良いことだったのだろうか。
兄は、そのギフトで事故の真相を知ろうとしたし、ヒメナさんの命を必死にこの世界に繋ぎ止めようとした。
きっと、兄だけでなくナノカやふたりの両親も、出来うる限りのことをしてきたはずだった。
それが彼女にとって幸せなことだったのかどうかはわからなかったけれど。
ユズナもまた、自分のギフトでヒメナさんのために出来ることが何かないだろうかと思った。
成功するかどうかはわからないけれど、ユズナにはひとつ試してみたいことがあった。
だから、彼女はベッドから降りると、カーペットの上にあったスクール水着を着ることにした。ニーハイは履いたままだったからそのままでよかった。
猫耳のカチューシャを頭につけようとして、これはパナギアウィルスの予防とは全然関係なかったと気付き、テーブルの上に戻した。
「ユズナちゃん、どうしたの?」
裸で一緒にベッドにいたユズナが急にそんな行動に出たから、
「わたし、何か気に障ること言っちゃったかな……」
ナノカはとても怯えてしまっていた。
小動物のように身体を震わせるその姿は、昨日駅のホームのベンチで見たばかりだった。
目の前で震えているかわいいかわいい女の子が、いきなりユズナと手を繋いできたり、指をからめる恋人繋ぎにしたり、ただのキスだけじゃなく大人のキスまでしてきたのだから不思議だった。
お互いに四年前からずっと友達になりたいと思っていたとはいえ、ふたりは昨日友達になったばかりだった。
それなのに、ナノカは今日、それ以外にも胸を触ってきたりスク水を脱がしてきたりもした。
ふたりはそれ以上のかなりエッチなこともしていた。
だからユズナは、今度は彼女からナノカを抱きしめてキスをした。
そのまま、またエッチなことを彼女としたくなってしまったけれど、
「言ってないよ。わたしのギフトで、ヒメナさんを治せるかもしれないって思ったから着替えただけ。ナノカちゃんも着て? お兄ちゃんに車を出させるから」
それはまた今度にしようと思った。
「今日は、ヒメナさんは家にいる? お父さんやお母さんとどこかに出かけたりしてない?」
「出かけてないと思うけど……でも、どういうこと? だってユズナちゃんのギフトは……それに、今日はユイトさん、出かけてるんじゃなかった?」
そうだった。
今日は午前中から、主にアマゾンの段ボールの中身について、いろいろあったから、ユズナは兄をタコ殴りにしてボロ雑巾のようにしてしまっていたんだった。
それをナノカに悟られないように、兄は出かけていると嘘をついたことを、彼女はすっかり忘れていた。
「ごめんね、お兄ちゃんなら、ずっと下のリビングにいるんだ。一昨日、駅まで迎えに来たときとか、今朝のこのナノカちゃんのところにも届いたスク水みたいに、またセクハラするかもしれないって思って、いないって嘘ついちゃった」
昨日、ユズナは兄のオ○ホールのお会計をさせられたりもしていたけれど、そのことや兄をタコ殴りにしてボロ雑巾のようにしてしまったことは、やはり言えなかった。
だけどもう、あれからそれなりの時間が経っている。
顔はボコボコだろうけれど、車の運転くらいは出来るだろう。
「そうだったんだ……わたしのエッチな声、聞かれたりしてないかな? 大丈夫かな?」
それについて、ユズナは全く考えていなかった。
「ナノカちゃん、結構おっきな声出してたから、聞かれたかも」
そんな風にナノカにいじわるを言いながら、
「だって……ユズナちゃんが我慢しなくていいよって言ったから……」
彼女だけじゃなく、自分のエッチな声も兄に聞かれたかもしれないと、内心ヒヤヒヤしていた。