スク水を着て、猫耳カチューシャもつけてからリビングに下りてくるようナノカに言うと、ユズナは一足早く部屋を出ることにした。
ドアを開けた瞬間、
「昼間からお楽しみでしたね」
目の前に兄がいたので、
「ドラクエ1の宿屋の主人かワリャー!!」
ユズナはまた思わず足が出た。
生まれて初めての、壁を使った二段ジャンプからの飛び蹴りだった。
後に、ユズナ兄・ユイトは、「あれはね、まるでストリートファイターのチュンリーのようでしたよ」と、述懐することになる。
ぼくがガイルだったらサマーソルトキックをかましていたところですが、残念ながらぼくはガイルじゃなかったんです、と。
ユズナが振り返ると、ナノカは今にも泣きそうな顔を、湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にしていた。
兄にはすぐに車を準備するように頼み、早々にその場から立ち去ってもらうことにした。
ナノカにはあまりギフトを使いたくなかったけれど、ユズナは彼女の今の恥ずかしさだけをゼロにすることにした。
羞恥心自体をゼロにしてしまえば、ナノカは禁断の果実を食べる前のアダムやイブのように街を全裸で歩くようになってしまう。
だから慎重に今の恥ずかしさだけを取り除いた。
ユズナのギフト「±(ギブ・オア・テイク)」は、プラスをマイナスに、マイナスをプラスに変えることができる力がある。
プラスもマイナスもゼロに変えることもできた。
そのギフトを使って、彼女は理想の体重だけでなく、理想の体型、理想の胸の大きさ、理想の身長を維持したりもしていた。
ユズナの156cmという身長は、兄に昔「156cmになったら嫁にしてやる」と言われたことがあったからだった。
その元ネタが、漫画好きの父の部屋の本棚に今もある「南国少年パプワくん」だったことを知ったときは絶望したりもしたけれど。
それだけでなく、ユズナはプラスのものをさらにプラスにしたり、マイナスのものをさらにマイナスにすることもできたから、テストの点数を改竄することも出来た。
たぶん、それが彼女のギフトの一番ストレートな使い道だったが、それを思い付いたのは中学受験のさらに後、中2の学年末試験が終わった後だった。
ユズナが知る限り、テストというものはどんなものも大体0点から100点の範囲内にあり、マイナスの点がつくことはなく、101点以上もない。
だから、ユズナは試験中に大体何点取れそうかを考え、50点くらいならプラス40点(そんなことはまずなかったが)、70点くらいならプラス20点、80点くらいならプラス10点になるようにし、最終的に各教科90点前後にしていた。
そうやって、彼女は中3の最初のテストから、毎回学年10位以内に入るようにしていた。
食事のカロリーをゼロにしたり、身長や体重を維持したりすることは毎日していたけれど、テストの点数の加算は2~3ヶ月に1度くらいしか使わない方法であり、何が起きるかわからなかったため、テストはどの教科も必ずわかる範囲で回答し、白紙で提出したりはしなかった。
カンニングよりも悪いことをしているという自覚はあったから、普段から授業をちゃんと受け、予習や復習もした。テスト勉強も徹夜などの無理こそしないものの、ちゃんと勉強をした上での点数の加算だった。
私立に行くよう勧めてくれたのは両親や兄であり、お金の心配はいらないと言われていた。それでも家族にあまり負担はかけたくなかったから、ユズナは特待生になりたかった。学費の全額免除は無理でも、一部免除になるためだった。
なんて言ったところで、誰も、家族ですら納得するわけがないことはわかっていたから、その秘密は墓場まで持っていくと決めていた。
ギフトでプラスする点数は100点を超えないようにしていたが、一度だけ加減を間違えて100点を超えてしまったことがあった。
だが、どうやら上限があるものについてはそれ以上の数値になることはないようだった。下限もまた同じなのだろう。
ユズナがその気になれば、どんなに高価な買い物も無料にすることができるだろう。支払い金額をそのままマイナスにすれば、逆にその金額と同じだけのお金をもらうことができるかもしれなかった。
テストと同じように下限があり、ゼロになるだけかもしれなかったが。
ギフトというものは、人によって能力が全く異なる上、その能力自体も本人の捉え方次第で、さまざまな使い方を編み出すことができる。
だからユズナは、どうすればヒメナさんを治せるか必死で考えた。
兄には彼女と幸せになって欲しかった。
兄のことを好きな気持ちは、きっとこれからも変わらないだろう。
たとえ、スク水ニーハイで車に乗って駅まで迎えに来たり、ユズナだけじゃなくナノカにまでさまざまなスク水やニーハイ、猫耳カチューシャやヘッドドレスを送りつけたり、ナノカとの営み? お楽しみ? の最中の声に聞き耳を立てられたりしても。
あれ? やっぱりなんかムカついてきたな、あと何発かおみまいしないとダメだなとは思ったけれど、やっぱり兄に対する気持ちは変わらないだろう。
だけど、わたしの初恋は終わらせなきゃいけない。ユズナはそう思った。
いつまでも血の繋がった兄に恋をしてるなんておかしなことだったから。
「俺妹」のマナミさんがそう言っていた。
ユズナがあのアニメを観たのはブームが過ぎてから、だいぶ経ってからのことだったけれど。
ナノカと一緒に兄の車の後部座席に乗り込むと、
「ナノカちゃん、お願いがあるんだ」
「なぁに?」
ユズナはスマホをバッグから取り出し、メモ帳アプリを開いて彼女に渡した。
「7年前の事故のせいで、ヒメナさんが前は出来たのに出来なくなっちゃったこと、思い付く限り全部書き出して欲しいんだ」
同じ市内にあるナノカの家は、車で10分もかからない。
彼女に書いてもらってから兄に車を出してもらってもよかったし、車が彼女の家についてから書いてもらってもよかった。
でも、時間が惜しかった。
1分1秒でも早く、兄とヒメナさんを会わせてあげたかった。
「お姉ちゃんが出来なくなったこと? 喋るとか、歩くとか、ギフトとか、そういうことでいいの?」
「そう。そういうの全部教えて。わたしのギフトで全部治せるかどうかわからないけど、少なくともヒメナさんが自分でギフトを使えるようにはなると思う」
「どういうこと?」
そうか、その手があったか、と運転席の兄は言った。
ユズナが考えていることに気づいたのだろう。
「ナノカちゃんは、ユズナのギフト、超能力のような力のことは知ってるんだよね?」
「はい、ユズナちゃんから一昨日教えてもらいました。プラスをマイナスに、マイナスをプラスに出来るギフトだって。ゼロにも出来るんだよね?」
ナノカの問いに、ユズナは「そうだよ」と応えた。
「事故の後、っていうか、今のかな、今のヒメナの脳や体に残った怪我や後遺症をマイナスだと捉えたら、ユズナがギフトでそれをプラスやゼロに置き換えれば、ヒメナを治療することは可能かもしれない。そういうことだろ?」
「そうだよ」
「そんなことができるの?」
「できるかどうかは、やってみなければわからないけどね」
もしうまくいかなかったとしても、彼女の症状が今より悪化することはないだろう。
ダメだったときは、もうひとつだけ試してみたいギフトの使い方もあった。
「そっか。それでお姉ちゃんがギフトを使えるようになれば、あとはお姉ちゃんが自分で治せるように出来るんだ」
どうして思い付かなかったんだろうと、兄は悔しそうにしていた。
「お兄ちゃんは、ヒメナさんの事故のことをわたしに一度も話さなかったし、わたしを巻き込みたくなかったんでしょ?」
兄の中で最初からユズナのギフトに頼るという選択肢がなかったのだから、仕方のない話だった。
正直、水臭いなとは思っていた。
ヒメナさんが目を覚ましたときに相談してくれてもよかったのにと。
その頃にはもう、ユズナはギフトを使いこなしていたのだから。
けれど、7年前の自分の行動を思い出してみれば、兄がした選択は仕方のないことだとも思った。
それくらい、当時のユズナは、ヒメナさんのことを嫌っていた。