被害者の小学生の中には、兄のその友達の妹もいた。
加藤依子という名前の女の子で、その子はユズナと同じ小学校に通っていた。学年が違っていたからよくは知らない子だった。
けれどその子には麻衣という妹がいて、その妹がユズナの同級生だった。
そういう事件が起きたからなのかどうかはわからないけれど、両親や兄はかなり早い段階からユズナには中学から私立に通わせると決めていたようだった。
きっと事件のせいだったのだろう。
ユズナは、自分はともかく、ナノカが私立に通うことになってよかったと思った。
公立だと、ヒメナさんと同じ中学校に通っていたはずだ。
彼女が中3だった2年前に、その校内で殺人事件が起きていたことになるからだった。
6年と2ヶ月ぶりに見るヒメナさんは、車椅子に乗っていたり、目が虚ろだったりしていたけれど、それでもとてもきれいで、当時とほとんど変わらないように見えた。
ナノカが髪を整えたり、化粧をしてあげたからかもしれなかった。
ヒメナさんだと言われなくても彼女だとわかるくらい、当時のままに見えた。
けれど彼女は、両腕と両脚を失っていた。
ナノカが箇条書きで書き出してくれたメモの中に、彼女の手足が失われていることは書かれていた。
だから、覚悟はしていたつもりだった。
覚悟していても、驚かされた。
失った手足には、まるでターミネーターの中身のような、金属がむき出しになった義手と義足が付けられていたからだ。
人工皮膚のようなものはついておらず、皮膚にあたる部分も金属で作られていた。
ターミネーターの中身というより、鋼の錬金術の方が近いかもしれなかった。
ヒメナさんが失った手足も、ユズナがマイナスだと捉えさえすれば、それをプラスやゼロにすることでトカゲの尻尾のように生えてくるのだろうか。それとも、瞬時に手足があった頃の姿に戻るのだろうか。
トカゲの尻尾は、切れても筋肉に含まれる幹細胞が働くことで再生する。
尻尾の切断面に「芽(ブラステマ)」と呼ばれる組織が形成され、その組織に幹細胞が集まり、新しい尻尾の細胞に分化していき、筋肉がふくらんで新しい尻尾が生えてくるという仕組みだった。
人が手足を失ったとき、切断面にその「芽(ブラステマ)」が形成されることはないし、ユズナのギフトで「芽(ブラステマ)」を生み出すことはできない。
だから、再生するとすれば、瞬時に手足があった頃の姿に戻る形になるのだろう。
ユズナはナノカのメモを見ながら、ヒメナさんが失ったものをひとつずつ、元に戻していった。
手足はやはり、瞬時に再生し、義手や義足を吹き飛ばした。
「ンギィァッ!!」
義手が兄の顔やみぞおちにロケットパンチのように飛んでいったのを見て、ナノカに外してもらってから、再生するべきだったと反省した。
「わたしが治せるものは全部治したよ」
30分ほどで、ユズナはヒメナさんの体をほとんど元通りにした。
脳やギフトを元通りにするのは一番最後にした。
虚ろだった彼女の両目には生気が戻り、
「あなたたち……誰? ナノカ……ナノカはどこ……? 」
かすれた声で、ゆっくりと言葉を発した。
「そばにいるよ、お姉ちゃん。この人たちは、ユイトさんとユズナちゃんだよ」
「ユイトくんと、ユズナちゃん……? あれ……わたし……喋れてるの……?」
「ちゃんと喋れてるよ。久しぶりだね、ヒメナ……」
「本当に、ユイトくん……? 少し老けたんじゃない……?」
「大人になったんだよ。あれから6年2ヶ月も経ってるんだ」
「そうなんだ……そんなに……」
「お姉ちゃん、ユズナちゃんがね、お姉ちゃんを治してくれたんだよ」
「ユズナちゃんが……?」
「はい、ユズナです。ご無沙汰しています」
「大きくなったね……ユズナちゃんも……わたしみたいなギフトを持ってたんだ……?」
6年2ヶ月ぶりに、ユズナたちはヒメナさんと再会した。
ナノカは大粒の涙をこぼし、兄もまた泣いていた。
ヒメナさんも、もちろんユズナも。
「ヒメナさん、体の調子はどうですか?」
ユズナはヒメナさんに訊ねた。
「ナノカちゃんからヒメナさんの体や脳の後遺症を聞いたから、ほとんど治せたと思うんですが……」
「後遺症……? そっか……わたし……信号無視した車に轢かれたんだっけ……」
ヒメナさんには、植物状態から目覚めてからのこの2~3年の記憶があるはずだった。
記憶の混濁のようなものが少し見られた。
ユズナにとって初めて試すギフトの使い方だったからかもしれなかった。
「何年もナノカが毎日わたしの世話をしてくれてたよね……ありがとう、ナノカ……」
たぶん大丈夫そうだった。
「お姉ちゃん、腕や脚を見て。失くなっちゃってたのを、ユズナちゃんが元通りにしてくれたんだよ」
「ほんとだ……わたし、歩けるの……?」
「今日は無理かもしれないけど、すぐに歩けるようになると思います。弱ってた筋肉も元通りになってるはずだから」
「良かったね、お姉ちゃん」
「うん……ユズナちゃん、ナノカ、ユイトくん、みんな、本当に、本当にありがとう……」
ひとつだけ、ユズナには治せなかったものがあった。
けれど、それは彼女がギフトでどうにかできるはずだった。
それは、ヒメナさんの左胸、ちょうど心臓があるあたりに刻まれていた傷で、十字架を逆さまにした逆十字(ぎゃくじゅうじ)と呼ばれるものの右上にだけ、羽根のような「β(ベータ)」のようなものが描かれていた。
おそらく、彼女を轢き殺そうとした刃渡十三によってつけられたものだった。
刃渡が逮捕されたときに持っていたという包丁は、その傷を刻むためのものだったのかもしれない。
逆十字は、キリストの弟子で初代ローマ教皇だと伝えられている聖ペトロが処刑される際に、自身がキリストと同じ状態で磔にされるに値しないとし、逆さまに十字架にかかることを希望したことに由来する。
そのため、「聖ペトロ十字」と呼ばれることもある。
邪悪の象徴や反キリスト教的なイメージのものとして扱われることもあるが、カトリック教会でも使われるシンボルであり、キリスト教やカトリック、ローマ教皇をモチーフにしたペンダントとしても人気がある。
芸術作品の中に頭を下にして逆さまに十字架にかけられている聖人がいれば、それは聖ペトロだった。
ユズナたちの通う温水女学園は、カトリック系の学校だった。
カトリックの信者ではなかったけれど、そういう知識はそれなりにあった。
だが、羽根のような「β(ベータ)」がついていることから、ただの逆十字ではないのだろう。
ふたつが合わさることで、見知らぬ言語の文字のようにも見えたし、漢字のように一文字でも意味があるものなのかもしれなかった。
傷はそのひとつだけではなく、「β」と「βを左右反転させた」ようなものが一筆書きで描かれた蝶のようなものや、「疒(やまいだれ)」に見えるものなど、全部で12個、円を描くように刻まれており、時計の文字盤のようになっていた。
「わたしのギフトでは、胸にある傷だけは治せませんでした。ヒメナさん、ギフトは使えるようになっていますか? ヒメナさんのギフトなら元に戻せると思うんだけど……」
胸の傷? と、ヒメナさんは不思議そうにしていた。身に覚えがないものなのだろう。
「ユイトくん、ちょっと向こう向いてて」
「ん? あぁ、そうか。そうだね」
兄に見られないようにしていたけれど、その傷はわざわざ服を脱いで裸にならなくても、ワンピースの胸元を少しつまむだけで見ることができた。
「何だろう、これ……やってみるね……」
ヒメナさんは、ギフトを使おうとして、あれ? と、不思議そうな顔をした。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「ギフトが使えない……どうして……」
どうやら、彼女はギフトが使えないらしかった。
ユズナは確かに、彼女がギフトを使えるようにしたはずだった。
「たぶん、刃渡十三の仕業だよ」
兄はヒメナさんに背を向けたまま言った。