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第13話

「たぶん、刃渡十三の仕業だよ」


 兄はヒメナさんに背を向けたまま言った。

 いつの間にか、ヒメナさんの肩には兄の眷属のようなプラモデルがいて、胸の傷を覗き込んでいた。

 見慣れないプラモデルだった。


「サンボルちゃんも久しぶりだね」


 ヒメナさんはそのプラモデルの頭を撫でた。


「サンボルちゃんね、わたしがいないときもずっとお姉ちゃんのそばにいてくれたんだよ」


 ナノカもそのプラモデルとは顔見知りらしく、ふたりはサンボルちゃんと呼んでいた。

 おそらく、ヒメナさんが事故に遭う前から、兄はそのプラモデルをふたりの護衛につけていたのだろう。


 兄は一昨日、ナノカちゃんのことをすぐに彼女だとは気づかなかった。気づかなかったふりをしていただけかもしれないけれど、サンボルちゃんには自動操縦機能を搭載していたからなのかもしれない。

 遠隔操作を切って自動操縦にしておけば、サンボルちゃんがヒメナさんの体を拭いたり、トイレをさせたりしても、そういう見てはいけないものを兄が見ることはできなくなるからだ。


「刃渡十三? 誰なの? その人」


「お姉ちゃんを車で轢いた人だよ」


 刃渡が綾条会系の暴力団員だったことや、逮捕された後、留置場で変死したことまではナノカは伝えなかった。


「ヒメナは、『ヤマイダレ』という組織に命を狙われたんだ」


「医学会や病院、製薬会社の上位組織なんだって」


 ヤマイダレという組織について、ユズナは初めて知った。兄からはもちろん、ナノカからも聞いていなかった。

 彼女の胸の傷の中にあったヤマイダレに似たものと何か関係があるのだろうか。

 どう考えても関係がありそうだった。


「そう……わたしのギフトは、その人たちにとって都合が悪いものだったんだね……わたしはちょっと目立つまねをしすぎちゃってたのかな……」


 ヒメナさんはとても呑み込みが早かった。

 もしかしたら、ふたりが付き合い始めた頃にはもう、兄は彼女に忠告していたのかも知れなかった。

 命を狙われたこともあったのかもしれない。

 そうでなければ、彼女が事故に遭う前に、兄はサンボルちゃんを護衛につけたりはしなかっただろう。


 刃渡十三が刻んだそれは、ヒメナさんのギフトを封じるためのものだったのかもしれなかった。

 刃渡は、ただの暴力団くずれの殺し屋などではなく、ギフトを封じるギフトを持つ犠巫徒だったのだろう。

 もしかしたら、刃渡が持っていた包丁がギフトを持っていたのかもしれない。


「ユズナのギフトでも治せないってことは、その傷はヒメナのギフトを封じるだけじゃなく、それをどうにかしようとするギフトを無効化もするんだろうね」


 ヒメナさんの体を、事故に遭う前の17歳と3ヵ月と11日の状態に戻したとしても、傷が消えるかどうかはわからないということだった。


「このままでいいよ、ユイトくん」


 ヒメナさんは笑っていた。


「ギフトは使えなくなっちゃったけど、事故のせいで負った怪我や後遺症で話すこともできなくなってたわたしが、こんなに元気になれたんだから」


 さっきからずっと気になってたんだけど、と彼女は言い、


「どうしてナノカとユズナちゃんは、ふたりともそんなおかしな格好をしてるの?」


 と、不思議そうに言った。

 セーラースク水やニーハイのことだろう。

 すっかり忘れていた。

 ここは、田舎町とはいえ、民家が点在する町の中の一般道だった。

 ふたりの姿は、何も知らないヒメナには恥女にしか見えなかっただろう。


「流行ってるわけじゃないだろうし……もしかして、ユイトくんに何か弱みを握られてるの? ふたりとも、無理矢理着させられてるの?」


 そう言って、ヒメナさんはユズナの兄を睨んだ。


「ユイトくん、昔から好きだったもんね、スクール水着。プールの授業の時、女の子の胸の先っぽがプクッてなってるのが見えるんじゃないかって、眼鏡をかけたままプールに飛び込んだこともあったよね?」


 知ってはいたけれど、兄はド変態だった。

 ちなみに、スクール水着はもちろん、ほとんどの水着はそんなものは見えるようにはなっていない。


 兄は昔から、二次元、三次元問わず、そういう画像ばかりスマホやパソコンで集めていた。

「一軍」、「二軍」というフォルダがあったりもした。

 それが何の「一軍」かわかったのは、ユズナが中学生になってからだった。小学校の性教育ではそこまでは教わらなかったからだ。


 去年、AIによる画像生成ツールが一般に普及してからは、その癖(へき)にさらに磨きがかかっていた。

 兄は自分好みの女の子にスクール水着を着せた画像を作るようになり、「汲鈴ウル(くみすず うる)」、「空水ルゥ(すくみず るぅ)」、「来栖ミズキ(くるす みずき)」という、ボーカロイドみたいな名前をつけたりもしていた。


「確か、それで眼鏡をなくしちゃったから、わたしが視力を回復させてあげたよね? パットがあるからそうはならないよって教えたら、ユイトくん、エンエン泣いてちゃって……」


 泣いたんだ、お兄ちゃん……と、ユズナは呆れた。


「違うって。ぼくがユズナやナノカちゃんにそんなことさせるわけないだろ?」


「一応、このスク水やニーハイは、ユイトさんがプレゼントしてくれたものではあるけど……」


「しっ! ナノカちゃん、余計なことは言わないの!」


「ユイトくんがナノカにプレゼント? どういうことなのかな?」


「ほら~、こうなるから~」


 3人のやりとりがおもしろくて、


「ヒメナさんの中でもお兄ちゃんは、やっぱりそういう認識なんだね」


 ユズナは思わず笑ってしまった。

 こんな兄を好きになってくれた同い年の女の人がいたことが、それがヒメナさんのような人だったことが、今のユズナには嬉しかった。


「お姉ちゃん、疲れたでしょ? 少し肌寒くなってきたし、今日はもう休もう?」


「うん、そうだね。ふたりをそんな格好でいつまでも外にいさせるわけにいかないしね」


 ヒメナさんは、また兄をギロリと睨んだ。


「それじゃあ、ユイトくん、ユズナちゃん、またね。本当にありがとう。ナノカも、サンボルちゃんも」


 サンボルちゃんは嬉しそうに、空に向かってビームライフルを撃った。

 いきなりそんなものを撃つから、真上の空に飛行機が飛んでいて、翼や胴体を貫通したりしてないか、ユズナは慌てて確かめた。そんなことはなかったからホッと胸をなでおろした。


「この格好のことは、あとでゆっくり説明するからね」


 ナノカはそう言って、


「じゃあ、ふたりとも、また月曜にね。ユイトさん、月曜の朝から送り迎えお願いします。」


「うん、7時半くらいに迎えに来るよ」


「ユイトくんがナノカの送り迎え? 何それ、どういうこと!?」


「はいはい、それもあとでゆっくり説明するから」


 ヒメナさんを車椅子ごと家の中に引っ込めた。


 ナノカはすぐにユズナのところに戻ってくると、彼女の耳元で「大好き」と言うと家の中に入っていった。

 かわいすぎて、ユズナはニヤニヤが止まらなかった。



 帰りの車の中で、助手席から運転する兄の顔を見ると、とても険しい顔をしていた。


「どうしたの? お兄ちゃん、何か考え事?」


 だから、ユズナはそう聞いた。


「ユズナ、気にならなかったか?」


「何が? ヒメナさんの胸の傷のこと?」


「それもあるけど、ナノカちゃんはどうしてわざわざヒメナを外に連れてきたのかな」


 それは確かにユズナも気になってはいた。


「家の中が散らかってるからとかじゃない?」


「もしかしたら、あの家の中にはぼくたちに見られたくないものがあるのかもしれない」


 その可能性もユズナはもちろん考えていた。

 だけど、そこまで気にするようなことでもないと思っていた。

 けれど、兄は違っていた。


「あの家には、ふたりの両親がいるはずだった。車が2台とも車庫にあったからね。それなのに、両親はふたりとも顔を見せなかった。ヒメナの体が元通りになっても、ナノカちゃんは両親を呼びに行きもしなかった。どうしてだと思う?」


「それは……」


 ユズナにはわからなかった。


「バスを使ったり、タクシーを呼んだりして出かけたのかもしれないよ? ほら、旅行に行くときとか、駅前の駐車場代が結構高いから、うちもいつもそうしてるでしょ? 」


「いくらナノカちゃんやサンボルがいるからって、あんな状態だったヒメナを置いて夫婦だけで旅行に行くかな?」


 確かに考えられなかった。


 今日、ユズナがギフトでヒメナさんを治せたのも、偶然のようなものだった。

 一昨日、ユズナがナノカと出会わなければ、今日の出来事は起きないことだったし、ユズナがヒメナさんを治せるということは、彼女のギフトを知る兄ですら思い付かなかったことだった。


「お父さんはいるはずだよ? ナノカちゃん、お父さんに車で送ってもらったって、うちに来たときにそう言ってたから」


 両親がふたりとも出かけているとは限らなかった。

 外に出てこなかっただけで、父親は家の中にいたのかもしれない。


「それはおかしいな」


「どうして?」


「車庫にあった車、2台とも車検が切れてたんだよ。何年も前にね」


「どうしてそんなことがわかるの?」


「ユズナはまだ知らないか。車には車検シールっていうのがあるんだよ」


 車の免許がないユズナは知らなかったが、車検に通ると車検証とともに車検シールというものが交付されるのだという。


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