ナノカは前のふたりに見せつけるように、ユズナにキスをした。
ふたりもキスくらいはしたことがあっただろう。
けれど、ナノカがしてきたのは、ふたりがまだしたことがないだろう舌を絡める大人のキスだった。
ナノカとのキスは、ユズナの脳がとろけそうになる。兄やヒメナさんがいるからと拒否することもできないくらいだった。
一体どこで彼女はこんなキスを覚えたのだろう。同じ舌の枚数とは思えなかった。
自分も同じくらいうまくできているだろうか。ナノカの脳をとろけさせたかった。
彼女はまたユズナの胸を触ったりしてきたけれど、抵抗できなかった。すぐそばについこの間まで大好きだった兄がいるというのに、抵抗したいと思わなかった。
兄はふたりの関係を知っていたが、ヒメナさんは何も聞いていなかったらしい。口をあんぐり開けて、ルームミラーに映るふたりを見ていた。生唾を飲み込む音が聞こえてきた頃には、ルームミラーでなく、振り返ってふたりを見ていた。
ふたりが何度もキスをしているうちに車は学校についてしまった。
ユズナはとてもこれから授業を受けられる状況ではなくなっていた。ナノカともっとエッチなことがしたくて、下腹部がウズウズしていた。
ナノカもそうだったのか、
「続きは、お昼休みにね」
と言った。
温水女学園のまわりには、大勢の人だかりが出来ていた。その人だかりを何人もの教師たちが必死で制していて、スク水を着た生徒たちが頭を下げたり、カバンで顔を隠すようにして、校門に向かって歩いていた。
パナギアウィルス対策で制服をスク水にした最初の学校だったから、マスコミが押し掛けてきているのだなと思った。だけど、撮影機材を観る限り、とてもマスコミには見えなかった。
スマホや、スマホを取り付けた自撮り棒を持った人たちばかりだったから、YouTuberか盗撮目的の人たちなのだろう。
SNSやテレビで話題にならなければ、こんな事態にはなっていなかっただろう。
人は、いつの時代も必ず、文明の力の使い方を間違える。間違い続けている。
兄はユズナとナノカ、そしてヒメナに頭を窓の下まで下げ、両手で耳を塞ぐように言うと、けたたましくクラクションを鳴らすだけでなく、運転席の窓を少し開け、大音量で歌を流した。
兄が流したのは、Vtuberしぐれういの「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」だった。
「何この曲……頭がおかしくなりそう……」
兄だけでなくユズナもその歌が大好きだったけれど、ヒメナさんが6年2ヶ月ぶりに聴く音楽がその歌なのは、少しかわいそうだなと思った。彼女は確か、クラシックやジャズが好きだったからだ。
妹の方はノリノリだったけれど。
兄はおそらく、動画に音楽がつけば何でも良かったのだろう。スク水に群がるロリコンを本当に粛清したかったのかもしれないけれど、おそらく選曲はたまたまだった。
歌には著作権問題が発生し、YouTuberたちが得るであろう広告収入のうちのかなりの部分が、JASRACに持っていかれることになるからだ。ういママにもたぶんお金がいくことだろう。
それを避けるために動画編集の際に音楽を消すこともできるが、それでは他の音声まで消えてしまい、それっぼい音を足したところで臨場感が皆無になってしまう。
YouTuberや盗撮犯たちから罵声を浴びせられながらも、兄はなんとか車で校内に入り、高等部の校舎のそばまで送ってくれた。
撮影を邪魔された彼らの怒りは相当なもので、悪質な撮り鉄以上にひどい罵詈雑言が飛んでいた。
兄はこういうことになると見越していたのか、何体かのプラモデルを窓から出撃させ、彼らのスマホを破壊させたりもしていた。
だから、ユズナもナノカもヒメナも、おそらく誰にも盗撮されずに済んでいた。
「ありがとう、お兄ちゃん。いい選曲だったよ」
「ほんと、いい気味だったね」
「あの曲、ふたりとも知ってるの?」
「知らない人はお年寄りくらいなんじゃないかなぁ……再生回数エグいから」
「そうなんだ……時代は変わったんだね……初音ミクが中学校の給食のときに校内放送でかけるのが禁止になったり、卒業式で歌うことになったときも、かなり驚かされたけど……」
「お姉ちゃんの母校、民度が激ヤバだったんだね……でもまぁ、仰げば尊し我が師の恩をゴリ押ししてくるような勘違い教師がいるような学校よりはマシかな。あと国歌斉唱にいちいち難癖つける教師とか」
「ユズナ、何時に迎えに来ればいいかな?」
「四時半くらいにお願いできる?」
「わかった。どこまで来れるかわからないから、着いたら場所を連絡するよ」
「うん、ありがとう、お兄ちゃん」
「ふたりはこれからデート? わたしたちのキス見て興奮してたでしょ?」
ナノカに言われ、ふたりは顔を真っ赤にしていた。
「ユイトさん、お姉ちゃんがいいならホテルに行ってもいいけど、お姉ちゃんね、今スマホ持ってないから、一緒に契約しに行ってあげて」
ふたりは逃げるように車を出し、校門の外に向かった。
人だかりの中からまた、あの歌が聞こえてきた。
車を見送るふたりに、
「車でこんなところまで来るなんて非常識だって思わないの!?」
そう声をかけてきた少女がいた。
悪役令嬢・谷塚リオ(やつか りお)だった。
「リオちゃんの言う通りよ! それに何あの曲、あんな曲をうちの学校の前で流すなんてどうかしてるわ!!」
「そうよそうよ!!」
「え? あれ? わたしは何を言えばいい?」
リオはその手下の三馬鹿……三銃士? の本倉ミユウ(もとくら みゆう)、緋色ユウリ(ひいろ ゆうり)、潮時カナ(しおどき かな)を引き連れていた。
「ユズナちゃん、この人たち誰?」
「ラノベとかアニメに出てくる悪役令嬢ポジの人かな」
「あー、だから取り巻きがいるんだ? 不良とか暴走族と一緒で一人じゃ何にもできない人たちなんだね」
「言ってくれるわね……あなた、確か3組の……」
リオたちは「くっ、この……」といういかにも悪役という顔をしていた。
「鶴房ナノカだよ。わたし、ユズナちゃんと付き合ってるから。邪魔しないで」
「つ、つ、つ、付き合ってる……?」
「そうだよ。行こ? ユズナちゃん」
「う、うん……」
ナノカはユズナの手を握ると、その場をあとにした。
「あの人たち、わたしと同じクラスなんだけど……」
正直なところ、ユズナはあまり彼女たちを刺激したくなかった。
ナノカとそういう関係にあることもふたりだけの秘密にしたかった。
女の子同士で付き合っている子たちは何組もいたし、別に珍しくもなかったけど、彼女たちに知られればその日のうちに学年中に噂が広まってしまう。
「そうなんだ? じゃあ、わたしのカバンの中に入れちゃう? そしたら、自力じゃ出てこれなくなるよ」
ナノカはそんなことを言った。
彼女が両親にしたんじゃないかとユズナと兄が疑っていたことだったから、自分から言っちゃうんだと驚かされた。
「それか、ユズナちゃんがあの子たちの年を17引いちゃうとか。17じゃ足りないかな。18引いた方がいいかな。生まれる前まで戻したら、あの人たちはたぶん生まれてこなかったことになるよね」
たぶん、そうなるのだろう。
今年17歳になるか、もうなってるかという年だから、年齢を17引けば、生まれてきたばかりか、まだ母親のお腹の中にいた頃の姿に戻ることになる。
18引けば、受精卵が細胞分裂している途中か、受精する前にまで戻るのだろう。
そんな状態で校舎のそばに転がっていれば、彼女たちはすぐに死んでしまうか、存在自体が消えてしまう。
「神隠しって案外、わたしやユズナちゃんみたいなギフトを持ってた人たちが起こしてたのかもね」
校舎の入り口の靴箱でローファーから上履きに履き替えながら、ナノカは楽しそうに笑っていた。