「神隠しって案外、わたしやユズナちゃんみたいなギフトを持ってた人たちが起こしてたのかもね」
校舎の入り口の靴箱でローファーを上履きに履き替えながら、ナノカは楽しそうに笑っていた。
「知ってた? この国では年に10万人くらい行方不明になる人がいるんだよ。きっと、昔も今もわたしたちみたいにギフトで神隠しっぽいことができる人がたくさんいるんだよ」
「ナノカちゃんは、お父さんとお母さんもそうやってカバンの中に入れちゃったの?」
ユズナは思わずそんなことを訊ねてしまっていた。
昨日、兄といろいろ計画を練っていたけれど、計画がすべて台無しになるセリフだった。
だけど、これで兄や自分がナノカにかけている疑いを晴らすことができるかもしれないと思った。
「気づいてたんだ? やっぱりユズナちゃんはすごいね」
ナノカは靴箱のすぐそばにある階段を一気に駆け上がり、踊り場からユズナに向かってそう言った。
疑いを晴らすどころか、ナノカは簡単にそのことを認めてしまった。
たぶん彼女には悪いことをしたという意識が全くないのだろう。
ユズナは1段ずつゆっくりと階段を上っていった。
最初に両親の不在に気づいたのは、ユズナではなく兄だった。
「ナノカちゃんの家にあった車、車検が切れてたからね」
それは、ユズナには気づけないことだったけれど、兄ではなく自分が気づいたことにした。今ならまだ兄を巻き込まなくて済むかもしれなかった。
「あ~~、それかぁ~。それは気づかなかったなぁ~。すごいのはユズナちゃんじゃなくてユイトさんかな? 車の車検が切れてるかどうかなんて、免許を持ってないユズナちゃんには気づけないよね? わたしも今初めて気づいたくらいだし」
でも、駄目だった。しっかり兄を巻き込んでしまった。
「ヒメナさんを治すとき、わたしやお兄ちゃんを家に入れた方が絶対早いはずなのに、ナノカちゃんはわざわざヒメナさんをベッドから車椅子に動かして外に連れて来たでしょ? だから、家に入れたくないんだなって思ったんだ。家の中にわたしたちに見られたくないものがあるんだなって」
「家の中にうちの親の死体があるとか思ったんだ?」
「最初はね。でも何のにおいもしなかったし、ナノカちゃんのギフトのことは聞いてたから、そのカバンの中に入れたんだろうなってすぐにわかったよ」
気づいたのは翌日の昨日の昼過ぎのことだったけれど。
「どうして、そんなことをしたの? ヒメナさんのことが原因? お父さんとお母さんがお金がないからってヒメナさんを尊厳死させようとしたのが許せなかった?」
「お姉ちゃんは関係ないよ」
「じゃあ、どうして?」
「わたしがパナギアウィルスに感染して発症したとき、2週間40度以上の熱が出て死にかけてるのに、何にもしてくれなかったから。病院にも連れていってくれなかったの。何もしてくれない親なんて、いない方がマシでしょ? いなくてもうまくやれてるし。いない方が楽なくらいだし。お姉ちゃんに親のこと聞かれたから、親には捨てられたって話した。そしたら『ナノカだけはわたしを見捨てなかったんだね』って褒めてくれたよ」
ナノカはすでにパナギアウィルスに感染・発症し、赤ちゃんが作れない体になってしまっていたらしかった。
スク水を着ていたから気づかなかった。
発症済みならスク水を着る必要はなかったからだ。
パナギアは一度発症すれば赤ちゃんが産めない体になる代わりに抗体が出来て、二度とかかることはない病気だと言われていた。
「でも、パナギアウィルスは去年の暮れからのものでしょ? 車検はそれよりもずっと前、3年前には切れてたよ」
「国がウィルスの存在を公けにしたのが去年の暮れだっただけ。パナギアは2020年のはじめにはもう、国内に最初の感染者がいたんだ。その人は感染しただけで発症はしなかったから、パナギアウィルスを撒き散らした張本人なのにどこの誰かもわからないの。だけど、国内最初の発症者が誰かはわかるよ」
わたしだったからね、とナノカは言った。
「わたしが感染して発症するまでの間に、この学校の生徒はかなりの数、パナギアウィルスに感染したんだ。感染した人たちは、もちろんみんな発症してる。そのことに気づいてない子もいるはずだよ。
小等部の子たちは初潮が来てない子もたくさんいただろうし、まだ来ないのかなって思ってるかも。中等部や高等部の子はパナギアになってないのに、妊娠もしてないのにどうして生理が来なくなったのか不安でいっぱいだろうね。
気づいてるけど誰にも言わないし言えないだけ。インフルエンザだって言われてたし、パナギアにかかったことがあるってだけで後ろ指さされるどころか、今の世の中はSNSで晒しあげて社会から排除しようとしてくるから」
そういえば、中1の3学期にユズナたちの学校ではインフルエンザのクラスター感染が起きていた。
ユズナはたまたまかからずにすんだけど、クラスの半分近くの子たちがインフルエンザになっていた。
あれがインフルエンザなどではなく、パナギアウィルスだったということなのだろうか。
「スクール水着とニーハイソックスがパナギアウィルスの感染・発症対策になる」なんていう、まともな感性を持っていたら到底信じられないような学説を採用し、この学校が全学生の制服をスクール水着にすることによって一早く感染・発症対策を始めたのは、3年前にはもうインフルエンザではない何かの発症者がかなりの数いたことを知っていたからかもしれない。それがパナギアだと今さらになって気づいたからかもしれなかった。
そのことを隠し続けていれば、将来的に裁判沙汰になるかもしれない。
だから、何も知らなかった、対策はしっかりしていたと必死にアピールしようとしているだけかもしれなかった。
カトリック系のこの学校では、病気は試練として受け止め、神に信頼を寄せることが大切だと教えられていた。
ーー病気は「世の常」で、誰にでも起こりうることです。
ーー神は苦難を共に背負い、私たちと共に歩んで下さいます。
ーー病気で苦しむ自分に目を留め、不安と孤独と失望に沈むときも、支えてください。
ーー病気を試練として受け止め、それに耐えさせてください。
ーー苦しみを御子キリストの十字架に合わせ、罪を償います。
ーー御子キリストによって多くの病人をいやしてくださったように、あなたのいつくしみ深い手をさし伸べてください。
ーー病気が治るか治らないかは神様の領域のことで、人には分からないことです。
ーー神に信頼を寄せるなら、私たちのために逃れる道が備えられていることを知るでしょう。
そう教えていた大人たちが、生徒たちの感染や発症を必死で隠蔽しようとしているのが今のこの学校だった。
カトリックと病気についての関係で真っ先にユズナの頭に思い浮かんだのは、マザー・テレサだった。
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者であり、聖人だとされている。
45年以上の長きにわたり、貧しい人、病める人、孤児、末期の人たちのために尽くしてきただけでなく、インドから世界中に広がった彼女の信徒たちを導いてきたとし、ノーベル平和賞も受賞している。
世界中の人々から讃えられ、各国の政府や組織から称賛を受けた彼女だったが、生前から彼女に対する批判や告発、抗議の声は少なくなかった。
改宗の強制、独裁者との疑わしい関係、収益の不適切な管理、それに、質の悪い医療などだ。
最悪だとされていたのは、彼女が慈善のためのお金を浪費していたことだった。
要するに中抜きだ。
彼女はその生涯で、100カ国で計517の慈善活動を行ったが、医療を求めた者はほとんど診療してもらえなかったという。
医師は、不衛生な環境で診療をしなければならず、食料も不十分、鎮痛剤すらなかった。決して資金が足りなかったわけではなかった。
彼女の呼びかけは海を越えていたからだ。診療環境が十分でなかったのは、彼女が「苦しみと死に対する独特の信念」を持っていたからだという。
マザー・テレサはかつて、ジャーナリストの投げかけた疑問に対して、こう語っている。
「キリストの受難のように、貧しい者が苦しむ運命を受け入れるのは美しいものです。世界は彼らの苦しみから多くのものを得ています」
彼女にとって、貧しい者がろくな治療を受けられずに死んでいく様は、きっと至極のエンターテイメントだったのだろう。
そう思われても仕方がないセリフだった。
そんな彼女は、晩年には最新の医療が受けられる病院で病気の治療を受けていた。
彼女の崇高なイメージは、事実と異なり、弱体化したカトリック教会によるポジティブキャンペーンの結果でしかなかった。
ここはそんな流れを汲む学校だった。
だから、大人たちが必死で隠蔽しようとしているのは仕方がないことなのかもしれなかった。