「この子とは……鶴房ナノカ(つるぼう なのか)さんとはお友達? それとも、樽美さんはたまたま通りがかっただけ?」
「友達です」
と、ユズナははっきりそう答えた。
正確にはついさっきまではキスやエッチなことをする仲で、今はこれから友達になるところだったけれど。
「そう……この子にもやっと友達が出来たのね……よかった……」
ナノカが友達が少ない子なのだろうということは何となくわかってはいた。
けれど、養護教諭から心配されるレベルだとは思っていなかった。
ユズナも友達は決して多い方ではないが、話をするくらいの仲の子はクラスに何人かいたし、悪役令嬢リオ一派のように何故かはわからないけど突っかかってくる相手もいた。
だから、学校で孤独を感じることはほとんどなかった。
ちょっと手のかかる子だけど、いい子だから見捨てないであげてね、と養護教諭はユズナに言った。
「はい。そのつもりです」
ユズナはそう言い、
「すみません、先生のお名前を教えてもらってもいいですか?」
失礼を承知の上で訊ねた。
「矢動丸マリエ(やどうまる まりえ)。マリーちゃんって呼んでね」
「矢動丸先生、ナノカちゃんのこと、よろしくお願いします」
ユズナは彼女をマリーちゃんと呼ぼうかなと少し考えたが、やめることにした。
「え? マリーちゃんって呼んでって言ったばかりなんだけど……」
矢動丸先生が白衣の下にスク水を着ており、ニーハイを履いているのを見てしまったからだった。
兄と同類のヤバい人だと思ったから塩対応を決め込むことにした。
ナノカが目を覚ますまでそばにいたかった。
けれど、彼女のことは矢動丸先生にまかせるしかなかったから、ユズナは大人しく教室に向かうことにした。
――鶴房ナノカちゃん、目が覚めたかな? 樽美ユズナです。
中等部の入学式の日に一度だけ目が合ったんだけど、覚えてるかな。
わたしは、ナノカちゃんも知ってる、樽美ユイトっていう人の妹だよ。
今日は、2023年の6月5日です。
ナノカちゃんは今、4年分の記憶がなくなってて、とても不安だと思います。
だから、一度深呼吸をして、ゆっくりこのメッセージを読んでね。
わたしにはナノカちゃんやお姉さんのヒメナさんみたいに、超能力みたいな不思議な力、ギフトがあるんだ。
ナノカちゃんの良くない記憶を消したっていうか、記憶や体を、いろんな嫌なことを経験をする前の状態に戻しただけだから、何も心配はいらないからね。
でも、嫌なことばかりじゃなくて、いいこともあったんだよ。
わたしたちがお友達になれたこととか、ヒメナさんが目を覚ましたり、事故の怪我や後遺症が治ったりとか。
良くない記憶だけを消すことはわたしには出来なかったから、記憶や体を4年前まで戻すしかなかったんだ。ごめんね。
ナノカちゃんは今、高等部の2年生で、2年3組がナノカちゃんのクラスです。席は窓から二列目の、前から3番目みたい。さっきナノカちゃんのクラスの子から聞きました。
右隣の席の若崎エミリ(わかさき えみり)ちゃんという女の子です。ショートカットで小麦色の肌をした、ボーイッシュな感じの子。でも、スポーツとかは全然してないんだって。
エミリちゃんも、ナノカちゃんとお友達になりたいって言ってたから、わからないことがあったら彼女に聞いてみてね。一時的な記憶喪失だって言えば、たぶん親身になってくれると思うから。
ナノカちゃんがスクール水着を着ているのは、パナギアウィルスっていう流行り病にかからないようにするためです。だから脱がないでね。詳しいことは養護教諭の矢動丸先生に聞いてください。ちなみに、その先生の白衣の下のスク水は脱がしても大丈夫です。
この学校の生徒はみんな、もちろんわたしも今は毎日スクール水着だから。
それから、ナノカちゃんのカバンの中には、ナノカちゃんのお父さんとお母さんと、それから知らない男の子が何人かいるみたい。
男の子たちは別に外に出さなくてもいいけど、今日家に帰ったらお父さんとお母さんは外に出してあげてください。
お昼休みに3組に遊びに行くね。どこかで一緒にお弁当を食べようね。
ナノカやその家族の問題は一通り解決を迎えそうだったが、問題はひとつ解決すれば、新たな問題が発生するようになっているらしい。
ユズナの悩みの種は山積みだった。
休み時間に開いたネットニュースサイトに、
「パナギアウィルスの画期的な感染・発症対策を発表した城南大学医学部の村角 龍(むらずみ りゅう)、村角陽貴(むらずみ はるき)両教授、実験中に事故死」
そんなニュースを見つけてしまったからだった。
「帝国大学医学部・馬詰完吾(うまづめ かんご)教授、パナギアウィルスに関する城南大学医学部教授らの学説を完全否定」
「パナギアウィルス、20代女性初の発症を確認。発症対象年齢を30歳まで引き上げ」
「湯屋傳製薬(ゆやでんせいやく)、パナギアウィルスワクチンの開発に成功、量産へ。9月にはワクチン接種開始の見通し」
そんなニュースもあった。
村角 龍・村角陽貴両教授は事故死とあったが、きっと事故に見せかけられて殺されてしまったのだろう。
ヒメナさんが命を狙われギフトを封じられたときと同じように、「ヤマイダレ」という医学会や病院、製薬会社の上位組織によって殺害されたとみて、まず間違いなかった。
スクール水着やニーハイがパナギアウィルスの感染・発症対策として広まってしまえば、せっかく完成した湯屋傳製薬のワクチンを量産しても接種者が少なくなり売れなくなってしまう。
国内トップの帝国大学医学部の教授がふたりの学説を否定するだけでなく、ふたりを事故死に見せかけて殺害したのは、反論できなくするのが目的というわけではないのだろう。あの学説を支持する学者に対する見せしめだ。
19歳以上の女性の発症例を発表することにより、より幅広い層にワクチン接種を促すことができる。
ユズナには、そういうカラクリに見えた。
なかなか手の込んだストーリーを考えるもんだなと思った。
医学部の大学教授たちは、いわゆるエリート中のエリートであり、上級国民と呼ばれる人たちだ。そんな人たちの生殺与奪の権を握っている組織は、一体どんな人たちで構成されているのだろう。
パナギアウィルスをギフトで作り、それを世界に蔓延させ、ワクチンを世界中に売りさばく。ワクチンもおそらくギフトによって作られているのだろう。
そういう計画がいつから動いていたのかはわからない。
ナノカが本当に国内最初の発症者だったなら、3年前にはもうパナギアの感染は広まっていたことになる。
どんな病気や怪我も治療するギフトを持っていたヒメナさんがその命を狙われたのは6年2ヶ月前だ。
そのときにはもう、すでに計画が動き始めていた可能性もあった。
ヒメナさんならパナギアを発症した女性たちを治療できてしまうからだ。
きっと、彼女だけでなく似たようなギフトを持つ人たちが、命を奪われたりギフトを封じられたりしてきたのだろう。
これから命を狙われる犠巫徒も当然いるのだろう。
まだヤマイダレには存在を知られてはいないだろうけれど、その中にはユズナも含まれていた。
目立つ行動は控えた方が良さそうだったが、もう遅いのかもしれない。
ユズナたちが気づいていないだけで、ヒメナさんには監視がついているかもしれない。
ユズナには治せなかったあの胸の傷は、ギフトを封じたり無効化するだけだけじゃなく、治そうとする者を炙り出すブービートラップなのかもしれなかった。
ヒメナさんやナノカを治したことを後悔はしていないが、少し軽率過ぎたかもしれない。
ナノカの体も、パナギアウィルスの抗体を利用するなど何らかの方法によって、治療した者をヤマイダレが特定できる仕組みになっていたら……なんていうのは考えすぎだろうか。
命を狙われる可能性がある以上、考えすぎくらいの方が、いざというときに助かる可能性が高くなるだろう。
昼休み、ユズナが3組の教室を訪ねると、ナノカは若崎エミリと楽しそうに話していた。
ユズナやナノカだけじゃなく、エミリも3組の生徒たちも全員、教室の中でスクール水着姿でお弁当やパンを食べていた。
ユズナがいる5組の教室でも同じ光景が広がっていたが、それは本当に異様な光景だった。
学校が最新のネットニュースを信じれば、すぐに制服はスクール水着ではなくなり、例年通りの夏服になるだろう。明日にもそうなるかもしれないし、来週からかもしれない。