兄がそんな風に誰かに怒っているのをユズナは見たのは、それが最初で最後だったかもしれない。
『一番気に入らないのは、病気は試練っていう教えだよ。どこの感動ポルノだよ。あんたたちが言う神って、24時間テレビで感動してるような頭の悪い人たちと同じレベル? あぁ、作ってる方の人かな? あんなのガキでも一回見たらやべーって気づくだろ。あんたらから見たら唯一神なのかもしれないけど、明らかに神の世界のカーストの最下層にいる弱男のチー牛だろ? そんな存在を信じてるって、あの放火魔を神と崇めてるのと同じだっていい加減気づけよ』
明らかにオーバーキルだった。言いすぎだったし、全方面に喧嘩を売っていた。兄は違う意味の「無敵の人」になっていた。
『それにこの国には八百万の神がいることになってるの。都合のいいときにしか信じないけど、一応神は星の数ほどいるわけ。そこにもここにも、あそこにも。勝手に神はそいつだけって言われて誰が納得するんだよ。あのフランシスコ・ザビエルだって、こいつならいけるだろって農民に論破されて「日本で布教は無理だから帰らせてくれ」って国に泣きの手紙送ったんだろ? 大昔から日本じゃ布教は無理だったのに、自分ならこの情報過多の現代でも、ザビエルができなかったことをやれると思った? だったらやってみせろよ。俺があんたの言う神の教えの矛盾を全部指摘して教えを捨てさせてやるよ』
兄がそこまで怒ったのは、わたしが家を知られるのが怖くて泣きそうになっていたからだと思っていた。
けれど、それだけじゃなく、ヒメナさんの事故のことがあったからかも知れなかった。
リオ一派があまりにしつこかったから、ユズナはそんなことを思い出してしまった。
「ユズナちゃん、その子たちと何か揉めてるの? わたしが何とかしよっか?」
3組の教室に入ると、エミリが声をかけてきた。
彼女の後ろには、小さな体のナノカが不安そうな顔をして、彼女の背中に隠れるようにして震えていた。
「関係ない人が入って来ないで!」
「はいはい、人様の教室であんまり大きな声出さないの」
声を上げた取り巻きのひとりの頭を、エミリは手に持っていたスマホの画面で小突いた。
その画面には、昼休みに見せられた奇形の女の子の画像が開いているようにユズナには見えた。
「何? 何なの? 暴力振るうつもり?」
「暴力なんて生ぬるいことしないよ。誰だか知らないけど、わたし好みの体にしてあげるだけ」
スマホで小突かれた子は、ユズナの目の前でゆっくりと倒れていった。
倒れた彼女は、片脚がなくなっていた。
二本足で立っていたところを、突然片脚を奪われ、バランスを崩してしまったのだ。
たまたま近くにいてその姿を見た人たちが悲鳴をあげ、悲鳴はあっという間に教室中に伝染していった。
「うるさいなぁ、もう。全員わたし好みの体にしちゃおうかな。ナノカちゃんとユズナちゃん以外、別にどうなってもいいもんね」
脚は切断されたわけではないようだった。
血は一滴も流れておらず、まるでこの子には最初から脚は1本しかなかったんじゃないかと思ってしまうくらいだった。
それがエミリのギフトだということは、すぐに気づいた。
生成AIが出力した奇形の子の画像をスマホで開き、そのスマホで相手の体を小突くことによって、画像と同じ奇形の体にする。
エミリのギフトは、きっとそういう能力なのだろう。
AI画像である必要や奇形の体である必要は、もしかしたらないのかもしれない。
彼女の言う通り、それが「わたし好みの体」であるだけで、対象の体をスマホで開いた画像と同じ状態にする能力であり、きっと「ふたなり(両性具有)」や「TS(肉体的異性化)」、スクール水着を着た「筋肉モリモリマッチョマンの変態」にも出来るんだろう。
ユズナがそんな風に分析している間に、残りの取り巻きふたりとリオも床に倒れていた。
3人とも、その体は腕や脚を失ったり、関節が3つや4つに増えたりしていた。
「ユズナ……」
リオは特にひどい状態にされていた。
彼女は四肢が欠損した状態で床に転がり、ユズナを見上げていた。
「ユズナ……? わたし、今どんな体になってるの……? 腕も脚も、感覚が全然ないんだけど……ミユウみたいに片脚がないだけじゃないんだよね……ユウリみたいに片腕と片脚がないわけでも、カナみたいに脚の関節が3つになってるわけでも……」
ユズナにはリオにその体の状態を教えてやることはできなかった。
気位の高い彼女にはきっと耐えられないだろうと思った。
生まれつきならともかく、別に気位が高くない普通の子だって事故で手足を失ってしまったらきっと耐えられない。
発狂するか絶望するか、その両方か、何日も何週間も取り乱し、変わってしまった体を受け入れるのには何ヵ月も何年もかかるのだろう。
それに今回のことは事故ですらなかった。彼女たちの体はエミリによって故意に形を変えられてしまった。
「ナノカちゃん、カバン貸して。この子たち、もう二度と元の体には戻らないから。ナノカちゃんのカバンの中に入れてあげるのが一番幸せだと思うんだよね」
エミリはギフトを持っているだけじゃなく、ナノカのカバンのことまで知っていた。
どうやら彼女の目的は、ナノカと彼女のカバンのようだった。
彼女はおそらく、ヤマイダレの関係者だ。
ヒメナさんの殺害やギフトの封印の依頼を受けた刃渡十三のような、雇われの殺し屋なのかもしれない。
わたしは何度同じ間違いをしたら、気づくんだろう。ユズナはつくづく自分のことが嫌になっていた。
今日知り合ったばかりの彼女を、簡単に信じてはいけなかった。
「わたしのカバン……? ユズナちゃんもカバンのことメッセージに書いてたけど、わたしのカバンは普通のカバンだよ……人なんて入らないよ……」
「ふぅん、記憶喪失のふり、まだ続けるんだ? いいよ、ナノカちゃんがわたしの言う通りにできるまで、他の子で遊ぶから。『依頼内容』にも『契約書』にも、『ふたり』以外のことは別に何も書かれてなかったしね。この教室にいる子は全部やっちゃおうかな」
エミリは、無差別に教室にいた人たちの姿を変えていき、
「やめて……やめてよ、エミリちゃん……」
ナノカの懇願もむなしく、2年3組の生徒たちを次々と床に転がしていった。
「みんな、ごめん……わたしがみんなを巻き込んじゃった……ごめんね、ミユウ、ユウリ、カナ……わたしのせいだね……」
自分が一番大変な状態だということを知りながら、リオは本倉ミユウや緋色ユウリ、潮時カナの心配をしていた。
「いいよ、リオちゃん……何をされたか、何が起きてるかよくわからないけど……わたしはなんとか片脚だけで済んだし……リオちゃんこそ大丈夫なの……?」
「大丈夫じゃないけど、まぁ、死ぬわけじゃなさそうだからね……」
「スマホだよ、きっと……あの女にスマホで小突かれた瞬間に、ミユウの片脚がなくなってた……わたしもカナもそう……何なの、あれ……超能力か何か……?」
「きっとギフトだよ……」
「ギフト……? なにそれ……リオちゃんはあれが何か知ってるの……?」
「わたしも、全然違う能力だけど、超能力みたいな力を持ってたからね……腕をなくしちゃったから、もう使えなくなっちゃったけど……」
リオが犠巫徒だったなんて知らなかった。
「片手だけでも使えたら、みんなを治せたのに……あの女、わたしのギフトを知ってたんだ……」
しかも、彼女は病気や怪我を治すことができるギフトを持っていたらしい。
けれど、それはたぶん不可能だった。
リオのスクール水着の胸元には血が滲んでいたからだ。
血が出ているのは4人の中で彼女だけだった。
にじんだ血だけでは判別は難しかったけれど、逆十字の右上に「β(ベータ)」があるものや、「ヤマイダレ」らしきもの、それから「直角三角形」らしきものの天辺に「←(左向きの矢印)」がついているものもあった。