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化け物だ、と
あれは化け物です。人間ではありません。
……いえ、人間なのですけども、人間の、十三か十四ほどの少女なのでしょうけども。
「……このわたくしが、一撃で……」
いったいどれほどの奥の手を隠し持っているのやら、これで四十八連敗です。
ドラゴンブレスにゴーレムハンド、リヴァイアサンのウォーターカッターにナイトメアアイによる石化まで経験させられてしましました。
私がデッドバイスライム。死してなお転生し、記憶を引き継げる存在でなければ何が起きたのかも分からぬままに生涯を終えていたことでしょう。
「へたる……」
以前、初めてあの娘に出会った時、隣にいた赤毛の女がそう呼んでいたのを思い出しました。
以後、あの娘が他の人間にその名を呼ばれるところを見たことはありませんが、それが彼女の名と見て問題ないでしょう。
「へたるだなんて、変な名前」
モンスターにとって名前はその存在を示す重要なものです。
デッドバイスライム、死にさよならスライムと冗談のような名前ですが、この名前によって私は死の傍に存在し続けるスライムであり続けることができているのです。
死なないことはいいことです。
死なないというと語弊がありますが、死してなお蘇ることができるのは弱肉強食の世界においては絶対的アドバンテージだと考えております。
知識を蓄え、以前負けた相手に再び挑むことのできるなど、一度の失敗が死に直結するこのダンジョンにおいてもっとも優位に立てる力だとさえ言えましょう。
「なのに、あの小娘はっ……」
デッドバイスライムの中でもわたくしはかなり優秀な部類だと考えています。
他のデッドバイスライムに比べて知能がずば抜けて高く、戦闘能力も秀でています。
きっと前世の行いが良かったのでしょう。
デッドバイスライムであるので次の転生先もデッドバイスライムなのですが、そうでなければ次はデッドバイドラゴンのような最上位の存在になることができるでしょう。
ただ、デッドバイスライムである以上、それも望めません。
だからこそ、私はこのダンジョンの大主人を討伐し、現在進行形でこのダンジョンの最上位の存在であるあの娘を倒して「このわたくしが」このダンジョンの大主人になると決意したのです!
決意して、挑み続けているのに、‥‥一向に娘の底が見えません。
通常、人間が所有できるスキルには限界があります。
大体多くても五個か六個、英雄と呼ばれる存在になると十個を数えるそうなのですが、あの小娘の使う技は既に三十を超えています。
その手のうちも多種多様。
まるでモンスターをその体内に飼っているかのようにその技を使うのです。
あり得ません。人外です。化け物です!
化け物だと嘆いていても仕方ないので私は奴に挑み続けるしかないのですけども、人外だと思う理由は他にもあります。
あの娘、私が見かけるようになってからは一度も地上に戻っていないようなのです。
何がしたいのか、ずっと深層と一階層を行き来きしてろくに食事もとりません。
観察していて知ったのですが、ふとした瞬間、思い出したようにそこら辺に生えているキノコを食べたり、思い出したように入浴したりと好き勝手です。人間であることを捨てているとしか思えません。化け物です。怪物です。私は、ああはなりなくないと思います。
ダンジョンの大主人として最下層の、王座の間でゆったりと冒険者どもがやってくるのを待ち、優雅に迎撃して他のモンスターにチヤホヤされてやるのです。
誰が最弱のスライムですか! 身の程を知りなさい!
こちとら物理攻撃無効に状態異常無効、自動再生に加えて精神異常耐性まで持っているのです。
そんじょそこらのモンスターより遥かに打たれ強いですし、ドラゴン相手であっても私の猛毒にかかれば空気中に毒素をばら撒くだけで昏倒させることができるでしょう。
私って強い! サイキョー! ――と、あの娘を知らなければ、きっとそのように生きることもできたでしょう。今の私は少々自信喪失気味です。あの娘の強さの前に、うじうじ床を這うスライムです……。
……ですが、だからと言って大主人になる夢を諦める私ではありませんっ……!
あの娘が食事を取らぬ化け物である以上、寿命でくたばるとは思えませんし、そんな方法で大主人になったとしても他のモンスターたちが納得しません。何より、私が納得できません!
私は私の力であの「へたる」とかいう小娘を屈服させ、私の配下に加えて門番にさせるのです!
レイドを組み、デッドバイスライム対策を練って訪れる冒険者たちに多種多様なモンスター攻撃を行うことのできる小娘をぶつける様を想像するだけでも心が躍ります。
玉座にふんぞりかえり、その光景を眺める私の姿を想像するだけで跳ね回りたくなってしまいます。
いえ、既にもう跳ね回って娘を追いかけているのですけども、これはそういう跳ね方ではないのです。
心踊る気持ちがそのまま体に溢れて止まらなくなってしまうような、そういう感じなのです。
そんなわけで私は丸一日ぶりに小娘の元へと忍び寄ることにしました。
ハイドアンドシーク。
岩陰に隠れ、徐々に近づいて参ります。
今日の小娘は深層の湖の辺りでサーペント・ドラゴンを相手に立ち回っておりました。
いやはや、相変わらずモンスターの毛皮だが幻影だかを纏っている姿は人間には見えません。
内側から発せられる小娘の雄叫びは反響して甲高く、生物として危機意識を想起させる不協和音ですし、その見てくれはドラゴンゾンビ、もしくは異界の神々の悪ふざけで作られた悪魔像とでも言った方がしっくりときます。
今日の小娘はカニだかロブスターだかを組み合わせた、二十本足の、ムカデとエビの出来損ないみたいな皮をかぶっていました。
その腕が横一線に振るわれます。
何が起きたのかは、私の目では捉えることができませんでした。
一瞬後に遅れて水面が弾け飛び、その衝撃派の中に真っ二つに裂かれたサーペント・ドラゴンの姿がありました。
綺麗に真っ二つ。
横にではありません。縦に、です。
あれほど長い体を一撃で、頭から尻尾まで、縦に切り裂くなどやはり人間業ではありません。
沸々と恐怖が込み上げ、やめておけと全細胞が叫んではおりますが、こんなところで挫けていては大主人など目指せるはずもございません!
たとえ小娘がどれほど強力なスキルを所有していようとも、何事もに制約というものがございます。
たとえば、私の転生が丸一日かかること。
転生後はしばらく弱体化し、毒性も並のスライム並みに弱まることなど。
――つまり、今の小娘は無防備なのです。
あれほど強力な技を使った後であれば尚更――。
私は意を決して岩の陰から疾走し、小娘の死角からその喉元目掛けて跳ね上がります。
相手は人間です。
毒殺する必要はありません。
人間の皮膚には鱗はありませんし、再生能力も有してはおりません。
ただ体の一部を鋭角に尖らせ、一閃。
かっこよく喉元を切り裂けばそれだけで小娘に致命傷を与えることができるはずなのです。
致命傷さえ与えることができたのなら、カウンターや追撃は考える必要がありません。
私はデッドバイスライム。
何度でも蘇るスライムなのですから手負いになった獲物をじりじりと追い込んでいけば良いだけなのですから!
「今度こそぉぉおおおおおお!」
私は叫びました。
初めてだったのです。これほどの距離にまで近づくことができたのは。
勢いよく先をナイフのように薄くした触手を振り払い、交差した後の小娘を振り返ります。
手応えは――……、残念ながらありませんでした。
私の感じたそれは、まるで私の刃が通らなかった感触。
振り返れば、小娘の喉元には鱗のような模様が煌めいていて、長い前髪の隙間から、赤い瞳が私を見上げています。
「――デッドバイドラゴン・スタイル」
空中で身動きが取れない私に向かって小娘が腕を振り上げます。
――あ、死んだ。
伊達に何度も死んでいません。
直後に訪れる死を覚悟しました。
爪でぐっさりと切り裂かれるか、地面に叩きつけられるか。
それとも壁にべたん! か、お手てでぐちゃっと握りつぶされるか。
痛覚遮断を発動し、訪れる死に意識をとじて待っていたのですが、「……はて」
いつまで経っても転生の感覚は訪れません。
そもそも痛覚遮断を行っていてもその感覚は僅かばかりに感じるものなのです。
何が起きたのか、――否、何が起きているのかを確認する必要がありました。
死より恐ろしい物があるとすればそれは未知です。
死を克服してしまった私にとって「まだ知らぬこと」すなわち「未知」とはある種の恐怖と同等の存在なのです。
恐る恐る意識を開き、周囲を確認してみると、そこに小娘の顔がありました。
爛れたドラゴンの着ぐるみみたいなものに全身を包まれて、赤い目で私を見つめています。
私は小娘に捕獲され、握りつぶされかけているようでした。
「……あなた、さっきなんて……?」
か細く、意識を集中させねば聴き損なってしまいそうなほどにか細い声で小娘は尋ねてきました。
「あなた、なんて、言った……?」
瞳孔が完全に開いていてやはり精神異常を冒した人間の目でした。
――やばいやつです。
いますぐ死に戻り、いえ、転生しなければどんな目に遭わされるかわかりません。
「な、なぜ、わ、私は、毒……」
思っていた以上に私は恐怖していたようです。
私の意思とは反して溢れでたのはそんな言葉で、小娘は顔色ひとつ変えることなく言ってのけました。
「デッドバイスライムだから、デッドバイドラゴンの、手」
――嗚呼っ……。
なんということでしょう。
私の叶わぬ夢。デッドバイスライムの最上位種。デッドバイドラゴン。
その力を、この小娘は獲得しているというのです。
「ありえない、ありえないっ……!」
せめてもの抵抗と、触手を伸ばし、毒を浴びせかけますが、デッドバイドラゴンの皮膚に守られた小娘は気にするそぶりも見せません。
みるみるうちに私の中の自身が萎んでいくのがわかります。
私はこの人間には敵わない。
その現実が私の体をドロドロに溶かして、蒸発させてしまいそうでした。
「あなた、今度こそって、言った……? 私に、あなた、初めてじゃ、ない……?」
ボソボソと何を言っているのかが非常に聞き取りづらいのですが、小娘はどうやら私が毎日襲っていることに勘付いていたようです。
デッドバイスライムとは死を撒き散らすスライム。
モンスターの生態系に関しては研究が進んでいたとしても、その魂とも呼べる転生の仕組みについてはその理の外側にいる人間にとっては認識できなくても無理がありません。
少しだけ、私は自信を取り戻しました。
そう、所詮は人間なのです。
どれほどの強さを誇ろうとも、殺せば死ぬ、人間なのです!
「わ、私はっ、デッドバイスライム! 何度だって貴様を、」「わ、」
ぎちゃり、と、砂を擦り潰すような音が響いたかと思えば、私の意識は闇に閉ざされました。
ええ、ああ、はい。私は、小娘に、殺されたのでした。