【5】外には危険がいっぱい
「んじゃ。またそのうち様子見に来るから」
そう言って師匠は縦穴が塞がり切る前にぴょんぴょん穴を登って帰って行ってしまいました。
「さすがはご主人様のお師匠様。人間離れしておりますね」
そう言って師匠が去っていくのを眺めていたメイド姿のデッドバイスライムは何食わぬ顔で私の隣に立っています。
デッドバイドラゴンの一件の後、何食わぬ顔で瓦礫の中からモゾモゾと這い出てきたかと思えばメイドの姿になった時には師匠になんと説明すべきか悩みましたが、なぜか師匠とは意気投合したらしく、「モンスターのくせに話のわかるやつじゃないか!」と一晩盛り上がっていました。
人語を介するモンスターと遭遇したら会話をしてはならない。
精神を汚染される可能性があるので、真っ先に喉を切り裂き、口をきけぬようにしてやれと教わったのに不思議です。
不思議ではありますが、おそらくは「未熟なお前は」と前提条件のつく教えだったのでしょう。
師匠を満足させられる一撃を放つことができたのかは不明ですが、ある程度認めていただけたと考えても良いのかも知れません。
「それにしても、良かったのですか? 結局卵料理は諦めることになりましたが」
「いや、食べられないよ……、さすがに」
ダンジョン内のキノコはキノコなので食べるのに抵抗はありませんが、デッドバイドラゴンの卵はさすがに食べるのに抵抗があります。
師匠は食べると言って聞かなかったのですが、デッドバイドラゴンが幼い女の子の姿をとっていたのもあってか、少しだけ可哀想に感じてしまったというのもあります。
そのことを説明すると、師匠は納得してくれたのか「なら、食べないから卵は私にくれ」と言い出しました。
別に卵なんていらないので好きにして頂いて構わないのですが、食べないのに欲しがるだなんて、一体何をお考えなのでしょう……?
師匠のことですから深いお考えがあるのだとは思いますが、私には検討がつきません。
もしかすると剣聖としてデッドバイドラゴンの生態系を調べる任務がある、だとか、国の研究機関に提供するだとか、そういうことなのかも知れないです。いえ、きっとそうなのでしょう。
見知らずの私のような駆け出し冒険者を助け、あまつさえ弟子にまでしてくださった偉大なる剣聖様なのですから、普段の振る舞いが如何に雑であったとしても、その行動にはある一定の大義と使命が乗っかっているのだと思われます。
やはり師匠はすごい人です。私も早くあんな風になりたいと改めて思うことができました。
「ちなみに、ここで私から一つ提案をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「な、に……? ろくでもないことだったら聞き流すけど、一応聞くよ……」
「外に、出てみませんか?」
「えぇえ……?」
真顔で何を言い出すのかと思ったら外出のお誘いでした。
縦穴を見上げていたら、なんとなくそんなことを言い出すんじゃないかなぁ……? とは思っていたのですが、的中です。
師匠の影響だとは思うのですが、少しずつこのメイドスライムに慣れてきている自分がいてちょっと怖いです。
「お外、怖いよ……?」
「冒険者が何をおっしゃいますか」
確かに冒険者は冒険をする人間のことを指します。
つまり冒険者はお外に出かける人間のことなのです。
「でも、怖いし……」
「私もご一緒いたしますから」
「そういう問題じゃなくない……?」
第一、モンスターと一緒に出歩くとか一人で出歩くより危険な気がします。
モンスターテイマーでさえ、街中へのモンスターの持ち込みは禁止されていますし、地上で見かけるモンスターは檻の中に入れられ、鎖で繋がれていることが殆どです。
「そ、それに、ダンジョンの外だと、魔素切れで、消滅する……んじゃ……?」
ダンジョンに出現するモンスターはダンジョン内に発生した魔素が結合し、形をとったものだと言われています。
その影響か、ダンジョンの外にモンスターを連れ出すと徐々に衰弱し、消滅してしまうのです。
「氷漬けに、したら、運べる……けど……」
でも、それをおでかけと言うのでしょうか?
スライムの運搬、という意味でしたらそうなのでしょうけども……。
「いえ。それは外出とは呼びません。持ち出しと言います」
「う、うん……知ってる……」
思ってた。
じゃ、どうするつもりなんだろう? と訝しんでいるとスライムメイドは私の手に触れてきます。
「ひゃっ……!?」
敵意が感じられなかったのでそのままにさせたのですが、人間よりも随分とひんやりした感触に思わず跳び上がってしましました。
「ええ、思ったとおり、大丈夫そうです」
「にゃ、にゃにが……?」
「このようにしてご主人様に触れていれば、ご主人様を通じて魔力を供給、一日二日程度であれば、魔素の代わりにすることが可能かと」
「ふぇえ……?」
少しずつ冷たさには慣れてきましたが、つまりそれって私がスライムに食べられているってことに近いんじゃないのかな……?
いえ、まぁ、そんなことは些細な問題なのですが、「……もしかして、外ではずっと、こうやって手を、握ってる、つもり……?」「はい。そうしなければ消滅してしまうので」
スライムメイド曰く、スライムは他のモンスターよりも魔素の蒸発が早いらしく、なんの魔素供給も受けない状態だとすぐに干上がってしまうのだとか。
私は想像力に欠ける頭で想像してみます。
ファルムンドの街並みを、このメイド姿のスライムと手を繋ぎ、歩く自分の姿を……。
「む、むり……!」
「そうでしょうか? ご主人様の魔力量なら、私の一人や二人、一年でも養うことが可能かと」
「そう言う問題じゃない……!」
どこぞの貴族令嬢ならともなく、村生まれの、私みたいな子がメイドと手を繋いで歩いていたら目立ちすぎます。
お出かけするだけでも怖いと言うのに、そこに「メイドさんとお手繋ぎデート」なんてサブタイトルがついたら最悪です。余計に外に出たくなくなります……!
「ああ、なるほど。そう言うことですか。これは失礼いたしました」
「う……うん。わかってくれたなら、いい……」
「お前は下僕。私はご主人様。対等な関係でいられると思うな――、そう、おっしゃりたいのですね?」
「違うよ!?」
なんとなくそうだとは思っていましたが、このスライム、やっぱりおバカです。おバカを通り越してバカです。バカメイドです。……いえ、デッドバイ・バカスライムです。
「では、こうしましょう」
そう言って手に触れる感触が変わったかと思えば、そこには鎖が出現していました。
「……へ?」
くいっ、と反射的に引っ張ってみると「じゃらり」という音に続いて「あんっ……」とバカスライムが喘ぎます。
鎖の先はバカスライムの首に繋がれていました。
「こ、こうして、鎖に繋がれる方が、下僕、らしいですものねっ……?」
もじもじと膝を擦り合わせて頬を赤く染めるメイド姿のスライム。
バカスライムを通り越して、超おバカスライムのようです。
「あだ!? あだだ!!? な、い、いったい何を……!?」
なんだか腹が立ったので鎖を振り回してぺんぺんとスライムを叩いてみるのですが、逆に喜ばれてしまって大変不本意です。
「ご、ご主人様っ……!?」
「外っ……! 出たく、ない……!」
メラメラと燃え上がる怒りのままに叩いていたら加虐心とは別に「あ、そういえばこいつスライムだった」と冷静な考えが顔を覗かせます。
本当に師匠の悪影響だと思いました。
スライムとまともに会話する方がどうかしていたのです。
「デッドバイドラゴン・スタイル……」
「あわ、あわわわわわ!?」
話を白紙に戻させるために一旦倒してしまおうとスキルを発動させると流石の超おバカスライムでも慌てふためきます。
必死に逃げようとしましたが、私が鎖を、鎖に形を変えたスライムの体を掴んでいるので逃げられません。
「ど、どうしてそこまで外出を嫌うのですか!? ご主人様はそれほどまでのお力をお持ちなのに……!」
風前の灯、命乞いです。
聞く耳を持つ必要はありませんでした。
所詮はモンスター。人語を介して人を惑わそうとする怪物です。
「……それは、その……」
ですが、その言葉が自分の中の核心に触れてしまっている時は、理屈ではなく感情で反応してしまうものなのだと思います。
「……怖いものは、怖いもん……」
私はダンジョンに潜り続けるうちに自分が思っていた以上に外を出歩くことが恐ろしかったのだと気付かされました。
地上ではモンスターに遭遇することはありません。
モンスターパレードに追い回されることもありません。
ですが、地上には、……人がいます。
悪い人たちばかりでないのは知っています。
師匠を始め、冒険者の方々は良い人が多いです。
両親を亡くした私にも優しく接してくれる冒険者の方々はそれなりにいて、そのおかげで私はこの歳まで生きてくることができました。
だけど。
「……怖い、もん……」
「ご主人様……」
目を瞑れば思い出されます。
――私をみる、村の大人の人たちの目が。
どうしてあんな子が生きているのかと、どうしてあんな子を産んだのかと、父や、母のことを悪くいう大人の人までいました。
近所に住む子供たちには石を投げられ、パンを買いに出かけたらおじさんに水をかけられました。
買ったパンは濡れても乾かせば食べられますが、お腹の奥の方がきゅぅっと苦しくなるのです。足が震えて、歩けなくなるのです。
お外は怖いです。怖いことばかり起きます。
「ダンジョンの中なら、……戦ったら、いいから……」
地上で人を殴れば犯罪です。
人を殺せば殺人者です。
モンスターと人は違います。
ダンジョンと地上は、別世界です。
「私、ずっとダンジョンに潜っていたい……」
それが本音でした。
それが本心でした。
私は地上の生活から逃げて、このダンジョンに潜ってきたのです。
「……それで、よろしいのですか?」
スライムはそっと私の手を包み込みながら聞いてきます。
ひんやりした感触が最初は気持ち悪かったのに、なんだか今では手に馴染んで来た感覚さえあります。
「本当は、人と、他人と、関わりを持ちたいのではないのですか?」
図星でした。
見抜かれていました。
そりゃそうでしょう。私は「お友達」が欲しくてダンジョンに潜り続けているのです。
常日頃から、駆け出し冒険者さんのところに駆けつけて、師匠のようにかっこよく救出し、仲良くなりたいと行動しています。
それを、このスライムが知らないわけがないのです。
「できるかな……?」
相手はモンスターです。
言葉を交わすだけバカをみる相手です。
――ですが、師匠が去ってしまった今、私が言葉を交わす相手は、このスライムの他には存在しませんでした。
「できますとも。ご主人様は、最強でございますから?」
スライムが浮かべているとは思えないほどに優しい笑顔でした。
スライムが浮かべているからこその柔らかさなのかも知れませんが、不覚にも胸の奥底で「ぎゅっ」と何かが締め付けられるような感覚さえ覚えます。
他人に優しくされたのは久しぶりです。メイドの形をしているスライムですけども、まぁ、今だけは他人認定しておきます。思わず、師匠に初めて助けられた時のことを思い出して目頭が熱くなってしまいました。
「じゃ、行こう、か……」
「はいっ」
決意が揺るがぬうちに。何かを始めるのに「明日やろう」は遅すぎるのだと師匠には教わりました。
私は展開していたデッドバイドラゴン・スタイルの翼を大きく広げ、メイド姿のスライムを抱き寄せると一度膝を曲げて跳躍します。
「あんっ」と耳元で変な声が聞こえましたが気にしません。気にしたら負けだと思うので気にしないことにしました。
翼のひと羽ばたきでぐんっと速度を増し、数回羽を羽ばたかせれば地上の光がぐんぐん近づいてきます。
ダンジョンと地上の境目を超えたのは一瞬でした。
勢い余って遥か上空へと飛び上がり、速度を落として下を望めば見たことのない景色が広がっています。
「うわぁっ……」
思わず、声が漏れていました。
遥か彼方まで広がる大地に、遠くの山々から流れてきていた川の形まで伺えます。
私の知らない世界。私の知らなかった私の暮らしていた世界の姿が眼下に広がっていました。
「すっごい……!」
感激です。感動です。
ダンジョンの中に潜っていては見られない景色だと超おバカスライムに感謝しそうになってしまいます。
「すごいね……!」
感謝はしませんが思わずそう尋ねてしまっていました。
しかし、返答がありません。
「……………?」
もしかして加速の勢いで落としてきちゃったかな? とか思ったのですが、しっかりとメイド姿のスライムは私に抱きついています。
抱きついているというか、へばりついています。
「えっと……?」
羽を羽ばたかせ、落ちないようにバランスをとりながら尋ねるとスライムがスライムらしくぷるぷるします。
「もしかして、高いの、怖いとか……?」
「ぷるぷるっ!」
ぷるぷるとか、口でいうの初めて聞きました。
確かにまぁ、そうなのかもしれません。
ダンジョンでは天井があるのが当たり前ですし、一部のモンスターを除いてモンスターは地下で暮らしているものです。
お日様の当たる地上に、しかもその遥か上空に飛び上がれば怖いのも当然かもしれません。
「ちなみにスライムって、物理攻撃無効、だよね……?」
「ぷるるる!」
必死に首を横に振られます。
決死の抵抗というやつなのでしょう。涙目で訴えられるとなんだかよくない感情が湧き上がってきたので自制します。
きっとこれは悪い感情です。知ってはならないものです。
「じゃ、じゃあ、落ちないように、捕まってて、ね」
「ひぃっ!?」
再び大きく羽ばたいて加速すると今度はちゃんと悲鳴がこぼれ落ちました。
スライムは高所恐怖症。
新発見ですがダンジョン内では役に立ちそうもありませんね。