とにかく街から離れたくて仕方ありません!
これ以上痴態を晒し続けるのが限界だったともいえます。
なるべく人のいない方向、人里離れた場所に向け飛んで、今度はちゃんと、ドラゴンの着陸を試して平原に降り立ちます。
そのまま変態スライムを討伐してやろうかとも思ったのですが、思った以上に空の旅が怖かったらしく、ほとんど死んでいるようなものだったので手を止めてしまいました。
さすがにスライムだと分かっているとはいえ、白目を剥いてピクピクと泡を吹いているメイド相手にファイアブレスを打ち込む気にはなれません。
理屈でそれはモンスター退治でしかないと理解していても人としての何かを失ってしまいそうです。
それに、ここはダンジョンではなく地上です。
こんなところでブレスを打てば火事になったりして大変かも知れません。
「……運が良かったと、思って」
「は、はい……」
しばらくして自我を取り戻したメイド姿のスライムに一応の怒りはぶつけましたが、大人しくなってくれたのでもういいです……。なんだか疲れました。
疲れた上に図書館に行くこともギルドによることも忘れてしまいましたがそれももう今度でいいです。疲れたのです、私は。
「ただでさえ、緊張してたのに……」
「すみません……」
素直なのはいいことです。
でも、素直になる前に余計なことはしないで欲しかったです。
「これからどうされますか……?」
「……お墓参り。お花、綺麗なの探して、手伝って」
「はい……」
もうダンジョンに帰りたい気持ちでいっぱいいっぱいでしたが、この用事だけは絶対にすませておくべきです。
そのつもりで、私の村の近くに着陸したのもあります。
ダンジョンに潜って一年。
ずっと放置されていたことを考えると申し訳ないでいっぱいです。
「顔色が優れないようですが」
「誰の、せいだと思って……」
「すみません」
バカスライムの割に素直です。
これからは言うことを聞かなかった場合、空を飛ばせるのも手かも知れません。
……いえ、調教するつもりはないのでダンジョン戻ったらさっさと倒して仕舞えばいいのですが。
どうにも村が近づいてくるにつれ調子が悪くなっているようで、自然と息が荒くなっていきます。
「ご主人さま……?」
「平気……」
胸が痛いです。
あまりの息苦しさに胸を掴んで、それでも両親のお墓にはちゃんと顔を出さないとって頑張って歩きます。
一歩ずつ、歩くたびに確実に私の生まれ故郷である村に近づいて、「――ひっ」「……?」
思わず、足を止めてしまいました。
遠くから、聞き覚えのある声が聞こえた気がするのです。
「やはり具合が……」
「だい、丈夫……」
足元に綺麗なお花が咲いていることに気づきます。
母が好きだと言っていたさまざまな色の花弁を咲かせる花です。
「ジュエルド・ペタル……」
宝石の名を模ったその花を摘み、鼻先をくすぐった甘い香りに少しだけ気持ちが落ち着きました。
ええ、はい。そうです。確か母ともこの花をこうやって摘んで、……楽しい頃の、幸せだった時期の、思い出です。
「あれ? なんだお前、生きてたのか」
「……!」
思わぬ声に跳ね上がると良く陽に焼けた、男の人が立っています。
「ぎ、ギース……」
「おう。久しぶり」
その手には野菜の入ったカゴを持って、畑仕事の、帰りなのでしょう。
私とは歳の近い、……幼馴染、という、やつです。
「あ、あのっ……、えっと……」
「あーあー、いい。いい。お前と話してると日が暮れるからな。生きてたんなら村長のところに顔出しておいてくれや。お前が帰らねぇから、あの家、そろそろ取り壊しちゃどうかって話になってたからよ」
「いえ……、壊す……?」
「随分ボロくなってたからよ。そのまんま放っておくのも危険だろ? それともなんだ? 戻ってくるのか? あの家に?」
「わた、わたし……」
「やめとけやめとけ。その隣の、メイドさんか? どっかの好きものに拾われたんなら戻ってくんな。年寄り連中はお前のこと、死んでくれて良かったって言ってっから」
険しい顔で吐き捨て、手元の花を見てギースは嘆息します。
「墓参りだってんなら、さっさと済ませて帰りな。村にはよらねぇ方がいい」
「で、でも……、家、が……」
「あんな家、無くなっちまった方がお前の為だろ」
「でも……!」
強く出るとギースは意外そうな顔をして私を見つめてきます。
言いたいことは色々あるはずなのに、言葉は、うまく出てきませんでした。
「わた、わたし、でもっ……」
パクパクと魚のように口を開け閉めして、結局、ギースは付き合いきれないと肩をすくめて私たちを置いて去って行ってしまいました。
「ご主人様……」
隣のスライムの言葉がどうしてだか私の神経を逆撫でします。
モンスターなんかに憐れまれてしまっているのが、悔しかったのかも知れません。
「っ……」
無言で置き去りにして、遠回りしてから、村はずれの私の家へと直接向かいます。
置き去りにしたつもりなのに、私の手首には鎖が巻かれていて、歩くたびにジャラジャラ言いますし、その鎖は無神経なスライムに繋がっています。
「ご主人様。ご希望であれば私が、」「私が、何っ……!」
足を止めて睨みつけるとメイド姿のスライムは言い淀みます。
「あの村の人たち、全員やっつけてくるとか、そういうの、求めて、ない、から……!」
「しかし……」
このスライムが誤解するのもわかります。
私が逆の立場であればそう言う勘違いをしてしまうことだって分かっていました。
「そんなの、意味ないっ……」
だって私がみんなに嫌われているのは、私が原因なのですから。
私が悪いのに、村の人たちを責めるのは、なんというか、違います。
「余計なこと、しないでっ……」
「わかりました」
珍しく聞き分けがいいです。
やっぱり恐怖はモンスターを調教するのに有効なのです。
師匠に教えて差し上げようと思いましたが、師匠なら意識しなくてもモンスターに怖がられていそうなので教えて差し上げる必要なんてありませんね?
ただ黙々と家の方角に向かって歩いて、丘を越えて見えてきたのは懐かしの我が家です。
ギースの言っていたように元々あちこち傷んでいたのもあって、一年の間に廃屋のようになっていました。
一応自宅にも寄ってみることにしたのですが、扉を開けたら蝶番が外れてしまいました。
錆びて傷んでしまっていたようです。
中は雨漏れやら雑草が入り込んだりして酷い有様です。
一年人が住まないだけでここまで荒れるものなのかと驚きもしましたが、これはこれで自然に還ると言うことで良いのかも知れません。
「お望みとあらば綺麗にお片付けさせて頂きますが……?」
メイドの形をとっているだけあってスライムがそんなことを尋ねてきます。
「ううん。お墓だけ、綺麗にしていこ」
あまり長居すると村の人たちに勘付かれる可能性もあります。
きっとギースは何も話さないでしょうが、小さな村です。無人の家に人の動きを見かけたとなれば、誰かしらが様子を見にくるやも知れません。
必要なものだけ、両親の写真や、思い出の品物だけ持って家を後にします。
お墓は、家の裏の、両親とよく一緒に運動していた場所に作ってありました。
一本、大きな木が植えてあって、その根元に、二人は眠っています。
「良かった。ここは、変わってない」
木が枯れていたらどうしよう心配だったのですが、幸いにも元気に葉を付け、お墓を守ってくれていたようです。
ギルドの人たちが作ってくれたお墓です。
それほど立派なものではありませんが、子供だった私には何をどうすればいいのか分からなかったので、とても嬉しかったのを覚えています。
そしてそれと同じぐらい、悲しかったことも。
「これはご主人様の……?」
「お父さんと、お母さん。……モンスターパレードを止めようとして、死んじゃった」
スライムが、息を呑むのが分かりました。
呼吸をしているわけでもない癖に、そう言うお芝居だけ上手いんだなって感心します。
「冒険者だったの。二人とも」
お墓を手で掃除しながら話します。
スキルなんかは使いません。
こう言うのは、効率じゃなくて気持ちだって、ギルドの人たちも言っていました。
「私が一人でダンジョンに入ったの、それで、モンスターパレードに巻き込まれて」
実は、私がダンジョンに入ったのは一年前が初めてと言うわけではありませんでした。
まだ六歳になったばかりの頃。
ダンジョンから地上に出てくるモンスターの討伐をして稼ぎを得ていた両親の為に薬草を取ってこようと、一人でダンジョンに潜ったことがあるのです。
潜った、なんて立派なものではありません。
ただダンジョンに勝手に入って、戻れなくなったのです。
あの頃の私はモンスターの怖さも、ダンジョンのことも、良くわかっていませんでした。
気がついたら帰り道が分からなくなっていて、中層付近で、両親に助けられたと聞きました。
ただ、その時、モンスターパレードが発生して、両親はダンジョン内でモンスターの大群を戦うことになったのです。
幼い、私を庇いながら。
モンスターパレードはダンジョン内を一度リセットするダンジョンの洗浄作用と言われていますが、その力はダンジョン内に止まりません。
時折、とてつもなく強いモンスターが現れた時なんかは、モンスターの大群は地上へと溢れ、近隣の村や街を襲うのです。
大抵のモンスターは一日や二日で魔素切れとなり、消滅するのですが、ドラゴンなどは例外で、高い魔素保有量を誇る上に、特殊な鱗で魔素の蒸発を防ぐので誰かが討伐する必要があります。
そして、両親はその討伐を行う冒険者だったのです。
私を地上へと送り届けた後、両親は私に村の近くの洞窟の中に隠れているようにと言い伝え、「かくれんぼだよ」と言いました。
モンスターの大群が消えるまでの二日間、食事を置いていくから、これを食べて待っていて欲しいと。
必ず迎えにくるからね、と母に言われた言葉が思い出されて涙が滲みます。
結局、母は私を迎えには来てくれませんでした。
私を見つけたのはギースでした。
食べるものがなくなって、衰弱し、動けなくなっていた私をギースは村へと連れて帰り、そこで両親が死んだことを私は知らされました。
スカル・デッド・ドラゴン。
デッドバイドラゴンの亜種で、滅多に現れない厄災と呼ばれる部類のモンスターだったそうです。
村は半壊。ファルムンドの街も大打撃を受け、冒険者や憲兵、国の騎士団まで力を合わせてようやく討伐に至ったそうです。
私の両親は、スカル・デッド・ドラゴンと、相打ちになる形で、死んだとギルドの人に教わりました。
勇敢な最後だった、と。
村の人たちにはそれは嘘だったと教わりました。
残されたお前を案じてそんな嘘をいったのだろう、と。
冒険者たちはその死を華やかな逸話にしたがります。
望まずとも、冒険は突然終わりを迎えるものです。
その最後が冒険者譚たり得る勇猛なものであるとは限りません。
――だから、残されたものは「あの人は勇者のように戦った」だとか「俺たちを守るために命を捧げたんだ」だとか、最後に華を持たせるのです。
多くの英雄譚が華やかであるのはその為です。
幼いながらに私はその事実に気づいていました。
両親はきっと、私をダンジョンに迎えに行ったから、その疲労があったから、死んだのだと。知っていました。
子供を一人守りながら中層から引き返してくるだなんて、普通の冒険者ならそれだけで大変なのに、両親はそれから、モンスターパレードの後始末に向かったのです。
そうして私は両親を亡くし、あとはギルドの人と、村の一部の大人によって育てられました。
村の人たちは自らの役目を放り出して留守にしていた両親のせいで村が半壊したのだと言って、私を嫌いました。
最初はよくしてくれたギルドの人たちも、私がうまく笑えなかったり、喋れなかったりするうちに気まずそうな顔をするようになって、徐々に徐々に、家を訪れてくれる人は減りました。
私はいつも、お墓の前でお話しします。報告します。
口はうまく回ってくれませんが、頭の中ではちゃんとお話しできているので、そうやって両親にこれまでにあったこと、これから頑張りたいと思っていることを伝えて、祈ります。
もしどこかで私のことを見てくれているのなら、もう、大丈夫です、と。
もう、これ以上私に縛られる必要はないので、安らかに眠ってください、と、お祈りします。
私のせいでこれ以上、両親に苦しい思いなんて、させたくはなかったのです。
「……それじゃ、また、くるから」
一通りの報告を終え、立ち上がると少し離れたところに人影が見えました。
メイド姿のスライムは私の隣に立っていますから、スライムではありません。
沈む夕日に目を凝らしてみれば、気立のいい外套に身を包んだ、大きな帽子をかぶっている男の人です。
びくっ、と私の意思とは関係なく、体がこわばります。
知らない人だったらどうしよう。
知っている人でも困るけど……。
ドキドキと音を立てる心臓に、胸をぎゅっと掴んで目を凝らしていると、近づいてくるその人が不意に顔を上げて目を丸くします。
「ヘタル……ちゃんかい……?」
「へ……?」
聞き覚えがあるようでないような、でも、どこか懐かしい声色に、遠い記憶を探ります。
しっかりとした足取りの割に髪は真っ白で、皺が深く刻まれていて、帽子を取るその手は傷だらけでした。
「ははは、そうか……。覚えていなくても仕方がないねぇ……?」
その目が私の隣のメイド姿のスライムに移り、少しだけ鋭さを増した気がしますが、スライムは何食わぬ顔でそこに立っています。
「では改めて自己紹介といこう。僕は、アルムンド・ベナスティア。君のお父さんとお母さんと一緒にダンジョン攻略に挑んでいた、昔の、お友達だよ」
そんな自己紹介をするべナスティアさんの後ろで、夕日がゆっくりと沈んでいきます。
こんな景色を見るのも、随分と久しぶりだなぁ……、と、私は思いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次章、スライムに命名。
スライムメイドなのかメイドスライムなのか、メイド姿のスライムなのかメイド型のスライムなのか。ややこしい。(葵依幸)