夢を見ていた。
内容は……あまりよく思い出せない。
なんだかとても温かくて心地良い夢だったと思う。
ああ、そうだ。
あのストーカー女が笑っていた夢だ。
ほんのりした愛想笑いなんかじゃなくて、心の底から、それこそ腹を抱えて笑っていたんだ。
俺が最期に見た微笑もキレイだったが、そんなものは目じゃない。
アイツは笑顔が似合う女だったんだな。
ストーカーじゃなかったらな……。
最期?
そうか、俺は死んだのか。
ここが死後の世界ってやつか?
何もない。
何も見えない。
これが死ぬということか。
勝手に死んだとわかったら、姉貴は怒るかな。
俺のために泣いてくれるかな。どうだろう……あの人の考えていることは最期までわからなかったな。
俺は天国に行けるのだろうか。
なんだか少し眠くなってきた……。
* * *
「これで儀式は終わりよね? 成功したのかしら? ホント? ああ、ホントね! 心臓が動いている音が聞こえるわ」
ん、なんだか騒がしいな……。
ここが天国なのか?
「勇者様、起きてください。勇者様!」
体が重い……。まぶたも重い……。
もう少しだけ寝かせてくれ……。
「起きて! 勇者様! 早く起きて! せっかく連れてきたんだから起きてください!」
うるさいな……。
そんなに体を揺さぶらないでくれ。吐きそう……。
「ゆ・う・しゃ・さ・ま! おかしいですね。起きないようですし、もう二度とまぶたが閉じないように切ってしまいましょう」
えっ?
なんか恐ろしい言葉が聞こえたような……。
「儀式で空っぽになってしまいましたし、この聖剣アルデギオンにも、再び勇者様の血を吸わせてあげなくてはいけませんものね。そうしましょう」
儀式? 聖剣?
俺の頬にひんやりとした感触。
人の手……?
「動かないでくださいまし。目の玉までえぐってしまったら大変ですからね。でも隻眼の勇者というのもかっこいいかもしれませんね……」
目のあたりに布が被せられる感触。
冗談じゃない!
かっこいいとか、そんな理由で目をえぐられてたまるか!
「起きたー! 今起きましたー! おはようございますー!」
大声でアピール。
とにかくアピール!
目玉は大事だよー!
「勇者様、おはようございます」
頬をゆっくりと手が這っていく。
顔の上にあった布が取り払われたので、恐る恐る目を開くと――。
「良い朝ですね」
目の前にいたのはストーカー女。
左手で俺の頬を撫で、右手で短刀を逆手に持ち――微笑んでいた。
「た、助けてっ!」
殺さないで!
「敵襲ですか⁉ 勇者様、我が国をお守りください!」
いや、その格好でそれを言われても……。
今まさにピンチなのは俺だからね? その刀を振り下ろされたら、俺、たぶん死んじゃうからね?
「この聖剣アルデギオンが気になりますか? こちらは我が国に伝わる秘宝の1つ、聖剣アルデギオンです。どうですか? 刀身が美しいでしょう」
「聖剣……。小さなナイフなのに」
普通、聖剣って言ったら、エクスカリバーとかレーヴァテインとか、長剣のイメージがあるけれど……。
「聖剣に刃渡りの長さは関係ないのですよ。聖剣アルデギオンは、高潔な血を吸うことで時空をも切り裂く力を得るのです。勇者様も身を持って体験されましたし、その性能は疑うべくもないでしょう」
身を持ってって……あ、俺、公園で刺されて……死んだ……?
「俺、何で生きているんだ……? ここは天国……?」
天国にしては生々しいな。
ストーカー女もいるし。
まだ死に際で夢でも見ているのか……?
「天国……という国は存じ上げません。ここは我が国、ヴァレンシア国ですわ」
ヴァレンシア国?
初めて聞く国名だな。そんな国あったかな? あまり知られていない小国か?
「お前、俺のことを刺して……」
「はい、この聖剣アルデギオンで刺しました」
その刃物をぎらつかせるのやめて。
顔の前に持ってこられると怖い。
「血がめちゃくちゃ出て……助かった、のか……?」
背中に痛みもないようだし。
「助かったかと言われると、どうお答えして良いのか回答に困りますが……勇者様は、あの世界では一度お亡くなりになりました」
やっぱり俺は死んだのか。
「しかし、この聖剣アルデギオンの力を使い、その魂を我が国へと転移。我が国に伝わる儀式によって新たな生を授けたのですよ」
待って。ちょっと理解が追いつかない。
「簡単に申し上げますと、『異世界転生』ですね」
「ずいぶん簡単にまとめたな⁉ えっ、俺、異世界転生したの⁉ じゃあ、ここって異世界⁉」
待って待って。……さては、ドッキリ?
「はい。勇者様がおられたあちらの世界とは異なる理に支配された世界ですよ」
マジかよ……。
異世界転生とか、フィクションじゃなかったのか……。
「そう言えばお前、ずっと俺のことを『勇者様』って呼んでいたよな……。俺ってこの世界を滅亡の危機から救う勇者だったりする? ハハハ、まさかね」
さすがにそんな大それた力は……。
普通の高校生だしなあ。
「勇者様は勇者様ですね。世界滅亡の危機については存じ上げませんが、勇者様が『我が国を救う存在』だという神託が下っております」
「神託ねえ……。俺は普通の高校生なんだけどな」
「いいえ、勇者様」
ストーカー女が短剣を鞘に納め、立ち上がった。
「勇者様はもう高校生ではありませんよ」
あ、そうか。
俺は死んで異世界転生したから……。
「これで何も問題はありませんね」
俺のことを刺し殺しておいて微笑むんじゃない!
ここまでの流れ、何もかもすべて問題しかないからな?
「改めまして勇者・コータ=トリィ様。ヴァレンシア国へようこそおいでくださいました」
そう言って、ストーカー女は深々と頭を下げた。
その姿を見て、素直に「きれいだな」と思ってしまった。