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第19話 三本の矢

 夕暮れの光が差し込み始めた帰り道。僕の隣には、少しだけ表情の和らいだミキちゃんが、そして少し前には、相変わらずぶっきらぼうだが、どこか頼りになりそうな蓮くんがいる。

 1人ではない、という感覚が、僕の心に確かな温もりを与えていた。


「あの、よかったら……」


 僕は、少し躊躇いがちに切り出した。


「少しだけ、家に寄っていかないかな? 今日のこと、もう少しちゃんと話したいし……」


 美希は「うん、行く!」とすぐに頷いてくれたが、蓮は「はあ? なんで俺まで……」と、やはり面倒くさそうな顔をした。


「まあまあ、そう言わずに。ね?」


 ミキちゃんが、僕に加勢するように蓮くんを促す。彼は、チッと舌打ちを一つすると、「……勝手にしろ」とだけ呟いた。肯定と受け取っていいのだろう。


 こうして、僕たちは三人で、僕の家へと向かうことになった。玄関のドアを開け、「ただいま」と声をかけると、リビングから母親が顔を出した。


「あら、沙羅、お帰りなさ……まあ、お友達?」


 僕の後ろにいる蓮くんとミキちゃんを見て、母親は少し驚いたような、しかし嬉しそうな表情を浮かべた。


「あ、うん。今日、学校で……その、親切にしてくれたクラスの人たち」


 僕は、曖昧に紹介する。これ以上の説明は、今の僕には難しい。


「まあ、そうなの! 沙羅が、お友達を連れてくるなんて……! どうぞどうぞ、上がってちょうだい。今お茶淹れるわね」


 母親は、本当に嬉しそうだ。その様子に、僕の胸がまた少しだけ痛む。父親も、書斎から顔を出し、「おお、沙羅のお友達か。ゆっくりしていきなさい」と穏やかに微笑んだ。

 蓮くんは少し居心地が悪そうに会釈し、ミキちゃんは緊張した面持ちで「お邪魔します……」と頭を下げた。


 リビングでお茶を、という母親の申し出を、「部屋で少し話したいことがあるから」と丁重に断り、僕は二人を二階の自分の部屋へと案内した。


 SARAと書かれたドアプレート。そのドアを開けて、二人を招き入れる。


「……へぇ」


 部屋に入った蓮くんが、意外そうに呟いた。


「女の部屋ってもっと、こう……ゴチャゴチャしてるかと思ったけど……意外と、こざっぱりしてんな」


 彼の言う通り、この部屋は、僕が退院してから数日の間に、少しずつ模様替えを進めていた。

 過剰なぬいぐるみやファンシーな小物はクローゼットの奥にしまい込み、本棚の本やスケッチブックを、すぐに手に取れる場所に出してある。まだ壁紙やカーテンはそのままなので、ちぐはぐな印象は否めないが、それでも以前よりはいくらか僕の好みに近い、シンプルな空間になっていた。


「あれ……」


 隣で、ミキちゃんが不思議そうに部屋を見渡している。


「沙羅ちゃん、部屋の雰囲気、少し変わった……? 前はもっと、こう……キラキラしたものとか、たくさん飾ってなかったっけ……? もしかして、好みが変わったの?」


(……しまった。やりすぎたか……?)


 僕は内心焦りつつも、記憶喪失という便利な言い訳を使う。


「そう……なのかな? 退院してから、なんとなく少し片付けただけだよ」

「そ、そっか……。記憶、ないんだったもんね……ごめん」


 ミキちゃんは、少し寂しそうに、しかし納得したように頷いた。蓮くんは、相変わらず面白そうに部屋の中を観察している。


 僕は、二人にベッドの端や、床に敷いた小さなラグに座るよう促し、自分も机の椅子に腰掛けた。ドアを閉めると、部屋は三人だけの密談の空間となる。少しだけ緊張感が漂うが、そこには確かに「仲間」としての連帯感のようなものも生まれ始めていた。


「改めて、今日は本当にありがとう」


 僕が切り出すと、ミキちゃんは「ううん、私は何も……」と首を振り、蓮くんは「……別に」とそっぽを向いた。


「それで、本題なんだけど……。やっぱり、あの姫野莉子さんのこと、もっと詳しく教えてほしいんだ。わたしは何も覚えていないから……」


 僕の言葉に、ミキちゃんの表情が再び曇る。彼女は、意を決したように、ゆっくりと話し始めた。


「姫野さんは……昔から、クラスの中心っていうか……目立つ子で。自分の言うことを聞く子にはすごく優しいんだけど、ちょっとでも気に入らないことがあると……なんていうか、すごく過激になるっていうか……。陰で悪口を言ったり、無視したり……そういうのが、すごく上手で……」


 彼女の話から、姫野莉子がクラス内で「女王様」のように振る舞い、逆らう者には容赦しない性格であることが伝わってくる。


「沙羅ちゃんが……その、目をつけられたのは……中学に入ってから、しばらくして……。きっかけは、ホントか嘘かわからないんだけど――姫野さんの彼氏に色目を使った……って聞いたことがある……」


 ミキちゃんの声が、少しずつ震え始める。


「最初は、無視とか、悪口だけだったんだけど……だんだんエスカレートして……。持ち物を隠されたり……SNSで、ひどいこと書かれたり……」


 蓮くんが、腕を組んだまま、ミキちゃんの話を補足するように口を挟んだ。


「ああ。姫野は、教師の前じゃ完璧に良い子ぶってるからな。たちが悪い。だから、教師どもも、見て見ぬふりだ。面倒事に関わりたくないんだろ。クラスの奴らも、ほとんどが姫野のこと怖がってるか、自分に火の粉が降りかかるのを避けてるだけだ。だから、誰も助けねえ」


 彼の言葉はぶっきらぼうだが、的確に状況の本質を突いていた。


(なるほど……。女王様気質で、敵には容赦なく、教師も見て見ぬふり……。想像以上に厄介な相手、というわけか……。そして、沙羅は、たった一人でそれに耐えていた……)


 2人の話を聞きながら、僕の怒りは静かに、しかし確実に燃え上がっていた。絶対に、許しておけない。


「……分かった。ありがとう、2人とも。状況はよく理解できたよ」


 僕は、冷静さを装って言った。感情的になっても仕方がない。


「それで、これからどうするかだけど……。わたしが思うに、今日みたいにただやり返すだけじゃ、根本的な解決にはならない。それに、また報復される可能性もある」


 僕は思考を巡らせる。


「だから、まずは、彼女たちが『いじめをしている』という、客観的な証拠を集めるのが一番だと思うんだ。言い逃れできないような、決定的な証拠をね」


 SNSでのやり取りのスクリーンショット、会話の録音、嫌がらせの現場の写真や動画、あるいは、勇気を出してくれるかもしれない目撃者の証言――具体的な方法をいくつか挙げてみる。


 僕の提案に、蓮くんとミキちゃんは少し驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。


「証拠……か。たしかに、それが一番かもね……」


 ミキちゃんが頷く。


「……まあ、面倒くさそうだけどな。で、俺らに何させたいんだよ?」


 蓮くんが尋ねる。


「蓮くんには……主には抑止力。今日みたいないざって時に力を貸してほしいんだ。それこそ、ボディガードみたいにね」

「……チッ。人使い荒いな」


「ミキちゃんには、女子の間での話とか、姫野さんたちのグループの動きとか……そういう情報を教えてほしい。もちろん、絶対に無理はしないでほしいんだけど」

「うん、分かった! 私にできることなら、何でも協力するよ!」ミキちゃんは力強く頷いた。

「わたしはとりあえず証拠集めを頑張るよ――暫くはわたしにちょっかいかけてきそうだし」


 3人の間で、自然と役割分担のようなものが決まっていく。もちろん、安全第一で、無理はしない、ということも確認した。


(……よし。これで、反撃の準備はできた、かな)


 話がある程度まとまったところで、僕は思い出したように言った。


「そうだ。今後のためにも、連絡先、交換しない?」


 僕が自分のスマホを取り出すと、蓮くんとミキちゃんも、それぞれのスマホを取り出した。


 3人の間で、連絡先が交換される。これで、いつでも連絡を取り合える。


(これで、本当に1人じゃないんだな……)


 改めて、いじめに立ち向かうという決意を、3人の間で共有する。部屋の空気には、まだ不安の色も残っているけれど、それ以上に、確かな連帯感と、未来への希望のようなものが満ちている気がした。この部屋が、まるで僕たちの秘密基地になったような、そんな感覚。


 やがて、時間も遅くなってきたため、蓮くんとミキちゃんは帰ることになった。玄関まで2人を見送る。


「じゃあ、また明日ね、沙羅ちゃん」

「……なんかあったら、言えよ」


 ミキちゃんと蓮くんは、最後にそれだけ言って、帰っていった。


 1人、部屋に戻る。窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。今日一日だけでも、目まぐるしいほどの出来事があった。これから、どんな戦いが待っているのだろうか。


(面倒だけど……でも、やるしかないんだよな)


 僕は、スマホに新しく登録された2つの連絡先を眺めながら、静かに、しかし強く、そう心に誓った。

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