僕が学校に通い始めてから、数週間が経とうとしていた。季節は着実に秋へと移り変わり、朝晩の空気は肌寒さを感じさせるようになっている。
そして、姫野さんからの嫌がらせも、形を変えて執拗に続いていた。蓮くんの睨みが効いているのか、水をかけられるような直接的なものはなくなったが、代わりに、もっと陰湿で、証拠の残りにくい方法が取られるようになった。
教科書やノートの隅に、いつの間にか悪趣味な落書きがされていたり、はたまた破り捨てられていたり。
ロッカーに入れておいた上履きが、ゴミ箱に捨てられていたり。
そして、おそらくはSNSなどを通じて、僕に関する悪質な噂が、クラスの内外で流されているようだった。
(……本当に、やり方が陰湿で、幼稚だな……。でも、地味に精神的にくる……)
僕と蓮くん、ミキちゃんの3人は、協力してそれらの証拠を集めようと試みていた。なるべく姫野さんの目につかないように、放課後に集まっては情報交換し、決定的なものがないかどうかを確認していた。
だが、決定的な証拠は、なかなかつかめなかった。姫野さんたちは巧妙で、自分たちが直接手を下している証拠は決して残さない。
噂話も、誰が最初に言い出したのか、辿ることは難しい。僕たちが集められるのは、状況証拠ばかりだった。
(……くそ……。子どもと思っていたけど、なかなか尻尾が掴めない……)
終わりの見えない嫌がらせと、成果の上がらない証拠集め。それに加えて、慣れない学校生活と、この身体で生きていくこと自体のストレス。それらが、じわじわと僕の心を蝕んでいくのを感じていた。
当初抱いていた楽観的な気持ちは、日々の小さなストレスの積み重ねによって、少しずつその輝きを失い始めていた。
もちろん、蓮くんやミキちゃんという仲間ができたことは、大きな支えだ。1人ではない、という感覚は、僕を何度も奮い立たせてくれた。それでも、夜、1人でベッドに入ると、言いようのない疲労感と焦燥感に襲われることが増えてきていた。
(……いつまで、こんなことが続くんだろう……。本当に、状況を変えられる日が来るんだろうか……。少し、疲れてきたな……)
そんな僕の内心を知ってか知らずか、ミキちゃんが心配そうに声をかけてくれる回数が増えた。
「沙羅ちゃん、最近、顔色悪いよ? 無理してない?」
「……うん、大丈夫だよ。ありがとう、ミキちゃん」
僕は笑顔で返すけれど、その笑顔がうまく作れているか、自信はなかった。
蓮くんも、相変わらずぶっきらぼうではあるけれど、時折、僕の様子を気にかけているような素振りを見せるようになった。
一方で、僕たちが膠着状態に陥っている間に、姫野莉子さんの方にも、変化の兆しが見え始めていた。ミキちゃんが、心配そうに教えてくれた。
「あのね、沙羅ちゃん……。最近、姫野さん、前よりもっとピリピリしてるっていうか……。取り巻きの子たちにも、当たりがキツくなってるみたい……。何か、また企んでるのかもしれない……」
蓮くんも、同様のことを感じているらしかった。
「姫野のやつ、最近妙に大人しいと思ったら、裏でコソコソ何かやってるみてえだぞ。気をつけろよ」
(……僕が屈しないことに、苛立っているのか……? それとも、蓮くんやミキちゃんが僕といるのが、気に入らないのか……?)
どちらにしろ、良くない兆候だ。彼女が、より直接的で、過激な手段に出てくる可能性もある。そうなれば、僕だけでなく、蓮くんやミキちゃんまで危険な目に遭うかもしれない。
(……早く、決着をつけないと……)
焦る気持ちとは裏腹に、有効な手立ては見つからない。そんなジレンマを抱える日々が続いていた、ある日のことだった。
☀︎☀︎☀︎
その日は、朝からどうにも身体がだるかった。寝不足のせいかと思ったが、それだけではないような、身体の芯からくるような重さ。授業中も、集中力が続かず、ぼんやりとしてしまう。そして、昼休みが近づく頃には、下腹部に鈍く、重たい痛みを感じ始めた。
(なんだろう……? この感じ……。お腹でも壊したかな……? でも、変なものは食べてないはずだけど……)
最初は気のせいかと思ったその痛みは、消えるどころか、断続的に、しかし確実に存在感を増していく。腰のあたりまで重く、鉛が入っているようだ。それに、なんだか妙にイライラするというか、気分が落ち込むというか……。
(……風邪、かな……? でも、熱はないみたいだし……。なんなんだ、一体……)
原因不明の体調不良。それは、これまで経験したことのない種類の、不快な感覚だった。僕は、言いようのない不安を感じながら、なんとか昼休み、それから掃除を終えた。だが、その不調は、これから僕を襲う、新たな困難の、ほんの序章に過ぎなかったのだ。