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10. 恋してる?

10. 恋してる?



 昨日の夢のような出来事が嘘だったかのように、今日は月曜日がやってきた。


 当然ながら、ボクはいつもの『白井雪姫』ではなく、冴えない陰キャオタクの『白瀬勇輝』として、重い足取りで学校へと向かっている。


 教室に入り、自分の窓際の隅の席に座る。ホームルームが始まるまでの間、楽しそうに談笑するクラスメートたち。その賑やかな輪にはもちろん加わる勇気もなく、ボクは一人、静かに席についていた……


 そんなことをぼんやりと考えていると、教室のドアが開き、一人の女の子が入ってきた。葵ちゃんだ。今日も、陽だまりのような笑顔が眩しい……


 昨日、あんなに近くで見た、様々な可愛い表情や、薬指に光るお揃いのペアリング。そんな色々なことが、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、もしかしたら、それはボクだけが知る、特別な葵ちゃんなのかもしれないと思ったら、自然と笑みがこぼれてしまう。


 その時、ふと昨日、妹の真凛に言われた辛辣な言葉が、脳裏をよぎる。確かに……ボクは男として全然ダメだし、自信もないし、いつも葵ちゃんにリードされてばかりで、何かをしてあげたわけじゃない……


 でも……それでも……初めて女の子と二人きりでデートをして、ボクの中で何かが確かに変われたような気がしたんだ。


 そして……ボクは、まるで何かに突き動かされるように、隣の席の葵ちゃんに声をかけていた。


「あっ、あの……」


「え?」


 葵ちゃんが、不思議そうな顔で、こちらを向いた。


「おっ……おはよう……」


 精一杯の勇気を振り絞って、挨拶の言葉を口にする。


「……あ。おはよう、白瀬君」


 葵ちゃんは一瞬、ほんの少しだけ戸惑ったような表情を見せたけれど、すぐにいつもの明るい笑顔になり、挨拶を返してくれた。そして、そのまま何事もなかったかのように、前を向いて自分の席についた。


 ボク……今……挨拶した?


 自分から……あの、クラスの憧れの存在だった葵ちゃんに……

 今までこんな経験なんて一度もなかった。陰キャでオタクの目立たないボクが、自分から挨拶をしただけで胸がいっぱいになり、信じられないほどの嬉しさがこみ上げてくる。


 そして葵ちゃんから返された、たった一言の「おはよう」という挨拶が、まるで世界で一番美しい言葉のようにボクの心に響いた。


 たかが挨拶。本当に些細なことかもしれないけれど、ボクにとっては何かすごいことを成し遂げたような大きな達成感に満たされていた。


 そして午前中の授業が終わり、待ちに待った昼休み。ボクはいつものように誰とも話すことなく、一人寂しく持ってきたお弁当を広げていると、隣の葵ちゃんのいるグループの、楽しそうな会話が耳に入ってきた。


 そのグループには、明るい茶髪のウェーブヘアが特徴的な、少し今時のギャルっぽい雰囲気の東城千夏さんと、黒髪のセミロングで、真面目でおとなしそうな印象の新島由香里さんがいる。二人は1年生の頃からずっと同じクラスで、葵ちゃんとは大の親友同士だ。


 今までは、全く気にならなかったけれど、今日のボクはどうしようもなく、その会話の内容が気になってしまう……人の話を盗み聞きするなんて、決して褒められたことではないけれど……どうしても、葵ちゃんのことが気になって、聞き耳を立ててしまう。


「ねぇ葵?週末ヒマ?」


「あっ、土曜日なら大丈夫だよ?日曜日はちょっと用事があって……」


「用事?ウチら以外に?」


「珍しいね葵ちゃん。いつもは『そろそろ本気で恋したいから、出逢いを求めて街へ繰り出そう!』って誘ってくるのに」


「いつもじゃないよ! たまに、ね?」


 葵ちゃんはそう言いながら、照れたように笑っている。本当に……葵ちゃんは、真面目に恋愛をしたいんだな。


 ボクとの……いや『白井雪姫』とのデートは、ただの遊びじゃない……葵ちゃんは、本当に恋をしようとしてくれているんだ。そう思うと複雑な気持ちだけど、それ以上に心が温かくなる。


「ところで、葵。スマホで、何調べてんの?」


 千夏さんが、葵ちゃんのスマホ画面を覗き込みながら尋ねた。


「ん?映画。今週、観に行こうかなって思って。どんなのがいいかなぁ……やっぱり恋愛もの?ベタかなぁ……う~ん……悩む~!え?……何?」


 葵ちゃんは、真剣な表情でスマホの画面を見つめていたけれど、二人の視線に気づき、顔を上げた。


「葵……もしかして、彼氏でも出来た?」


「なんか、すごく楽しそうに悩んでるし、なんか、恋してる顔してる?」


「え?いやいや!彼氏なんてできてないよ!……でも、恋してるように見えるんだ……そっか……」


 葵ちゃんは少し頬を赤らめながら、曖昧な返事をした。その言葉にボクはドキッとする。


「は?恋してるってこと?」


「まぁ……一応、そんな感じかな。私にとって……大切な人がいるって言ったら……変かな?」


 そして、またその言葉に、ボクはドキッとする。


 もしかして……ボクのこと言ってる?それに……大切な人?嬉しいけど……なんだか急に恥ずかしくなってきた……


 心臓がトクン、トクンと、大きく脈打つ音が、自分の耳にも聞こえるほどだった。

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