15. この気持ちに素直に
映画館の明るい光から、少し薄暗い午後の日差しの中へ足を踏み出す。隣には葵ちゃん。二人で並んで歩きながら、映画の余韻に浸るように近くのカフェへと向かう。
上映後のまだ少し興奮冷めやらぬ空気の中、印象に残ったシーンや、好きなキャラクターについて、他愛のない感想を言い合っていると自然と笑みがこぼれる。言葉を交わすたびに、葵ちゃんの楽しそうな笑顔が、ボクの心を優しく照らしてくれる。
そして、カフェに入って案内されたのは、奥まった、落ち着いた雰囲気の席だった。見ると、向かい合う席ではなく、珍しく隣同士のゆったりとしたソファ席。少しだけ肩が触れ合う距離にドキドキしてしまう。
注文したランチが運ばれてくる。彩り豊かで、美味しそうな香りが鼻をくすぐるけれど、正直なところ、緊張で味がよく分からない。
隣からは、ふわりと甘く優しいシャンプーの香りが漂ってきて、葵ちゃんの存在を意識するだけで、心臓がトクントクンと音を立てる。
時折、何気なく横目で見る葵ちゃんの横顔は、光を受けてキラキラと輝いていて、本当に可愛くて見惚れてしまう。
ボクは、本当に葵ちゃんに恋をしているのだろうか?アイスティーをゆっくりと飲みながらそんなことを考えていた。
確かに今まで抱いていた、憧れの『推し』に対する気持ちとは明らかに違うと思う。だって、こんなにも胸が高鳴らないし、ただ遠くから見ているだけで満足するなんてことはないから……
葵ちゃんのことを考えると、いつもドキドキするし、もっと近づきたい、もっと知りたいと思ってしまう。でも、この胸の奥を締め付けるような、もどかしい気持ちは一体何なんだろう?
「雪姫ちゃん?どうかした?」
隣に座る葵ちゃんが、ボクの視線に気づき、心配そうな声をかけてきた。その優しい声にハッと我に返る。ボクの様子がおかしかったのだろうか。ぼんやりと一点を見つめていたかもしれない。
「あ……いや……なんでもないよ」
慌てて笑顔を作って答えるけれど、心の中はまだざわついたままだ。平静を装っているつもりなのにきっと顔に出てしまっていたんだろうな。
「今日は本当にありがとうね!私、ずっと観たかった映画だったから、雪姫ちゃんと一緒に観に来られて、凄く嬉しい!」
葵ちゃんの屈託のないキラキラとした笑顔を間近で見てしまうと、ますますドキドキしてしまう。その笑顔は、まるで太陽みたいに眩しくて見ているだけで心が明るくなる。
でも……今のボクに出来ることは、なるべくいつも通りに振る舞うことだけだ。変に意識して、ぎこちなくなってしまうのが怖い。
「私も葵ちゃんと一緒に映画観れて嬉しかったよ」
そうは言ったものの、結局ボクは葵ちゃんに何もしてあげられていない。ただ葵ちゃんが誘おうとしていた映画を一緒に観て、こうして葵ちゃんが見つけた可愛いカフェでランチを食べているだけ……
本当にこれで良かったんだろうか?葵ちゃんは、もっと色々なことを期待していたんじゃないだろうか?
「雪姫ちゃん?」
また考え込んでいるボクを、葵ちゃんが心配そうに少し顔を近づけて覗き込んでくる。その近さに心臓が跳ね上がる。だから慌てて笑顔を作り、ぎこちなく話題を変えることにした。
「あ……あのさ!葵ちゃんって、普段はどんな映画が好きなの?」
まるで、用意していたセリフを棒読みしているみたいで、自分でも不自然に感じる。
「あのさ……雪姫ちゃん。もしかして……私と一緒にいるの楽しくない?」
葵ちゃんの少し不安そうな声がボクの胸に突き刺さる。もしかして、ボクの態度が、そう思わせてしまったのだろうか?
「え?そんなことないよ!」
「でも、さっきからなんか上の空っていうか……何か考え事してるみたいだし……」
葵ちゃんの視線が心配そうにボクを見つめている。誤解させてしまっている。早くちゃんと伝えなければ。
「そんなこと本当にないよ!私、葵ちゃんと一緒にいるのすごく楽しいから!」
必死に取り繕うボクに、葵ちゃんは少しだけほっとしたような笑顔を見せてくれる。
「ありがとう雪姫ちゃん。でも無理しないでいいんだよ?もし、私と一緒に居るの楽しくないならハッキリ言ってくれても全然構わないから」
「え?」
なんで、そんなことを言うんだろう?ボクは、葵ちゃんのことが『好き』なのに……どうして、そんな悲しいことを言うの?胸の奥がきゅっと締め付けられる。そう考えている間にも、どんどん葵ちゃんの表情が不安げに暗くなっていく。
「ちっ……違うの!私は葵ちゃんのこと好きなの!」
堪えきれず、ボクは思わず口走ってしまった。周りの視線が少し気になったけれど、そんなことはどうでも良かった。自分の気持ちがまだはっきりと分からないけれど、でも……そんなことはどうでも良かった。
だって、葵ちゃんが今にも泣き出しそうな、悲しそうな顔をしているから。ボクはそんな顔を葵ちゃんにして欲しくないから!
「雪姫ちゃん……」
葵ちゃんの潤んだ瞳がボクをじっと見つめる。
「ただ映画を観て、ご飯を食べて……それだけしか出来なくて……私……葵ちゃんの理想の恋人になれてるのかなって……ただの一緒に遊ぶ友達なのかなって……勝手に悩んでて……ごめん……」
ボクはごちゃごちゃになった頭の中の言葉を素直に葵ちゃんに伝えた。すると葵ちゃんは、さっきまでの不安そうな表情から一転して、どこか安心したような優しい笑顔を見せると、そっとボクの手を握ってくれた。
「良かった……私、雪姫ちゃんに嫌われちゃったのかと思って、すごく不安だったから。それにね?私も雪姫ちゃんと同じ気持ちなんだよ?」
「同じ気持ち?」
「うん!だってこんなに可愛い子と二人っきりでお出掛けなんて、私だってすごく緊張するし!私も雪姫ちゃんのこと好き……女の子と付き合いたいって、ワガママ言ってるけど……でも……まだ、この気持ちがよく分かってない。本当に雪姫ちゃんに恋愛してるのか、ただの大切な友達として好きなのか。だから……私も雪姫ちゃんと同じ気持ちだと思う」
照れたように頬をほんのり赤らめながら笑う葵ちゃん。その表情があまりにも可愛くて、ボクは思わず、見惚れてしまう。ドキドキがさっきよりも激しくなる。
本当に葵ちゃんは可愛いと思うし、やっぱり、『好き』だと思う。この気持ちが友情なのか、それとも恋なのか、まだはっきりと名前を付けることはできないけれど、でも……こうして葵ちゃんと一緒にいれば、いつか、この気持ちが何なのかはっきりと分かる日が来るような気がする。
だから今は、この温かくて少しドキドキする不思議な気持ちに、素直でいようとボクは心の中でそっと決めた。そして握られた葵ちゃんの手に、そっと力を込めて握り返した。