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刑事 魔人 一般人 下

 細く拙い行燈の灯火がゆらりと揺らめき、香の煙が輪を書き回る。


 「やぁやぁ掃除屋さん、それと刑事さん。今回はどんなご要件で? 魔鬼の足跡をご所望か? それとも行方不明になったパンピーをお探しか?」


 黒いミニマムグラスを鼻に掛け、金の刺繍を入れたツーピースのチャイナローブを着た男、楊芋圓ヤン・ウェンシは黒塗りの硝子煙管を口に咥え、紫煙を吐く。


 「楊さん、今回の用事は新しい魔人についてなんだ。なんか知ってるかい?」


 「魔人、魔人、魔人……あぁ魔鬼か。いやは、新しい魔鬼とは九龍の落下物かな? あぁ知ってるとも。知っているが」


 「金は出す。捜査費用からだが」


 「話が早くて助かるよ刑事さん。全く最近は礼儀がなっていない九龍人が増えてね、金も払わずに情報を得ようとする輩が絶えないんだ。いやま、それは些細な問題でしかないがね。うん」


 ケタケタと笑い、サングラスの向こう側から銀の瞳を覗かせた楊は硝子皿に灰を捨て、袖に仕舞っていた両腕を広げる。バラバラと落ちた暗器の嘶きは鋭き死の音色。


 「楊さん」


 「なんだい? 掃除屋さん」


 「今のアンタはどっちだ?」


 「嫌だなぁ、楊は楊でしょうが。他に」


 「嫌だねぇ楊さん、俺ぁ友達を失いたくないんだよ。分からないとでも思ったか? なぁ、情報屋」


 「……ハイハイ! 分かりましたよ! 掃除屋さんの目は誤魔化せないねぇ! 今の私はインさ、殷芋圓。可笑しいなぁ、上手いこと騙せると思ったんだけどねぇ」


 ケタケタと腹を抱えて笑い、目尻に涙を浮かべた楊……否、殷芋圓は指先に香の煙を纏わせ、


 「楊でもいいし、殷でもよろし。私達は———俺達は対価さえ貰えればアンタ方が欲しい情報を話そう。さぁどうする掃除屋、そして新宿の狼」


 左目を金色に染め、口半分から全く別の男の声を響かせる。


 「……対価は?」


 「何でもいい。金、薬、呪物、落下物、女子供のはらわたでも俺は一向に構わない。だが、狼……咲州が金を提供するなら俺はそれを受け取ろう。殷への対価は無しだ」


 「まぁね、俺が居るから殷はお役御免さ。ね、咲州さん」


 「……そうだな、報酬は二十万円。元か香港ドルの方が良かったか? 九龍人」


 「冗談、日本に住んでいるんだ。円の方が良いに決まっている」


 さて———と、気怠そうに腰を上げた楊は真鍮製の盆を手に取り、薄く水を張る。


 「犬神」


 「ん?」


 「何時から気付いていた」


 「最初から」


 「何故俺に教えなかった」


 「咲州さんに教えても分からないと思ったから」


 「それだけか?」


 「勿論、俺が咲州さんに嘘言ったの一回しかないでしょ?」


 「……」


 「魔人の世界にあんまり深入りして欲しくないなぁ咲州さんには。アンタは普通の人間なんだからさ」


 「……お前はどうなんだ」


 「俺は……魔人だから。楊の言った通り、魔鬼なんだよ五年前から。魔が人の傍に居られる筈がないだろ?」

 「それは建前だ」


 「……」


 犬神が薄く笑い、頬を掻く。乾いた皮膚が剥がれ、白い粉となって赤い絨毯に落ちた。その様子を見た咲州もまた深い溜息を吐き、舌打ちをする。


 「今も追っているんだろう? あの少女のことを、こんな場所に籠ってまでずっと。目を覚ませよ犬神、あの子はもう」


 「やめてくれ、咲州さん」


 「……」


 「死んでいるか、生きているか、その二つの違いじゃないんだ。アンタ言ってたじゃないか、執念に生きてこそ刑事だって。もう俺ぁ警察官じゃないけど……咲州さんの言葉は正しいと思ってる。テメエの尻(ケツ)はテメエで拭け。俺はケリつけなきゃならないんだよ、自分の手で」


 黒い瞳の奥に燃え盛る炎は憤怒の業火、濁流の如く押し寄せる殺意を憎悪の防波堤で堰き止め、執念という言葉を吐く度に犬神の心に罅が奔る。


 咲州は犬神に裏切られたとは思っていない。彼が追う少女には返し切れない恩がある。だが、刑事である己がもし彼の少女と再会したら、恩を踏み躙りながら手錠を嵌めるしかないのだろう。法に従う人間故に。


 「御二方、結果が見えるよ」


 楊の金の瞳が妖しく揺らめき、星屑の涙を零れ落とす。


 「彼の魔鬼が持つ落下物は糸繰り具だ、それも地下九龍五層の化物が落とす呪具。呼び名を与えるとするならば……人繰り糸の魔人と呼ぶべきだろう」


 「五層の呪具だと? 一般人が入り込める場所じゃない」


 「如何にも、あそこを歩ける者は限られている。掃除屋さんか、マリグナント、それか劉の大旦那か……『祈祷者』達の誰かだ」


 「……楊さん」


 「……」


 「もっと見れるかい? 『祈祷者』の誰が落下物を回収して、新たな魔人を生み出したのか。いや、『祈祷者』は“何人居た”?」


 「其処までは見れないね」


 「遠見の魔人と呼ばれるアンタが見れない筈が無い。さっさとやれよ、楊」


 「俺に死ねって言ってんのか? 軽くて薄いねぇ、アンタの言う友達って言葉は。情があってもいいもんだろうよ、なぁ? 掃除屋の兄ちゃん」


 犬神の指輪からドス黒い液体が垂れ落ち、中指に嵌めていた二つ目の指輪が白光を放つ。周囲の闇に幾つもの赤い瞳が現れ、荒い息遣いと共に濃い獣の臭いを部屋に充満させた。


 「犬神」


 「……」


 「犬神、落ち着け。今此処で楊を殺してなんになる? 此奴は有益な情報屋……一般人を殺していない魔人だぞ? 此奴を殺しちまったらお前はお前で居られるのか? もしあの子と再会できた時、お前は彼女の手を握ることが出来るのか? 分かったなら」


 「俺から一つだけ」


 「楊! お前はもう話すな!」


 「いいんだ咲州の旦那。あの少女……飯野神楽を守り切れ。アンタの命に代えてでも必ずな。俺が見た光景は……二人の少女が背中合わせで立っていた光景だ」


 「……詳しく話せ」


 「本当にそれだけさ、俺の落下物は過去は見れても、遠い未来を見る事はできない。掃除屋の兄ちゃんも知ってるだろ? 自分も魔人なんだからな。

 遠い未来は見えずとも、今より少し先の未来が見える。逆に過去は降り積もりし白雪の如し、消え去るが故に盆に帰らん。咲州さんの過去も、劉の大旦那の過去も、凛胤の過去も、俺は知っている。だが……アンタの過去だけは見えないんだ、掃除屋の兄ちゃん」


 「俺の過去が見えたら指輪をくれてやるよ、楊」


 「遠慮する。九龍の秘宝を欲しがる奴なんざ破滅願望の塊だ。俺は自分の命が惜しいんでね、殷の奴は知らんが」


 「行こう咲州さん」


 「……いいのか?」


 「楊さんが見えないと言ったんだ、九龍の情報屋が話せないのなら誰も分からないだろ? それに……ある意味答えは得た。もう此処に用は無いさ」


 「お前がいいなら……そうか。楊、金は後日持ってくる。それでいいな?」 


 「毎度、俺も———私達は此処に居るから何時でもどうぞ。楊兄さん、少し話し過ぎだよ? 肉体の主導権は十二時間交代って決めてるだろ?」


 手をヒラヒラと振り、嫌な笑みを浮かべた殷を他所に犬神は呟く。


 「もし祈祷者の気配がしたら俺を呼べよ、十秒で片付ける。脅した礼だ、これで勘弁してくれよ? 楊さん」


 「お生憎様、俺も弱くは無いんでね。簡単には殺されないよ、首だけになっても齧り付いてやるさ」


 「言うねぇ、じゃぁな……殷」


 「ザイジエン! 掃除屋さん!」


 殷を一瞥した二人は部屋を出ると、九龍の出口へ歩を進め、新宿区警察署へ向かった。


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