――加護範囲が拡張されている――
そうだ……ここに来てから何となく感じていた違和感……言葉……そう! 俺たちは加護範囲外のウキヤグラに来ているのに、言葉が通じていた!
ということは、ここに来る前から、加護の範囲が知らぬ間に拡張されていた……?
なんで……加護の光……光?……光るしおり……アポロのしおり……そうだ! アポロが道中ずっと木にしおりを吊るしていた! そういえば、ばあちゃんがキノにしおりを渡したときにもうっすらと光を放っていた!
「おい! アポロ! お前、あのしおりに何かしたか?!」
「え?! しおりですか? いえ……何もしてませんよ。ただお客さんが喜ぶようにと心を込めて折っただけです……でも、そのお客が来ませんが!」
「心を込めて……こころ……?」
《こころ……信仰心……ではないでしょうか?》
「信仰心? ばあちゃんへの?」
《ええ。伊織さま、ひいては稲荷神への信仰心と、しおり……つまり媒体が掛け合わさって加護の拡張をしているのかもしれません》
まじか……これはとんでもないぞ……ばあちゃんを信仰すれば、魔物が弱くなり、言葉の壁も取っ払う。そして、その範囲も広げられる……無茶苦茶だ……チートにもほどがあるだろ。
――「蓮どの~!」――
ここで、ヒーゴ王がウォルトに背負われ急いで戻ってきた。ウォルトは四つ足で走り、ヒーゴ王はまるで競馬の騎手の様に前傾姿勢でウォルトのけつを叩いている。なんだ? あの慌てようは。嫌な予感がするな……けつは……叩かなくてもいいだろ。
「ヒーゴ王、どうしたんですか! そんなに慌てて」
「大変じゃ……ワシ、水やりの木がどんな具合に成長したか見てきたんじゃが……あれ、もはやワシの知っとる水やりの木じゃないの……」
「え? どういうことですか? 違う木なんですか?」
「いや! 水やりの木ではあるんじゃが……新種というか……さらに強くなっとる。う~ん……進化……そうじゃ! さらに強力に進化しとる感じがするの!」
「進、化……?」
「他の植物たちもそうじゃ。成長というより、強制的に進化させられとる。より強く、よりこの環境に適した形に……伊織さんの魔法……こりゃとんでもないもんじゃぞ!」
――「えへははは~!!!」――
――「「「きゃーーー! ぬし様すごーい!!!」――
ばあちゃんは、今度はくさ手を使って村の子供たちをブランコのように揺らし、ゲラゲラと遊んでいる。
加護の拡張に強制進化……?
おい、ばあちゃん……だから呑気に遊んでいる場合じゃないぞ!
「とはいえ、渓谷の環境は間違いなく改善しとる。もっと詳しく調べたいところじゃが、ワシの専門は地質学……植物学に詳しい者に見てもらうのがいいの」
「植物学ですか……チエちゃん、いけそう?」
《いえ、ヒズリアの植物に対する知識はまだアップデート出来ていません。書物の入庫もされていないので。せめて中古書物の買い入れが出来ればいいのですが》
「だから蓮さま言ってるじゃないですか。江藤書店、お客が全然こないんですって」
アポロが不服そうに、ホッケースティックで地面をいじりながら会話に参加した。
「アポロ、やめなさい、武器をそんな風に扱うの。バルトが悲しみます」
「はい……」
「ワシの知り合いに植物に詳しい奴がおる。世界中を股にかけ、様々な植物を見て回っとるからの」
「世界中を? 誰ですか?」
「ブンゴルド海洋連邦の頭目じゃ。海路を切り開いて未踏の地を探しておる。まあ、早い話、海賊の頭じゃ」
海賊……そうか、ヒズリアは車や飛行機までの移動技術は無いが、航海技術はあるのか。そりゃそうだ。考えてみれば、人類史を振り返ってみても真っ先に進歩したのは航海技術だ。チエちゃんが言うように、ヒズリアの地理的状況が日本と似ているなら、ヒズリアは島国……航海技術が発展するのは当然か。
《蓮さま、ブンゴルド海洋連邦はクシュ大陸東部に位置する連邦国家とされています》
「九州の北東部……ブンゴルド……豊後……大分か! なるほどなぁ」
「やつの趣味は新種の植物採集での。それが高じて植物学の権威でもある」
「じゃあその人に頼めば、もっと詳しく分かるんですね?」
「うむ。恐らくの……だが、あ奴はの~、ちと性格的に面倒くさいからの~。いうても海賊の頭じゃしの~。借りは作りたくないし、ワシ、あんまり関わりたくないんじゃがの~」
「海賊ですもんね……確かにあまり関わり合いにならない方がいいかも。じゃあ、チエちゃんの情報をアップデートして強制進化について調べる方向で行こう」
《よろしくお願い致します。しかしこの『加護の拡張』……サリサさまと蓮さまが結論を出した『共栄圏』を築くにはもってこいの力かもしれません。稲荷神を信仰すれば、言葉の壁や魔物の脅威もなくなる……そして、すでに伊織さまはツクシャナの森では救い主として絶大な支持を集めています。信仰心を得ることは容易いでしょう》
確かにそうだ。そうなれば、ツクシャナの森に点在する集落間の移動が容易になり、物資や人の流れが活発になる。
《それに加護の言語統一は、誰もが第一言語のまま意思疎通できます。強制的な言語統制ではないため、種族ごとの文化を破壊することもありません》
文化の破壊……そうだ。俺たちがやりたいのは文化圏の統一じゃない。互いを知り、支え合う協力体制だ。この加護の拡張はきっと大きな意味を持つぞ……ツクシャナの共栄圏……本当に可能かもしれない。
《あ、加護が拡張されたのであれば……蓮さま、少々お待ちください》
「ん? どうしたの?」
――(チエ! 帰ってきたのか?! 今どこだ?!)――
サリサの声だ! そうか! 加護の範囲が広がるって事は、念話の通信距離も伸びる!
《サリサさま、ご無沙汰しております。ただいま救済チームはウキヤグラに滞在しています》
(ウキヤグラ? 犬狼族の集落か……んん? なんで念話が通じるんだ?)
チエちゃんはサリサに、これまでの経緯を事細かく説明した。
(なるほど……加護の拡張……それは凄いな……そういう事なら、こちらでもやれることがあるかもしれん。お前たちの帰りをただ待っているのもバカらしい。蓮、アポロのしおり、江藤書店に沢山あるんだろ?)
(え? ああ、箱一杯に10箱はあったよ)
(よし。じゃあこういうのはどうだ? こちらに残っている――)
サリサの作戦はこうだった。
――――――――――――――
・大狸商店街に滞在している各種族のリーダーを先に自身の集落へ帰らせ、村人たちに事情を説明する。そして、アポロのしおりを配り、俺たちの到着を待つ。
・リーダーの移動手段は、翼人族に依頼し、森の魔物の脅威がない空を使う。ただし、翼人族は重いものを運ぶ飛行力はなく、人ひとり運ぶのに8人ほど必要だ。大狸商店街に滞在している翼人族の数は10数人。俺たちから近い集落に優先的にリーダーを輸送していく。
・到着した俺たちは、救済活動と並行して、加護の発動を行っていく。
――――――――――――――
というものだった。さすがサリサ。一瞬で状況を理解し、即、有効な作戦を立ててくれる。
(なるほどな……それなら俺たちがリーダーを迎えに戻らなくても済むな。でも翼人族の負担が大きくないか?)
(確かに連続で飛び続けるのは厳しいが……翼人族のリーダーはこの作戦に乗り気だ。ここは彼らに頑張ってもらおう)
(了解、じゃあその方向で動こう!)
俺たちはさっそくサリサの作戦通り、直接各集落に向かうことにした。
――「「「ぬし様! 皆さま! ありがとうございました~!!!」」」――
「ふん! ヴィヴィさま! 次来るときは、私の進化した料理を食べて貰おうかい!」
「ええ! 楽しみにしています! カカーさん!」
かかあは、カカーって名前だったのか! 紛らわしいぞ!
「あ、あの……アポロ……また、来る?」
「も、もちろん! 魔物も弱くなったし、これからは簡単に来れるようになるよ。あ、こ、今度はキノが大狸商店街においでよ! 迎えに来るからさ!」
「う、うん! きっとね……待ってる!」
――じーーー……
大人組は少年少女の甘酸っぱいやり取りを、ふるふると震えながら眺めていた。ばあちゃんに至っては涙を流しながら、ヴィヴィに抱き着きもたれ掛かっている。
この救済活動に出てから、もっとも変化、成長したのは間違いなくアポロだろう。
少年の成長と……初めての恋? なんか……いっいなぁ~~~!!!
ウキヤグラを後にした俺たちは、当初の予定通りドンガの集落、ホシノエに向かった。
道中の魔物は森の外周にもかかわらず弱体化しており、驚くほど移動が楽になった。
「蓮さま、魔物……本当に弱くなりましたね……俺のしおりがこんな形で役に立つなんて」
「ああ。でかしたぞ、アポロ。これでサリサにちゃんと役に立ったって報告ができるな!」
「えへへ。ありがとうございます」
――稲荷神の加護の拡張――
そのおかげで何もかもうまくいったように思えた。
しかし……
大きな力には、大きな代償を伴う。
それはばあちゃんが行ってきた数万回のお祈りという『献身』でも足りないほど大きな力だった。
代償は……いつか必ず払わなければならない。
その代償の大きさを俺たちが知るのは、これよりほんの少し先の事だ。