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064 たぬきつねの湯

 ――「た、たぬきつねの湯……か、可愛い……」――



 桜ヶ谷酒店の隣の空き地にできていたのは、なんと古風な日本家屋の様な温泉宿だった。いや、厳密には温泉は湧いてないから、銭湯宿か。しかし、浴槽のお湯は神水じんすいを使っているので、下手な温泉より浴用効果が高いらしい。



「江藤書店に温泉宿の本があったからねぇ。参考にさせてもらったよぅ。少し僕なりのアレンジは加えてるけどぅ!」



 入り口の両脇には狸と狐の置物が手招きしていた。軒一面に吊り下げられた飾り提灯が、どことなく江戸時代の雰囲気や台湾の九份きゅうふん(中国語ではジョウフェン、台湾語ではカウフンなど)を彷彿とさせる。鳥居をくぐると、番台があり、お金を払うようになっていた。


 番台を過ぎると『男』『女』『その他』の暖簾が並んである。おお……この辺りは令和に対応している……んじゃないな。きっとヒズリアの多様な種族のためだろう。



「はぁ~ん! 銭湯なんて何年ぶりやろか~! じゃあ蓮ちゃん~! またあとで~! 行くばい! ヴィヴィちゃん!」


「は、はい……」


「じゃあ、俺たちも入ろう!」


「「「はい……」」」



 ――ガラガラ……



 おお! 脱衣所は日本の旅館の様な趣きある佇まいだ。めちゃくちゃ落ち着くじゃないか! やるなぁバルト。



「れ、蓮さま……俺っち、風呂というものに入ったことがないので……どうすりゃいいんでやすか?」と、ドンガが困惑気味に脱衣所で突っ立っている。


「俺もです」「ワシもじゃ」「俺もっす」と、アポロ、ヒーゴ王、ウォルフも、モジモジとどうしていいか分からないようだ。



 そうか。だからさっきは気のない返事だったのか。



「あ~、そうだね。銭湯って結構細かい入浴ルールがあるからね……って、ヒーゴ王もですか? クマロクは火山地帯でしょう? 温泉湧き放題じゃないんですか?」


「クマロクの浴湯は蒸し風呂じゃの。湯が熱すぎて浸かることはせんの……」



 もったいない! そういう場合は水で温度調節して適温にすればいいのに! 今度クマロクに行くことがあったら、どんな温泉があるか調べてみよう。



「俺達獣人系の亜人は、基本水浴びが主ですよね? ウォルフさん」


「そっすね。特にクシュ大陸の亜人はそうじゃないっすか? 気候的にも温暖なんで、水浴びで十分なんすよね」


「猪族は、水浴びよりも砂浴びの方が多いでやすね。水に浸かることはほとんどしやせん」


「なるほどなぁ。種族間でそれぞれあるんだな。でも、衛生的にも日本式の銭湯はかなり優れているから、慣れるといいよ。気づいた? 街の人たち、みんな綺麗になってただろ?」



 ここで鼻の利くウォルフが目を輝かせた。



「それ! 気づいたっす! 街の女たちの匂い! なんかいい匂いがしたっす!」


「ああ、石鹸の匂いな。分かる分かる。石鹸は多分サリサが持ち込んだやつかな?」


《――蓮さま、失礼します。まだ服を着ていられますか?》


「お、チエちゃん。大丈夫だよ。どうした?」


《トトゾリアは入浴習慣があるみたいですからね。王室で使われる石鹸をサリサさまと私で分析して、サロン・ド・サリサで作り始めておりました》


「い、いつの間に……」


《加護の拡張後やり取りを致しまして、たぬきつねの湯が出来ると聞き、早急に二人で。今はまだ売るほどの量は作れませんが、ゆくゆくは石鹸を含め、コスメ関係も充実させようとおっしゃっていました》


「コスメ関係……裁縫といい、あいつああ見えて本当にお嬢様だな」


《お嬢様どころか王女さまです。石鹸だけでなく、ふふふ……トリートメントも備え付けております。それでは、ごゆっくりどうぞ。では――プツン》



 チエちゃん、救済活動と並行してサリサとこんなことまでやってたのか。驚かそうと内緒にしてたな……まあ、実際サプライズ感があって楽しいけど。



「それじゃあ、入るか! えっと、入浴にはルールがあって……お? なんだ。ここにしっかり書いてあるじゃん」



 壁には『湯舟には身体を洗い……』と、日本でお決まりの入浴ルールが掲げてある。そうそう、これを守らないと周りから白い目で見られる。みんなが気持ちよく入浴するためには、絶対守らなければならないルールなのだ。


 俺達は入浴ルールを復唱し、風呂に入った。



「ふ、服を全部脱ぐんでやすね……」


「チン●ン、丸見えじゃないですかこれ!」


「そうだアポロ。銭湯はみんな裸で入る。裸の付き合いって事だ」


「マジっすか……犬狼族では……いや、ヒズリアでは考えられないっすよ」


「ちょっとこれは恥ずかしいの……」



 四人とも日本式の入浴ルールに戸惑っているようだ。まあ現世でも日本の銭湯は海外の人には抵抗があるらしいし、無理はないだろう。



「その場合は前をタオルで隠すのです」


「な、なるほどの……」


「でも湯舟にタオルはつけちゃダメですよ!」



 よし、ここは俺がリードして日本式の入浴ルールを、そして入浴の素晴らしさを伝えなければ。



「まずは身体を入念に洗いましょう! 湯舟に入るのはそれからです!」


 ――「「「はい!」」」――



 俺たちは念入りに身体を洗い、大きな湯船につかった。余談も余談だが、日本の銭湯では『アレ』が丸見えになる。猪族で身体の一番大きいドンガはさすがの持ち主だった。しかし意外にも一番身体の小さいヒーゴ王の『アレ』が最も立派で、俺は心の中で「さすが王様……キングサイズだ」と突っ込んだ。



「ひゃあ~! きっもちいいですねぇ~! 湯舟が広いです!」


「おいアポロ、泳ぐなよ。それはかなりの迷惑行為になるからな」


「は、は~い……」



 ツクシャナの木でつくられた湯舟につかり、俺たちは体の芯からリラックスした。


 しかしここで俺はあることに気付いた。湯気で気づかなかったが、湯船の水面に何か小さな影がスイスイと動いている。なんだ? この動き……みたことがあるぞ……


 その影は湯船に浸かる俺の目の前で止まった。それは……



「げ! アメンボじゃないか! なんで湯船に?!」



 よく見ると何匹もアメンボが水面を滑っている。



(バルト! 聞こえる?! いま話せる?!)


(どうしたのぅ~蓮さん。大丈夫だよ~)


(湯船にアメンボがいるんだけど! これなに?! なんで?!)


(あ~それはねぇ。アメンボじゃなくて『ケメンボ』だよぅ)


(ケメ……なんて?! ケメンボ?!)


(そうだよぅ、ケメンボはねぇ――)



 バルト曰く、ケメンボとはヒローゼン(湿地帯)に生息する、毛を集める習性のあるアメンボの事だそうだ。


 たぬきつねの湯を開放した際、亜人たちの毛が大量に湯船に浮いてしまい、その対策に、このケメンボが選ばれたらしい。


 なるほど……しかし先ほど見た限りでは、アポロとウォルフの体毛は俺と変わらない位の、いわゆる人と同じくらいの毛量だったけどなぁ。ああ、でも部分的に……肘や膝から先、手や足の先端、尻尾なんかはしっかりと毛が生えてたな。ドンガはかなり毛深かく、分厚い胸板と相まって、凄まじい野性味を放っていた。種族差や個体差もあるんだろう。まあ、それは人間と同じか……ヒーゴ王はあのサイズ以外は普通の人と変わらなかった。


 ケメンボは固体別で好みの毛があり、同じ毛を集めてくれる。集めた毛はケメンボが束にし、浴槽の隅に積み上げている……


 なんだか気持ち悪い気もするが、おかげで毛一本浮いておらず、湯船は透き通っている。


 ケメンボたちは集めた毛で自身を着飾ったり、越冬の際、巣に敷き詰めたりして活用するのだそうだ。


 一匹のケメンボが先ほどから俺の前でスタンバっている。よく見るとすでに数本の毛を背中に担いでいる……こいつ……俺の抜け毛を狙ってるのか?


 ちなみにケメンボが集めた毛は、リサイクルファーとしてサリサが利用するそうだ……すでに神水じんすいで浄化されているから綺麗だと言うが……俺は……ごめん、何か嫌だな……


 しかし後に聞いた話では、毛皮を採るために狩られる動物や魔物、亜人までもいるそうで、この取り組みがそういった密猟などの犯罪行為を無力化する可能性があるという。


 密猟対策……うん……じゃあ、この何とも言えない気持ちには……蓋をしよう。



「なるほどでやすねぇ……この商店街、本当に色んな意味で進んでいやすね。俺っち、本当に感服いたしやす」



 ここでドンガがいつになく真面目な顔をして話しかけてきた。



「あ、あの……蓮さま、ちょっとお話があるんでやすが……」


「なに? ドンガ」


「ウォルフ、俺っちからお願いするでやすよ?」


「うっす。頼むっす」


「蓮さま。ウォルフとも話していたんでやすが、俺っちたちも、大狸商店街で雇って貰えないでしょうか?」


「それって……雇用契約を結ぶってこと?」


「はい。ヴィヴィさまやサリサさまの様に、店を任せてくれとまでは申しません。カリス殿やタリナ殿、アポロくんのような従業員の形でもいいんでやす。もっとこの街の皆さんのお役に立ちたくて……なあ、ウォルフ」


「うっす。今回の救済の旅で俺たち、蓮さまはじめ、皆さんの思いに心から感銘を受けたっす。村との協力体制もお約束通りしますが、よりお力になれればと。あとっすね……皆さんとチエさまとの念話……俺達、聞こえなくてかなりストレスっす!」



 あ、そうか。このひと月、ウォルフとドンガだけがチエちゃんの念話が聞こえなかったのか。すっかり忘れてた。あ~、それはストレス溜まるだろうな~。



「ごめんごめん、そうだったね。わかった。契約を望んでくれるのは、こっちとしても有難いし、二人ならみんなも喜んでくれるよ。どうしようかな……出来ればお店を任せたいけど……あ、ドンガ、ホシノエ(猪族の村)でお米を作り始めたじゃない?」


「ええ。秋には収穫できるんでやすよね?」


「うん。そのお米でさ……お酒作ってみない? ここの隣に桜ヶ谷さくらがたに酒店って酒蔵があるんだけど、大狸商店街の名物にならないかな? ほら、この『たぬきつねの湯』も宿だし、ここの宿泊客に振る舞えば喜ぶと思うんだ。ねえ、チエちゃんもいいと思うだろ?」



 俺たちのプライバシー保護(チン●ン丸出し)の為、念話を切っていたチエちゃんに意見を求めた。今は湯船に浸かっているから大丈夫だろう。



《プツン――ええ。猪族の皆さんがお米作りをなされているので、ドンガさまが桜ヶ谷酒店の店主になるのは適任だと思います。酒の主原料は米ですから》


「チエちゃん、酒造りの知識は?」


《基本的な事は大丈夫です。味に関しては、蔵閉めする前の味を伊織さまがご存知ではないでしょうか》


「いいね! 何とかなりそうだ。じゃあドンガは、桜ヶ谷酒店の店主ってことでいいかな?」


「は、はい! 喜んで!」


「あとウォルフは……あ、チエちゃん、このたぬきつねの湯って、今、誰が管理してんの?」


《ここをお作りになられたバルトさまですが、スミスマルチーズも忙しくて大変だとぼやかれていました。それに加え、バルトさまは他の街のインフラや鉱石の研究もなさっているので、手一杯かと》


「じゃあ、ウォルフがここの店主になると助かるよね?」


《はい。バルトさまも喜ばれると思います》


「よし。じゃあ、ウォルフは『たぬきつねの湯』の店主ってことで! お風呂のルール、覚えただろ?」


「わ、わかったっす! しっかり大狸流の入浴ルール、伝えるっす!」


「あ、でもチエちゃん、ここって、元々大狸商店街になかったじゃない。契約ってどうなるのかな?」


《なるほど……それは契約をやってみないと分かりません。従来通り雇用契約が結ばれ、恩恵が発動するのか、しないのか……しかし、いずれにしてもいい機会です。ウォルフさまとたぬきつねの湯の契約がテストケースになるかと》


「よし! そうと決まれば、早速契約を結ぼう!」


 ――「うっす!」「へい!」――



 俺は勢いよく立ち上がった。



《はあ! 蓮さま! 急に立たないでください! プツン――》


「あ! ごめんチエちゃん!」


「蓮さま……それセクハラですよ~」


「だまれアポロ! あがるぞ!」



 こうして俺たちは久しぶりに店主の契約をする事になった。






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