風呂から上がった俺たちは、さっそく契約の儀式をすることにした。アポロとヒーゴ王はバルトの店・スミスマルチーズへ、装備のメンテとツクシャナの地層について話しにいった。
――「
桜ヶ谷酒店とドンガの契約はこれまで通り問題なく結べた。ドンガは桜ヶ谷酒店の店主となり、チエちゃんとの念話、チャットルームへの参加も可能になった。
「は、始めまして、チエさま」
《ドンガさま……|私《わたくし》に様付けなどおやめください。チエと呼び捨てで構いません》
「いえ! それは駄目でやす! チエさまのお陰もあって、この商店街が栄えているのは存じていやす! 新参者の俺っちが呼び捨てなんてとんでもない! それだけはご勘弁を……」
《そうですか……では無理強いは申しません。お好きにお呼びください》
「へ、へい! よろしくお願い致しやす! チエさま!」
ドンガに授けられた桜ヶ谷酒店の恩恵は――
――――――――――――――
【桜ヶ谷酒店】
店 主:ドンガ
名 称:【
能 力:
・菌の使役:ありとあらゆる菌を目視・自在に操る。酒造りをはじめ、発酵食品全般にその力を発揮する。
・菌の融合:異なる菌を掛け合わせ、新たな発酵食品を生み出せる。
・魔力付与:菌に魔力を付与し、発酵食品の効果を高められる。
特記事項:
・減らずの樽:桜ヶ谷酒店に一つだけある最古の樽。一度仕込んだ酒は、樽を空にしても一晩で満たされる。酒など液体のみ適用。別の酒を仕込めば上書きされる。
――――――――――――――
というものだった。
「か、
ちょっと美味しいお酒ができればいいなぁ~くらいの軽い気持ちで契約したが、ドンガはいきなり神の名の冠する恩恵を授かってしまった。酒に限らず発酵食品など、菌に関しては最上級の恩恵ではないだろうか、これは。
「桜ヶ谷酒店……凄いな。なんでこんなに凄い恩恵が?」
《歴史……江藤書店に町史(町の歴史をまとめたもの)がありますが、桜ヶ谷酒店が大狸商店街で最も古い歴史を持っています。そのためではないでしょうか?》
「なるほどなぁ。良かったなドンガ!」
「へ、へい! 不肖ドンガ、誠心誠意、この酒蔵をお守りしやす!」
「れ、蓮さま! 俺も! 俺も早く契約をお願いしますっす!」
桜ヶ谷酒店の恩恵を目の当たりにして、ウォルフは目を輝かせている。
「ウォルフも素敵な恩恵が貰えるといいでやすね!」
「ああっす! 楽しみっす!」
ん? 待てよ……歴史の長さで恩恵の力が増減するなら……たぬきつねの湯は――
《残念ながら……恩恵はありませんね。ウォルフさまが新たに手に入れたのは、私との念話のみですね》
やっぱりそうか。しかし、これで恩恵のルールがまた少し明確になった。『店の歴史』が恩恵の強さに関係するんだ。
「えっす……あっす……そっす、か……よろすくお願いすまっす……チエすま……」
――がっく~~~……がっっっく~~~!!!
ウォルフは「すっすすっす」と声にならない声で、かっすかすに落ち込んでいた。む、惨い……
「す、すかたないっすね……」
「ま、まあ、新たに出来た施設だし、仕方ないのかもな……げ、元気出せ! ウォルフ!」
《現段階では恩恵はありませんが、もしかすると、これから発動する可能性も捨てきれませんよ? そのためには、このたぬきつねの湯を潰さないようしっかり盛り立てないと》
「そうでやすよ。俺っち、一生懸命酒造りしやすから、ウォルフはその酒を楽しんでもらえるよう、お客さまに出して欲しいでやす。二人で大狸商店街をもっと盛り上げていきやしょう!」
「そうっすね……風呂と酒と宿。最高の組み合わせっすよね」
「まるで俺っちたちみたいでやすね! ぶはは!」
「ド、ドンガ……!!! 俺! 頑張るっす!!!」
後にこの二人は、『酒王』と『宿王』としてヒズリアにその名を轟かすが、それはまた別のお話。
◇ ◇ ◇
よし! これで大狸商店街がますます盛り上がるぞ! と思っていたのも束の間。
――「ちょっと聞きたいことがあんだけどよぅ……おめさん、サキュバスの女、知らねぇか?」――
背中越しにかけられた声に振り向くと、そこに立っていたのは、海賊服に身を包み、左目に眼帯をつけた長身の男だった。サキュバスの女? ローニャの事か?
あの帽子、何て言ったっけ……そうだ、
「おめさん、ここのボスなんだろ? 街の連中が教えてくれたよ。しかしこの街、すげぇな。いつの間にこんな街が出来たんだ? ツクシャナの森っつったら、死の森、不可侵の森だったはずだぜ? しかも魔物もなんか弱くなってっし……これ、おめさんたちの仕業?」
手には小さな竿? 武器のようなものをちらつかせ、明らかに挑発的な態度、友好的ではない佇まいだ。
「おいおい~。俺はおめさんに喋ってんだぜ? 無視してんじゃ……ねえよ!」
――バヒュン!
男は手に持っていた短い竿のようなもので、何かをこちらに向かって飛ばした! まずい! 何か分からないが、この角度……ドンガに当たる!
「
――ガキン!!! ビィーーーン……
「お、おお……」とドンガが驚きの声を漏らす。
「お?! 何だそりゃ?! 錠前か?!」
竿から放たれたのは、拳ほどある巨大な釣り針だった。釣り針はドンガの顔面に当たる直前で中空に
「あら……よ!」
――バキン! シュルルル……
錠前は壊され、釣り針は男の手元に戻っていく。
「一発かましゃあ、口きいてくれると思ったんだけどなぁ……しくじっちまった。おめさん狙ったつもりだったんだがな。まあいいや。も一発いっとくか」
男は再び釣竿を構えた。何だこいつ……手が早すぎるにもほどがあるだろ! 気づくとたぬきつねの湯の周りに、騒ぎを嗅ぎつけた人々が集まってきた。まずいぞ、あんなもん振り回されたら、誰かに当たってしまう!
「おい! ちょっとまて! いきなりで何のことか分かってないんだ! 攻撃するのやめろ!」
「おう、なんだい。ちゃんと喋れんじゃねえか。言ったろ? サキュバスの女、知らねーか? あいつがこの森に来てるってのは知ってんぜ。ローニャってやつなんだが」
「ロ、ローニャ……」
やっぱりローニャか……あいつ、行く先々でやらかしてるらしいからな……どうする? しらばっくれるか?
《蓮さま……それはもう無理かと……》
(え? なんで?)
《出てきます》
――「いや~いい湯やったばいねぇ~! 私、三回も入りなおしたばい~!」――
「い、伊織さま……長湯が過ぎます……私、もうのぼせちゃって……」
たぬきつねの湯から、ばあちゃんとヴィヴィが顔つるっつるで出てきた。そして……
「伊織ちゃん、臭くない! お腹減った! 頂きまぢゅぢゅぢゅう~~~」
「あがががが……ひと月ぶりの吸引……うひひひぃ~」
何とタイミングの悪い……ローニャも一緒に風呂に入ってたのか。湯上りのコーヒー牛乳を一気飲みするように、ばあちゃんの魔力を吸っている。
しかし色々まずいぞ……ローニャが魔族だってことは一部の店主しか知らない。この男はローニャがサキュバスだってことを知っている。きっとローニャがここにくる以前に何かトラブルがあったんだ。俺はウォルフとドンガに念話で話しかけた。
(ウォルフ! ドンガ! 人払いを頼む! 訳は後で説明する!)
(う、うっす!)(へ、へい!)
「うへへ、念話ってなんか耳が痒いっすね」
「そうでやすね。それより……皆さん! ここは危険でやすので、おさがりを!」
二人が野次馬を遠ざける。しかし、その野次馬の中から前に踏み出るものが10名ほどいた。どう見ても堅気の人間ではなく、みな海賊衣装を身にまとっている。この男の仲間か……
(チエちゃん! サリ――)
《サリサさま、カリスさま、タリナさまにはすでに知らせてあります。しかし、お三方とも外壁工事の現場におられるため、到着まで時間がかかります》
(わかった。ありがとう)
「おう! 人払い助かるぜ。俺はあんまし手先が器用な方じゃなくてな。俺はブンゴルドで頭張ってるソニン・ブラーバってんだ。あんたは?」
「た、田中蓮だ。一応、この街の代表をやってる」
ブンゴルド……海賊の頭? あ……! こいつか! ヒーゴ王が言っていた植物学者って!
「蓮さんよぅ……さっきの受け答え……何か思うところあるみたいだな。どこにいるか知ってるよなぁ?」
知ってます! というか、あんたの目の前にいる幼女がそうです! こいつ……気づいてない? 妖女姿のローニャしか知らないのか。
「ロ、ローニャに何の用だよ?」
「ビンゴ!!! やっぱりこの街に来てたんだな。何の用かって? 俺はよ~、あいつにはとんでもない思いをさせられてよ~。海を統べる海賊の俺が、はるばる陸を歩いてこんな森へやってきたってわけだ」
「と、とんでもない事って……」
「いいだろう、教えてやる。あの女が俺にやったことを……あれはヨツシア大陸からブンゴルドに帰る航海だった……見張りの船員が報告に来たんだ。密航者を見つけたってな。俺らの船じゃ、密航は重罪だぜ。普通ならその場で首をはねるか、
どっちにしても絶対に死ぬじゃん……こわ! 海賊こわ~!
「ただ、船員が絶世の美女だっつーからよ、罰を与える前に顔を見てやろうと思ったんだ。それがいけなかったぜ……」
――『私に相手をしてほしかったらぁ~……全て脱ぎ去りなさぁい』――
「その一言で俺たちは完全にあいつに操られた。武器から何から俺たちは脱ぎ捨て、全裸であいつに
嗚呼……
「あいつに操られた俺の船団はもう無茶苦茶だった。ある船は隣の船に衝突し沈み、ある船は浅瀬に乗り上げて座礁した。最終的にブンゴルドにたどり着いたのは、俺の旗艦・クロージャー号のみ……そして挙げ句の果てには、クロージャー号ごと港に突っ込ませやがった! そして気付いたときには、俺たちは全員ブンゴルド湾に全裸で浮いていた!」
無茶苦茶やってるなぁ~~~! ローニャ! 船団を壊滅させたのか! そりゃ恨まれて当然だ!
「俺はあいつを……あいつを絶対に~~~!!!」
これは、絶対にローニャの正体をばらせないぞ……
「絶対に~~~!!! 嫁にする!!!」
・
・
・
「はあ?!!!」
「あんなとんでもない女ぁ、他にいねえぜ! 惚れた!!! 絶対にものにしてみせるぜぇ!」
うわ~……こいつ……女性の好みがねじ曲がってやがる。
「ってなわけで……あいつの居場所を教えな! さもないと俺の竿が……暴れまわるぜぇ~。へへへぇ~ローニャはどこだぁ~」
ソニンは釣竿を撫でながらローニャにうへうへと想いを馳せている。こいつ、気持ち悪いなぁ……第一印象は豪快な海賊かと思ったけど……変態なのかもしれない。はぁ、帰ってきたばかりなのに、また面倒な奴が現れた。
あ、ちなみに先に結論を言っておくが、どういう訳か、こいつは俺の弟、正確には弟分になってしまう。
――ぢゅぢゅぢゅ~~~
「あががが~!」
ローニャは魔力を吸うのに夢中で、こっちの事はまるで気付いていない。
……おい! お前のせいで俺は変な奴に絡まれてるんだぞ!
吸ってる場合か!!!