10万ディナもの莫大な借金がある――そんな衝撃発言をひょうひょうと告げたフィン。ユラユラ揺れる仮面に問いかけるオレの声は、無様に裏返った。
「そ、そんな大金、どこにもねぇよ!」
「まっ、そうでしょうねぇ。たとえ王侯貴族でも、すぐすぐの工面が出来ない額ですから、ハイ」
「だったら無理だって聞くまでもないだろ。見ろよ、この絶望的な貧しさを!」
「では踏み倒すとおっしゃる。そんな不義理にはペナルティで応じますけども?」
「待て待て! 何か金目の物を探してくる!」
オレは火が着いた勢いで、家中をしらみ潰しに漁った。棚という棚を調べ、空っぽの書斎を探り、椅子の下まで念入りに。
その結果何も無い。あるのは陰気なホコリと、驚いて跳ねたトビグモくらい。ちなみに財布の中には銅貨が2枚のみ、20ディナが全財産だった。
「なんもねぇよ……この、貧乏屋敷め!」
「さてさて、想定通り金目の物はなかったと。そういう事ですねぇ?」
フィンは、テーブルの上で休むトビグモに、指先をけしかけて遊んだ。その余裕がムカつく。
「それではライルさん。破産宣言ってことでよろし?」
「なぁ、この槍で手を打たないか? なんでも四神器のひとつ聖槍エリスグルらしいぞ。それにホラ、高そうな宝石も埋め込まれてるし、これで借金の相殺って事に」
「あっそれ無理ですぅ。その槍は特殊で、アナタの手元に戻って来る仕様でしょう? ダメですよダメダメ。そんなもの売り払おうだなんて、小悪党な詐欺師も同然じゃないですか〜〜ンフフフ」
「そこまで知ってんのかよ……!」
「モチロンの論。大抵の事は存じ上げておりますよ〜〜」
フィンは鼻歌まじりになって、羊皮紙に何かを書き込んだ。
「実は想定内でしてね、一度に払うことは不可能だと。もしアナタが真摯に借金に向き合うというのなら、真心たっぷりな返済プランを提案いたしますよ〜〜」
「なんだそれ、具体的には?」
フィンが羊皮紙を突き出した。窓から差し込んだ僅かな夕日が、紙面をほの赤く照らしている。
「ここに追記しておきましたよ。毎月30日に利息分だけでも支払うこと。これさえ達成したならば、うるさく催促しませんので〜〜」
「利息ってのは、いくらだよ?」
「元本の1%ですねぇ。だから額面は、ええと、10万からゼロをふたつ――」
「1千ディナも払えってのか!?」
「アナタ計算早いですねぇ! はいご名答、毎月の月末に必ずご用意ください。さもないと……ねぇ……」
言葉尻をにごしたフィンが、静かに不穏な気配を漂わせた。張り付いた仮面の内側からは、秘めたる物が感じられた。
しかしオレはそちらを見ず、羊皮紙の端っこに引き付けられた。小さく何か記されていた。
「おい。この特約ありって何の事だ?」
フィンはすかさず気配を変えた。相変わらず表情は見て取れないが、息遣いから笑ったらしい。それは異質なまでに不気味で、歴戦の戦士が放つ圧迫感とは違った恐ろしさがあった。
その気味の悪さも、話に聞き入るうちに忘れてしまうのだが――。
「ンフフフ、目ざといですねぇ……。特約とは、槍を改装した鍛冶屋と、デキンさんの間で交わされたものです。まぁ第三者の私が、約束を破らないよう見張ってるというイメージですね」
「約束って?」
「彼は世界に名だたる鍛冶師でしてねぇ。プライドも世界屈指の頑固ジジイで、仕事ぶりに絶対的な自信を過剰気味に持つ男。もし仮に聖槍が壊れるような事があれば、代金はすべて返還すると仰ってましたよ〜〜」
「ん? どういうこと?」
「つまり、万が一、聖槍エリスグルが壊れでもしたら借金チャラ。そういうお話でして」
「それを早く言えよオイ!」
オレは家を飛び出して裏山を駆け上がった。暗い。辺りは夜闇。しかし慣れた道だ、迷うこともない。
「槍をブッ壊しちまえばさぁ! 全部解決するんじゃねぇか!」
やって来たのは滝だ。暗闇の中で、ドウドウと水の流れ行く様は、恐怖すら感じさせた。だが、ここが真っ先に思いついた。辺りは巨岩の転がる岩場だ。
水の流れに沿って石畳が続く。槍の墓場に相応しいと思えた。
「くたばれクソ槍!!」
槍の尻を両手持ちして、柄を思いっきり叩きつけた。しかし砕けない。岩石に大きな亀裂が走っただけだ。何度も叩く。何度も何度も繰り返したが、全て徒労だった。
エリスグルは文字通りに無傷だ、腹立つくらいに。
「クソッ……まだまだ!」
オレは滝の上まで登り、崖の上に転がる巨岩を見つけた。それを渾身の力で押しこむ。しかし簡単には動かない。
手は擦り切れ、身体は汚れ、しかも莫大な借金あり。なぜこんな目に、何の因果だ。腹の奥で燃えたぎる怒りなら、すでにピークを迎えていた。
「子育て本を読むくらいなら、借金のこともちょっとくらい考えとけや! クソ親父がーーッ!」
叫ぶ。同時に岩は動き、崖から落下していった。
その下にはエリスグル。岩は衝撃で粉々にくだけて、辺りに砂埃を撒き散らした。
「やったか……!?」
やってない。聖槍は寸分も曲がらず、刃も新品同然。三日月に照らされて煌めく姿が小憎らしい。
「物理じゃダメだ。じゃあどうする? とりあえず火にくべてみて、いや水に浸してみるとか……」
そこへフィンが崖からフワリと舞い降りた。顔は見えなくても、呆れている様子が見て取れる。
「なんかムダな足掻きをしてますが、金策に走った方が良いと思いますよ〜〜?」
「邪魔すんな。今は取り込み中だぞ」
「そしたらね、私はここいらで失敬しますよ。3日後の月末までに必ず利息をご用意ください。さもないと、おぞましい程のペナルティがありますからね〜〜」
最後のセリフを吐いた後、フィンは虚空に身を躍らせて消えた。一匹のコウモリが夜空を駆けていった。
「ペナルティって……何されんだよ。こわっ」
ふと身震いしてしまうが、取り合わない。槍を壊しさえすれば良い。それだけで全て解決するんだ。
「絶対にブッ壊してやるからな! 借金なんて払ってやるもんかよ!」
試行錯誤は続く。が、ダメだった。
火にくべても水に沈めても崖に突き刺した槍に小一時間ぶら下がったりもしたが、ダメなものはダメ。聖槍は寒気をもよおすくらいに頑丈だった。
すでに夜は明けて、陽が高い。すっかり疲れ切ってしまったオレは、石畳の上で寝転がった。
「どうしろってんだよ、チクショウ……!」
10万ディナどころか、利息の1千を払うことすら不可能だ。自慢じゃないが金を稼ぐ能力はない。金を借りる伝手だってない。
だから壊すことが唯一の手段なのだが、それも手詰まりだった。
「いいやもう、面倒クセェ。どうにかなるっしょ」
それからは普段通りに過ごした。
家の近くで畑の手入れ。昨日の恨みだと殴りかかってきたレックスたちにビンタ。飯はだだあまりするニンジンをかじり、たまに川魚を釣って焼いた。山の中で青臭い果実を見つけて食う。人より獣に近い献立なのは、貧乏のせいであってオレのせいじゃない。
おおよそ普段通りに過ごし、やがて3日目の朝を迎えた。
「おはようございますぅ〜〜ご機嫌いかが? ホッコリーノ金融のフィンでございますよぉ」
聖槍エリスグルに洗濯物を干していると、虚空から奴が現れた。金は1ディナも増えていない。
「来たか。悪いが利息も払えない。だから好きにしろよ」
「あんらぁ〜〜それはそれは。悪あがきはしないんです? まだ今日という日が残ってますけども」
「良いんだよもう。それより、払えなかった場合はどうなるんだ」
「いさぎよくペナルティを甘受するだなんて、クソ度胸もいいとこですね〜〜。実に愚かしいですが、逃げなかった事は評価します、ハイ」
フィンは懐から取り出したインク壺に羽ペンを差し込むと、それを虚空に走らせた。
すると、そこだけ切り取られたように、まったく別の光景を映し出した。
「な、なんだよこれ!?」
「細かい事はさておき、あなたのペナルティについてお話します。端的に言うと、毎日休まず働いていただきますよ。この『ワクワクプリズン』でねぇ〜〜」
目に映る光景は、予想だにしなかったものだ。地獄と言って差し支えない。
ドス黒い岸壁に囲まれた岩盤の世界。空はどこにも見えない。太陽がまばゆく照らす代わりに、真っ赤に燃え盛る溶岩が流れており、それが毒々しい灯りをもたらしていた。
うろつく人間たちはボロを身にまとい、全身をドロまみれにしつつ、両手を頭上にかかげた。さながら、地獄から救い出される事を望むように。
「なんだよこれ……! おい、オレはこんな所に閉じ込められるってのか!?」
「モチロンの論でございますよぉ。なぁに、見た目ほど悪くはありません。3食と寝床は無料で、毎日肉体労働だから健康的過ごせます。それがワクワクプリズン。なかなかの好環境じゃありませんか〜〜ンッフッフ」
「ワクワク要素はどこだよ」
「収監者の楽しげな声を聞けばわかりますよ、ホラぁ」
フィンが羽ペンを振るい、光の粒子が舞った。すると、地獄の光景からは溶岩が流れゆく音とともに、怨嗟の声が這い寄ってきた。
――次のお仕事ぉ、まだかなあぁぁぁ!
――はやくお仕事、ちょうだいぃぃい! 働きたくて仕方ないのぉぉぉぉおおん!
オレは身震いするとともに腹の奥が凍りついた。
「ねっ? 皆さん、楽しんでるでしょ〜〜とてもステキな笑顔でホッコリしますねぇ〜〜」
「これもう狂ってんだよ。つうか聞いてねぇぞ、こんな末路! ここで何日働けってんだ!」
「収監中は利息が免除となります。1日18時間ほど働いた場合、10ディナ返済した事になりまして、完済した時点で解放です。だから日数はつまり〜〜ええと、メモしたんですよねぇ。どこだったか……」
「27年と145日もこんな場所で!?」
「妙に計算早いですねぇ〜〜! ご明答です。ちなみに、病欠や怪我で欠勤した場合は返済できませんので、その分だけ延びますよぉ〜〜」
「嘘だろ……30年近くも。親父の借金のせいで……!」
よろめき、膝から崩れ落ちた。世界がグルグル回る。吐き気が押し寄せ、空っぽの胃をかき乱すようだった。
そこで槍が物干し台から落ちた。エリスグル。究極の金食い虫。槍遣いとバカにされるだけでは済まず、奴隷奉仕のピンチをもたらした大元凶。
「何もかもテメェのせいなんだぞ、クソ槍ーーッ!!」
オレはとっさに聖槍をつかみ、走っていた。もうこの手段しかない。家の前の坂を駆け下りて、村中央を目掛けて突き進む。
刃物を片手に疾走する様は、当然だが歓迎されない。通行人からは鋭い目線を浴びた。「うわっ槍小僧だ!」と悲鳴をあげては道の端に避けていった。
目指すは冒険者ギルドだ。
「オッサン! 仕事くれ仕事! 超特急でバカ高いやつ!」
開口一番にそう叫んだ。カウンターの中で、受付係の眠たげな顔が跳ねた。
「なんだよ、お前か。許可証の無いやつに正規の案件はやれんぞ。エイレーネだとか、大きな街のギルドに行って審査通してこいや」
「そんな余裕ねぇよ! オレは今日すぐに稼がなきゃならねぇんだ!」
何か打開策はないか、そのヒントはないのか。すがるように目を彷徨わせると、ふと目に留まる。それは依頼用のコルクボードに貼り付けられた紙片で、討伐案件だった。概要欄には『ダンジョンに潜む大型魔獣を倒せ』とある。
「これ、この討伐って……」
「何見てやがる。許可証が無きゃ依頼は成立しねぇ。達成しても報酬はゼロ。銅貨の1枚もくれてやらんぞ」
「そこじゃねぇよ! 討伐対象のエビルボアーってやつ、鉄装備を破壊する怪物って書いてあんぞ!」
「そうだよ、やたら強ぇ。だから長々と依頼が終わらねぇんだ。それでも応募はあるんだがな。最近じゃレックスたちと、他にもたしか――」
「これだよこれ! コイツなら槍をぶっ壊せる!」
オレはすかさずギルドから飛び出した。外ではフィンが待ち構えていた。
「んん〜〜、お仕事はもらえたので?」
「バケモノを見つけた! 槍を壊してくるから、村で待ってろ!」
「あぁ、やっぱりそっちの方針ですかぁ。まぁ死なない程度にがんばって〜〜」
フィンとはその場で別れて、ひたむきに駆け続けた。山中の森を突っ切って街道を猛進、やがて切り立った崖に辿り着いた。
その崖の根元には、ポッカリと大きな穴が開いていた。ロックランス洞穴。依頼書に記載された地図と、位置もおおよそ合致した。
「よし、行くぞ。初めてのダンジョンだが、やってやる……!」
オレは暗闇の中に身を踊らせた。無明のダンジョンかと思いきや、ところどころに松明が設置されている。それは先駆者の証だった。
「誰かが先に潜ってるな……。ボスが倒される前に急がねぇと!」
鼻をつくカビの臭い。獣のうめき声が反響して響き渡る中、早足になって奥へ進んだ。その先に何が待ち受けているか分からないままに。
その時エリスグルが小さく震えた。
「えっ、なんで槍が……?」
思わず手元を眺めてしまうが、気を取りなおし、探索に戻った。考えている暇はない。槍が壊れてしまえば、震えた理由すらも意味を失う。
そう心に言い聞かせつつ、暗闇に染まる道を降っていった。