ロックランスの洞窟は思ったより広い。壁に設えた松明は天井まで照らす事はできず、頭上には無限の暗闇が広がっていた。
「もう少し灯りが欲しい……ってのは求め過ぎか」
先行者に相乗りしてる格好だ。オレは棒切れひとつ消費していないのだから、文句を言える立場にない。おかげで今のところは、迷わず進むことができている。
洞窟の構造はシンプルだ。幅の狭い通路と、鍾乳石の垂れ下がる広間。それの繰り返しだった。変化らしい変化といえば、全体的に下り坂で、歩くほどに地中へと向かっている事くらいだ。
「早く、早くバケモノよ出てくれ。今日がタイムリミットなんだよ……!」
なにがワクワクプリズンだ。頼むから槍の呪縛から解放してくれ。そう考える間も、奥からくぐもった唸り声が聞こえてくる。
――ウォォオン。
いや、さっさと姿を現せよ。吠え声なんていいから。足早になりながらブツクサ言っていると、別の声も聞こえた。
――グワァァァ!
今度は人の声だ。反響音が邪魔で上手く聞き取れないが、男の絶叫だと思う。さらに足音。いくつも重なって、こちらに迫ってくる。
「敵か? 人型の魔獣って事はゴブリンか、あるいはワーウルフ……」
腰を落として身構えていると、実に見慣れた連中が走り寄ってきた。奴らは無我夢中のようで、オレの姿に気づかず、通路の端を駆け抜けていく。
「自慢の豪剣で助けてくれよ、レックス〜〜!」
「うるせぇラティ、何も考えずに出口まで走れーー!」
「ふひぃ、ふひぃ、待ってよ2人とも〜〜」
「早くしろよオルガノ! つうかお前は痩せろよ!」
出口に向かって逃走する三バカども。それを宙空から猛追するコウモリ。それらは一丸となって遠ざかっていった。
実に微笑ましい。血という血を吸いつくされて死ねば良いと思う。
「まぁ、あれも他人事じゃねぇ。オレだって気をつけないと、アッと言う間に囲まれそうだな」
奥へと進む最中、気配には注意を払った。コウモリは刺激しないように、ゴブリンの群れも隠れてやり過ごす。
オレの目的は討伐じゃない、槍の破壊だ。最短でボスにたどり着きたいその一心で、暗闇の探索を続けた。
この先も延々と一本道で、通路、広間また通路。それを何回も繰り返した後、またもや広い空間に出た。
「似たりよったりが続いてやがる。まさか無限ループじゃないよな?」
そこで、どこからともなく「グオオ」という唸り声が響いてきた。
「いやマジ、グオーーじゃねぇんだわ。あと100歩先の部屋に居ますよ〜〜ぐらい言えっての。そしたらもう、馬より速く駆けつけてやるのに」
するとそこへ、また別の悲鳴が聞こえた。耳慣れない。声色からして女だと思う。
――キャアアア〜〜!
悲鳴に続き、足元の岩盤も激しく揺れた。もしかして大型魔獣が現れたのか。そう思うと、居ても経ってもいられなくなる。
「声がしたのは……こっちか!?」
叫んだのは先行者だろう。だとすれば、定期的に置かれた松明をたどればいい。広間では、壁ではなく鍾乳石にくくりつけられている。足跡はこの上なく分かりやすい。
「下手したら戦闘中か? ボスを倒すなよ、オレが到着するまで、絶対に――」
すると、次の松明が見えなくなる。辺りを探っていると急に足元が消えた。地面がない。
「な、なんだ!?」
松明の光がここまで届かず、先が見えなくなる。しかし不穏な何かは聞こえる。ピシ、ピシと鳴る音が腹の奥を刺すようだ。
ヤバい、と思った瞬間に轟音が鳴り響き、足元が大きく崩れた。結果、オレの身体は闇の中へと投げ出されてしまう。
「崩落しやがった! 大丈夫かこれぇーー!?」
叫ぶ間に、背中を固い岩盤に打たれた。
体感で言えば、平屋の屋根から落下した程度だ。別にたいした事はない。なにせ親父には、稽古と称して何度も崖から突き落とされたのだから。
「それよりも灯りだよ……クソッ。真っ暗じゃねぇか」
右手を地面に這わせると、何かに触れた。
棒状の金属。オレの槍だ。闇に乗じて離れ離れ、という展開にはならなかった。いっそ消えちまえと思うが、「槍はいずこ」なんてロスも勘弁だ。
この暗さにも目が慣れてきた。頭上から降り注ぐわずかな灯りが、頼りない光を与えてくれたらしい。
「ろくに見えねぇ。どうにかして灯りを見つけないと」
立ち上がろうとして、左手を地面に押し付けた。そこで何か柔らかいものに触れた。
手を這わせるとムニムニ柔らかい。例えるなら犬の鼻。少し湿っているか。
「ハッ、ハッ……」
微かな息遣いまで聞こえてくる。オレは目をこらして闇を見つめた。左手の下に何かあった。指の隙間からは、何者かの瞳がギョロリと動いた。
「うわっ、なんだ!?」
オレが飛び退くと同時に、甲高い悲鳴が辺りに鳴り響いた。
「キャアアア! チカンーー!」
「えっ、ハァ? オレのこと!?」
布をまくる音とともに、辺りに暖色の光が灯った。まぶしい。ランプの火がこうこうと輝いた。
それを手にするのは、大荷物を背負った若い女だ。恐怖に引きつった顔をさらしては、這うようにして後ずさった。
「やめて、来ないで、近寄らないで! こんなダンジョンの奥深くで、アタシに何するつもり!?」
「あ、いや、そんなつもりは無いが」
「嘘だ! その背中の棒! それは何の比喩(メタファー)なの!? どうせ『ぐへへオレのご立派様の相手をしてくれよ』とか考えてるんだ、大人の本みたいな!」
「だから違う。誤解だから」
「助けて父さん母さん! こんな所で慰み者になんてなりたくない〜〜!」
だめだ、話にならない。ここは無視して立ち去ろうか。そう思った矢先に、暗がりで真っ赤な光がきらめいた。
他に誰か居るのか、というのは読み違いだ。獣じみた唸り声、靴とは思えない足音。それが迫ると、四足の魔獣が姿を現した。
それに気づいた女が、さらに悲鳴を高くする。
「ギャアアア! ランドウルフーー!? よりにもよってこんな時にぃ!」
オレは舌打ちを鳴らした。標的の名前はエビルボアー、こいつは別物だ。そもそも大してデカくもない、子馬くらいのサイズ感だ。
「おい騒ぐな。敵を刺激するだけだぞ」
オレの忠告は間に合わなかった。狼型の魔獣は、暗闇で牙をきらめかせては、素早く駆け出した。
そしてオレの喉元めがけて跳んだ。
「まったく、面倒が続くよなっと」
跳躍したランドウルフに、オレは瞬時に間合いを詰めた。相手の大きく開いた口にエリスグルの柄を合わせ、噛ませてやる。ガキンと硬い音が響くだけだった。
「はい不合格。お帰りはアッチだぞ」
敵が噛みついたままのエリスグルを、オレは頭上で高速旋回させた。グルグルグルと目まぐるしく。
すると、力尽きたランドウルフは、力なく落下。完全に目を回しており、その場に倒れてクゥンと鳴いた。
「これに懲りたら2度とツラを見せんな。次は容赦しねぇぞ」
オレがすごむと、ランドウルフはヨロヨロと退散していった。
辺りが平穏を取り戻した頃には、女も大人しくなった。耳をつんざく程の騒がしさとは打って代わり、語り口調に不快なまでの丸みが感じられた。
「あのぅ、槍遣い様。えへ、へへっ。随分とお強いんですね〜〜」
「なんだよその態度は」
「あの、アッシ、何でもやりますよ。そのかわり命だけはお助けくださいよ、あと財布も勘弁して欲しくて、ついでに貞操も……。それ以外なら何でもやりますんでウヘヘ〜〜」
「うん。どれも要らねぇって」
アイーシャと名乗った女は、手早く焚き火を起こした。そして「お近づきの印に食事でも」と言う。
「別にいらねぇ。オレには時間が無いんだよ」
「実はね、落ちた時に足を挫いちゃったから、手当をしたいの。その間だけで良いから、傍にいて欲しいな〜〜って」
「挫いた程度で守れだと? よくもそんな覚悟で、魔獣のうごめくダンジョンにやって来たもんだ」
「待ってお願い! 今襲われたらひとたまりも無いの!」
「知るか。その時は寿命だと思って諦めろ」
アイーシャの元を離れようとしたその時だ。オレの腹はグルルと音を立てて、猛抗議した。言われてみれば、特にここ最近はまともな飯を食ってなかった。
「お腹、空いてるんでしょ? 時間は取らせないから。君が食べてる間に手当も終わると思うし」
食わねばまともに戦えない。そんな言い訳とともに、焚き火の傍に腰を降ろした。
アイーシャが、干し肉の詰め込まれた小袋を差し出してくる。しかしそれよりも、身の上話の方が興味をひいた。
「錬金術師……?」
「そう。こう見えても、色んなものを作れちゃったりするよ〜〜」
「へぇ。あっそ」
「ちょっとちょっと、全然信じてないでしょ!?」
「まぁな。全体的になんか弱そうだし。子犬の方がまだ勇敢に戦えそうだ」
「失礼ッ! 嘘じゃないってば!」
アイーシャは離れた位置に置いたランプを見ては、指先で虚空をなぞった。すると、それは自ずと浮かび上がり、間もなく頭上まで飛んできた。
もちろん、紐なんて付いていない。ランプが勝手に浮遊しているようだった。
「えっ、マジかよコレ!?」
「魔法のランプだよ。どう? これで信じる気になったかな〜〜?」
ランプの温かな炎が暗闇を照らす。その光は天井までは届かず、闇を一層濃くするようにも見えた。しかし、同時に何か明るいものも感じられて、思わず頬がゆるんでしまった。
ちなみに、差し出された干し肉はムシャムシャ食った。束にして。