人間でも入ってるのか――と思わせるほどパンパンに膨らんだアイーシャのバッグ。そこから次々とモノが出てきた。
「はいどうぞ、遠慮なくどうぞ〜〜」
差し出された水気の抜けたパン、葉野菜のレモン浸け、小分けされたチーズ。無限かと思える程度には、ジャンジャン出てきた。
それらをオレが片っ端から食らいついていると、今度は塗り薬と包帯が出てくる。足の治療用だった。
アイーシャの右足首は赤く腫れていた。塗りつけた薬がしみるようで、眉尻がギュッと下がる。痛みをまぎらわせるつもりか、会話はなかなか途切れなかった。
「いたた……。ところでお兄さんはなんて人?」
「オレはライル。ロックランス村から来た。不本意ながら槍に縛られて生きている」
「へぇぇ。槍遣いなんて本当にいるんだね。さすがはド田舎、ありえん事が当然のように起きるよ」
「少しは歯に衣を着せろ」
「アタシはね、アルケイル村が生んだ奇跡の美少女錬金術師だよ。ちょっとお金が必要でさ、冒険者なんてやってんだ〜〜」
今も浮遊するランプが、アイーシャの笑顔を優しく照らす。顎先で切りそろえた桃色の髪に、真珠のように大きな瞳。皮の胸当てがついたローブ。
やたら貧相。装備も脆弱。とてもじゃないが、魔獣のうごめくダンジョンを踏破できるとは思えなかった。連れの居る素振りも見せない。無謀にも単身で乗り込んだのは、勝算があっての事だろうか。
「ここへ来たのは依頼のためか?」
「そうなの。街道を騒がせる魔獣がいるから退治してくれって事で。なんでも、ロックランスから送り出したエイレーネ行きの荷馬車が襲われたらしいじゃん」
「へぇ、実害があったのか。知らんかった」
「知らんかった!? いったい何しに来たってのよ……」
荷馬車が襲われたとなると、何人かの怒り顔が思い浮かぶ。しかし同情する気持ちが薄いのは、親しい間柄ではないからだ。
事前情報は、鉄すら切り裂く巨大なバケモノ、という事ぐらいだった。それ以外に知るべきことはない。聖槍エリスグルさえ壊せれば、詳細などどうでもよかった。
が、しかしだ。もしかするとエビルボアーも不要かもしれない。アイーシャ次第では。
「ところで錬金術って、どうやるんだ?」
「あれあれ? もしかして興味湧いた?」
「割と。どうなんだよ」
「錬金釜に調合液を満たして、素材を溶かすんだよ。そして複数の素材をうまいこと混ぜ合わせて――」
「素材を溶かすんだな!? じゃあこの槍も溶かせるよな!」
オレが前のめりになると、同じ分だけアイーシャが引いた。
「えっ、何、溶かしてどうする気? それはライルの大切な武器でしょ?」
「こんなもん疫病神だ。それよりどうする、どうやる、錬金するには何か道具がいるんだよな? 一刻も早く頼むぞ」
「分かったから落ち着いて……。つうか顔! 圧がやばいから!」
必要なものは一通り揃っている。そう告げたアイーシャは、一抱えもある金属の釜をバッグから取り出した。
「そんなもん持ち歩いてんのか。こわっ……」
「何よ。このタイプの錬金釜は、見た目ほど重くないんだよ。軽い素材で出来てるから」
アイーシャが釜を叩くと、コワンと小気味良い音が鳴った。しっかりとした造りに思える。
「ここで出来るなら助かる。存分にやってくれ」
「言っとくけど、武器強化なんて専門外だよ? そういうのは鍛冶屋に持ってってくれないと」
「そうじゃねぇ。槍が跡形もなく消えたら十分なんだ」
「ねぇ君、マジでなんなの?」
アイーシャは不審げだが、準備を進めておく。まずは素材を中に入れるべし。
釜は大きいが、さすがに槍がスッポリ入る程ではない。斜めに差し込んでも、せいぜい柄の半分が隠れるくらいだろう。
「じゃあ中に入れるぞ……」
聖槍を釜の口に近づけた途端、エリスグルはするりと手のひらから抜け出して、地面に転がった。
「ハァ? 何が起きたんだ……?」
改めて槍を握りしめると、特に不審な点はない。強いて言えば、柄の部分の宝石が、蒼い光を淡く放っていた。
何かの意思表示かもしれない、とは思う。
「だが関係ねぇ。お前はもう溶かされるんだよ」
今度はしっかりと柄を握りしめて、再び釜へ。しかし、釜の口から逃がれる方向に向かって、凄まじい力が生じた。まるで反発し合う磁石をぶつけた時のような。
「クソッ、抵抗すんなオラ! いい加減観念しろよ金食い虫が!」
「何してんのライル……まさか一人芝居? 槍ジョークってやつ?」
「お前も手伝え! こいつ、スゲェ拒否りやがる……!」
半信半疑のアイーシャだが、柄を掴んだ瞬間に顔色が変わる。どうやらこの不可思議に反発する力を理解したらしい。
そうして2人がかりになったのだが、一進一退となる。オレはベタ足になってまで渾身の力を込めたのだが、決着には至らない。
「踏ん張れアイーシャ、死力を尽くせ……ッ!」
アイーシャも柄にぶら下がる形になって協力してくれた。
「ごめんライル、アタシそろそろ手がヤバいんだけど」
「弱音を吐くな、まだいける! このまま限界の向こう側に……!」
腕を激しく震わせたアイーシャは、ついに手を離してしまい、尻から地面に落下。
同時に均衡が崩れた。エリスグルがオレの手のひらからスッポ抜ける。槍は自由だと叫ぶ代わりに、凄まじい速度で頭上の方へ飛んでいった。
「チッ。逃げんなよ!」
エリスグルは戻るように落下を開始。ギラリと光る刃を下を向けて。そして地面に突き刺さるのだが、寸前にアイーシャの胸当てを掠め、オレのズボンをかすかに裂いた。
そして突き立った地面に、大きな亀裂を作った。
「上等だこの野郎、持ち主に逆らうなんて。こうなりゃトコトンやってやる!」
「無理! ムーーリムリムリ! やめようよ、次は殺されちゃうかも!」
それからのアイーシャは拒絶するばかりになる。あらゆる説得も効果はなかった。これ以上は時間のムダでしかない。
「そうか、邪魔したな。飯も助かった。じゃあな」
「えっ、待って、一緒にいかないの!?」
「傷の手当は終わっただろ」
問いかけには答えず、オレは焚き火から燃えさしを拾った。とにかく時間が惜しい。一刻も早くボスを見つけなくては。
「ねぇ、アタシはこう見えて、冒険に慣れてるよ。ランクはブロンズだし、色々役に立てるから!」
追いすがるアイーシャが銅板を見せつけてくる。ランプの光で赤茶に輝いた。恐らくは鉄板のレックスたちよりは上等だと思う。
「オレは冒険者じゃないから分からんが、役立つように思えない。銅板が勝手に戦うわけでもないしな」
「冒険者じゃないって……? それじゃボスを倒しても報酬がもらえないじゃん。なんだってこんな危険な場所に!」
「オレにも事情があるんだよ」
先を進むオレにアイーシャがまとわりついた。身振り手振りもそうだが、口もやかましく動く。
「あぁ、ふぅん。分かっちゃったよ。ライルって武者修行中でしょ! その槍で大活躍して、悪い評判を吹き飛ばしたいとか!」
「いや、そうじゃねぇが」
「立派な心がけですなぁ。お兄さんアレでしょ。負けてる人を応援したくなるタイプ」
「だから違うっての」
オレは舌打ちを漏らした。アイーシャが邪魔くささもあるが、何よりエビルボアーの気配が消えた事だ。
定期的に聞こえた唸り声は、いつの間にか聞こえなくなっている。これでは大まかな位置すら分からない。自然と足早になっていった。
やっぱりアイーシャは、小走りになって付いてくる。
「ともかくね、乗りかかった馬車だから。これも縁ってことで」
「乗せたつもりはねぇが」
「一緒にエビルボアーを討伐しようよ、ねぇ。アタシがいれば、ギルドから報酬だってもらえるし」
「いやいや、別にエビルボアーを倒す気はねぇし」
「えっ? は? え? 理解不能!」
「とにかく槍を壊したい。それ以外に用は無いぞ」
アイーシャは、この期に及んで槍破壊の目的を理解していなかった。信じられない――とでも言うように、口だけ動くのが見えた。
「ともかくそういう事だ。ここのボスを倒すのは、依頼を請けたお前がやればいい。オレは知らん」
ここでアイーシャが泣きっ面を見せたかと思うと、いきなり飛びついてきた。
「いや! いや! お願い見捨てないで! 準備の時間をケチったら道具がカツカツで大ピンチなの! そんなに強いんだから、人助けだと思って世は情け、情けは人の為ならず……それからええと……。ともかく、か弱いアタシを守ってお願い!」
「えぇ……?」
「色々役に立つからお願いだってばぁ! 美少女だし華やかになるじゃんよ〜〜!」
「そもそもお前、どうして1人で乗り込んだんだ! そこまで貧弱だったら仲間でも連れてくるだろうが!」
「いや、それはその、良い人に巡り会えなかったからで……もう良いやと思って引き受けちゃって……」
「だったら自業自得だ。1人の醍醐味をかみしめろ」
「でもホラ! 灯りが必要じゃん、灯りが! そんな燃えさし1つじゃ、すぐに燃え尽きちゃうよ?」
アイーシャが指先で弧を描くと、例のランプが浮かび上がった。確かにそこは便利だと思う。エビルボアーも、片手で制御できる相手とも限らない。
オレは長い長い溜め息とともに、状況を受け入れた。
「わかった、オッケー。しばらく同行してやる」
「えへへ! ありがとう〜〜すごく心細かったんだ〜〜」
「お前は照明係だ。頼めるな?」
「もっちろん! ランプはもう、こんなにも自由自在なんだから、ほらほら〜〜」アイーシャが上機嫌になって、宙空にランプを走らせた。
「おいおい、ハシャギすぎだろ」
「見て見て〜〜アタシはこんなにも〜〜」
その時、ランプは何かに激突して、音を立てて揺れた。鍾乳石にでも当たったのか。
いや違う。揺れる光が巨大な影を映し出す。それは地面を掻いて走り出した。辺りには身体が痺れるほどの振動が伝播した。
「何か来るぞ、気をつけろ!」
オレはアイーシャを横に突き飛ばし、それから壁を蹴って跳んだ。懸命に跳んだその真下で、巨大な物が猛然と通り過ぎてゆく。
「ハハッ! やったぞ、ついにお見(まみ)えだ!」
着地して身構えていると、それは静かに戻ってきた。そして吠える。激しい咆哮が肌をうった。
すると、震え声になったアイーシャが、オレの背後で呻いた。
「あわわわ、間違いない。出たよ、ダンジョンの主が……!」
「やっぱりな、ハハッ! 不意打ちとはやるじゃねぇか!」
「なんで嬉しそうなのよ!?」
口から飛び出した無骨な牙、分厚く角張った四足の身体、真っ赤に怪しく光る瞳がオレを見下ろした。まるで山が動き回るような圧迫感だった。
それだけじゃない、こいつは知性もある。闇に紛れて気配を殺し、不意打ちまで仕掛けたのだから。つまりただのバケモノではない。それが嬉しくて堪らなくなる。
(よし、こいつならいけるぞ。きっと聖槍をブッ壊してくれるはずだ)
ついに呪いから解放される時がきた。そう思えば、余計な事は全てどうでも良かった。
「グォォオオーーン!」
巨大なイノシシ、大型魔獣エビルボアー。そこにいるだけで他を圧倒する姿は、まさにダンジョンの主として相応しい姿だった。吹き付ける闘気に当てられて、手のひらに汗がジワリと吹き出した。
「そうだよな。こうじゃなきゃ困る!」
オレは、震える手で槍を構えた。鏡を見なくとも、自分の口角があがってゆくのが分かる。笑っているんだろうと思った。
オレの背後で青ざめて震えるアイーシャとは対象的に。