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第5話 なんじは聖槍なりや

 ロックランス洞窟の主、エイルボアー。その威風は荒れ狂う台風のよう。巨大な体躯がランプの灯りを遮り、深い闇を生み出しているようだった。


「すげぇ闘気だな……。いや、これが殺気ってやつか?」


 腹の奥にジワリと熱いものが走る。浴びせられる殺気は冷たく、圧迫されそうになるが、なぜか心は羽根でも生えたように軽やかだった。


 エビルボアーが前足で地面を踏みしめると、地震のように震えた。


「やる気十分だな。期待してるぞ」


 オレは聖槍を両手持ちして、穂先を低くした。まずは基本の構え。お手並み拝見、といきたかったのだが――。


「ひぃぃ〜〜! コッチ見てるぅぅ!」


 まさかアイーシャが背後でビビリ散らかす。すっかり恐慌状態となり、半狂乱で荷物を漁りだした。よほど慌てているのか、周辺はカッチカチの布やら自ずとうねる石板など、奇々怪々なもので散らかった。


「いやビビりすぎだろ。こんな展開は慣れてんじゃないのかよ」


「やだやだまだ死ねないッ! こんな時のためのヤツ!」


 間もなく、背後から瓶が投げ込まれた。それはオレの頭上を通り過ぎ、エビルボアーの足元に落ちた。中から液体が広がった矢先、火の手があがった。


 その火勢はすさまじく、高く燃える火柱が現れた。天井を焦がすほどに伸びて、吹き荒れる熱風に鼻の奥が焼けるかのようだ。


「い、今のは……!?」


「ふふん、爆炎薬だよ。作るのに手間やコストがバチクソかかるから、出し惜しみしてたけどね〜〜。これでイチコロだよ」


「何やってんだよお前! まだ槍を壊せてねぇだろうが邪魔すんな!」


「えっ、命のほうが大事じゃん! 理不尽!」


「まだ倒してねぇよな? 燃え尽きてねぇよなコレ?」


 炎の壁に駆け寄ったオレは、黒い影が踊り狂う様を見た。さすがの魔獣もこれには太刀打ちできないかもしれない。


「死ぬなエビルボアー! お前はこんなトロ火になんて負けないはずだ!」


「それ、どの立場で言ってんの?」


 立ち昇る炎が絶望をもたらす。しかし激しく猛る最中に、地面をかく音が聞こえた。暴力的に膨らむ闘気、肌をかきむしるような殺気。希望の芽は今も残されていた。


 しかしヤツの狙いはオレじゃない。そう感じ取った時、渾身の力で跳んだ。


「危ない、アイーシャ!」


「えっ、キャア!?」


 アイーシャに飛びつくなり、大荷物もろとも真横に転がった。すると、オレたちの傍を巨大なイノシシが駆け抜けていく。


 洞窟が崩壊しかねない程の地響きを伴う突進だ。標的のいない広間を駆ける間、何本もの鍾乳石を破壊していく。


 やがて身体の向きを正反対に戻したエビルボアーが、こちらに駆け戻っては、再びオレと対峙した。


「うそ……。なんで平気なのよ……」


「見ろよほとんど無傷だぞ、今の攻撃は全然効いてねぇ! 単に怒らせただけかもな。好都合ってやつだ」


「なんで嬉しそうなのよ」


 エイルボアーは外皮の毛を僅かに焼いたくらいで、まさしく健在だった。鍾乳石と衝突したことも、何ら意に介したようではない。


 オレは思わず震えた。この敵は強い、頼もしい、きっと聖槍だって壊せる。


 そんな想いを胸に、オレはエイルボアーに歩み寄った。しかし、アイーシャが背後から服の裾を引っ張って、立会いに水を差そうとする。


「ダメだってライル。こいつヤバすぎるから! いったん逃げようよ!」


「何言ってんだ。こんなチャンスは中々ないんだ」


「命があってこそでしょ? こいつはランドウルフとはモノが違うよ、殺されちゃうってば!」


「確かに、あれだけの炎でも無傷で、攻撃力も高い。バケモノと呼ぶに相応しいスペックだと思う」


 だからこそ、だ。オレはアイーシャを振り払うと、背後に突き飛ばした。そして改めてエビルボアーと向き合う。


「ここはオレに任せて、お前は逃げろ」


 また錬金術で邪魔されたら敵わない、というだけの事だったが、アイーシャは誤解した。


「そんな……。アタシのために、命を賭けて……?」


「え? あぁ、うん。そういう感じだ」


「嫌だよ、そんなの嬉しくない! 一緒に逃げようったら!」


 想定外にもゴネやがった。アイーシャの事はほとんど知らないが「ありがと。そんじゃあとはヨロシク〜〜」とか言いそうなのだが。


 しかし、だからと言って、オレまで逃げるわけにはいかない。1歩、2歩とエビルボアーに歩み寄ってから腰を落とした。


 アイーシャがか細い声を漏らすが、相手にはしない。オレは正面だけを見据えていた。


「頼むぜバケモノ。お前みたいな奴を待っていたんだ!」


 聖槍エリスグル。両手で握り、構える。心の内で何かがあふれた。大時化(おおしけ)の荒れ狂う波のようで、それが生きる実感を感じさせた。


「さぁ行くぞバケモノ! お前の力を見せてみろ!」


「グォオオオオオン!!」


 頼もしいまでの咆哮に腸(はらわた)が震える。


 エビルボアーは竿立ちになると、前足を振り下ろした。それは避けない。槍で受け止める。聖槍の柄を前に突き出し、両手の間を踏みつけてもらう。


 衝撃は凄まじい。辛うじて耐えたが、オレの膝は今にも地面に着きそうだ。槍はどうだ。ムカつくくらい無事だ。


「チッ。これでもダメかよ」


 槍を払うと同時に飛び退いた。エビルボアーの興奮しきった瞳が真っ赤に染まる。


「まだまだこんなもんじゃねぇよな? 今度はこっちから行くぞ!」


 跳んで間合いを詰める。繰り出すのは横薙ぎの一閃。大口からはみ出る大きな牙を狙った。


 しかし掠りもしない。エリスグルは虚しく鍾乳石を切り倒しただけだ。エビルボアーは見た目に反して、素早い反射能力をみせた。


「チッ。すばしこい奴だな!」


 掲げた槍を振り下ろす。今度もかわされてしまい、叩いた地面の岩盤が砕けた。 


「いや、避けんなよお前! マジで!」


 すかさず顔面めがけて槍を突いた。僅かに開いた口の中に刃を滑らせて、途中で止める。するとエビルボアーは反射的に牙で噛んだ。


 それから両者は押し合いになった。刃を砕こうとしてるのか、牙のこすれる音が響く。


「よしよし偉い、その調子だ! 噛み砕いちまえ!」


「グルルル……!」


「声を出すなバカ! 口の中を刺しちまうぞ、しっかり噛んでろ!」


 これは戦いではない。血で血を洗う生存競争なんかじゃない。立派な協力プレイだ。


 お互いに死力を尽くして槍に負荷をかけていく。この形に持っていけた事は幸運かも知れない、


 足に渾身の力を込めて押し込み、槍に強烈な負荷をかけてゆく。今この瞬間、全エネルギーを委ねるようにして。


「がんばれ、あとちょっとだぞ……!」


 そう言ってみたものの、槍は壊れる素振りすら見せなかった。柄は驚くほど真っ直ぐだし、噛みしめる刃も、たぶん無事かもしれない。


 だが諦めない。諦めたら最後、オレはワクワクプリズンで半生を過ごすことになってしまう。


「どうしたバケモノ! お前の力はそんなものか! もっと来いよこの野郎がッ!」


「グルルル!」


「悔しかったら壊してみやがれ! そんなんじゃチュニックも破けねぇぞ!」


 その時だ。辺りで小石のようなものが弾けて、キィンという目眩を伴う高音が駆け抜けた。エビルボアーが苦しそうにうめき、もがいた。


 何事かと戸惑っていると、アイーシャが叫んだ。


「大丈夫!? 助太刀するよライル!」


「おい、これは何の真似だ。邪魔すんなっつの!」


「もう攻撃アイテムはないけどさ、サポートなら出来るから! それより今がチャンスだよ!」


 苦労して噛ませた刃は、既に離れ、地面を掻いていた。


 そして態勢を整えたエビルボアーは、全身の筋肉を大きく膨らませた。魔獣の激情に燃える真っ赤な瞳が、アイーシャに憤怒を込めて睨みつける。


 闘気が爆発的に膨らんだ。攻撃が始まる。


「お前は逃げろって言っただろが!」


 体ごと横を向いた敵の顔に、槍で牽制する。刺突の刃は牙で弾かれた。その反動を利用して、石づきで打ち込む。


 エビルボアーの巨体が大きくたじろぐ一撃になった。赤い瞳が再びこちらを睨む。挑発としては十分な威力だった。


「よそ見すんなバケモノ、痛い目にあわすぞ」


 構え直す。両手から槍に闘気を送り込んだ。いよいよ気持ちが高ぶっていく。吠えるかわりに、オレは巨大なるエビルボアーに向かって叫んだ。


「間違えんな。お前の相手はこっちだ! 他所に目移りしたけりゃ、まずオレを倒してからにしろ!」


 すると次の瞬間、かつてない事態を迎えた。槍に闘気を送り込むほどに、その柄は震えてゆく。小刻みな振動が止まらない。


 なぜ、どうして――。


 疑問の答えに辿り着くよりも早く、エリスグルの刃が眩く輝き出した。


「な、なんだ!?」


 オレは思わず目を瞑った。視界の全てが白む中で、ふと、ささやき声を聞いた。それは女の声で、耳に全く馴染みのないものだった。


――聖槍は護り。巨悪を撃ち抜く刃にして、万民を庇護する大盾なり。アルフィオナの名のもと、魔を砕き、すべからく平らげる力をここに授ける。


 声がやむとともに、洞窟も暗闇に塗り替えられた。だが、異変はまだ終わってなどいなかった。


「槍に光が……!?」


 振動が収まったかと思いきや、今度は刃がまばゆく輝いた。


 太陽にも似た白色と、湖面を思わせる蒼。その二色をうつろうように、槍の穂は光を放ち続けた。陰鬱とした洞窟は今や、真昼の草原地帯のように明るい。


 こんな機能は知らなかった。親父からも聞いてない。敵前にも関わらず、この神々しい聖槍の姿に目を奪われてしまった。


「聖なる槍っていうのは、あながち嘘じゃない? さっきの声も誰だか知らねぇが……。もしかして、物干し竿に使っちゃヤバかったか……!?」


 とめどなく不安が押し寄せてくる。すると、どこからともなく、か細い声が聞こえてきた。


「ぽぇぇ……」


 オレは慌てて四方に視線を向けた。しかし、鍾乳石や岩盤が見えるばかりで、新たな登場人物はない。


 肩越しに振り返った。するとアイーシャは「自分じゃない」と言う代わりに、頭を繰り返し横に振った。


 まさかな……。


 オレは正面に顔を戻すと、エビルボアーと視線が重なった。しかし、敵は顔を大きく引いて、こちらを窺うような姿勢になっている。上目遣い――に見えなくもない。身体を縮こませているのか、ご自慢の巨体は一回りほど小さくなっている。


 そこにはダンジョンの主たる威厳など、欠片も残されていなかった。


「お、おい。どうしたんだよ。まだ勝負の途中だぞ」


 オレは構えを解いて歩み寄った。エリスグルの輝きが巨大なイノシシをまばゆく照らす。小さく飛び跳ねたエビルボアーは、静かに後退りしたかと思うと、オレに背を向けて逃げ出した。


 高らかにあげた悲鳴は逼迫している。危急を告げる村娘のように。


「ぴぎぃぃ〜〜! ぽぎぃ〜〜ッ!!」 


 洞窟が揺れるほどの振動が、みるみるうちに遠ざかっていく。あまりの展開に呆然としてしまうが、すぐに正気を取り戻した。


「フザけんなよテメェ! 槍を壊してけ、槍を!!」 


 逃げた後を猛追する。道すがら、ゴブリンやランドウルフに出くわしたが、立ちはだかる者はない。


「道を開けろ! 死にてぇのか!」


 怒鳴ると、ザコどもはピッチリ脇にはけた。隅っこでゴブリンが頭を抱えて震え、犬も耳を落として這いつくばった。


 明らかに様子がおかしい。考えるまでもなく、聖槍の効果だろうと感じた。


「だからエビルボアーまで豹変したってのか……クソッ!」


 それでも最後まで諦めるつもりはない。追い詰めるとネズミも猫を噛むし、ブタも木に登ったりするだろう。


「やっと追いついた! さぁ仕切り直しだ、お前の底力を見せてみろ!」


 いつの間にか最深部まで到達していた。行き止まりの壁際で、小さく震えるエビルボアーと再会。


 ホラ噛めよ、さっきみたいに。何度も何度も、繰り返し刃を突き出したのだが、ついにエビルボアーが立ち上がる事は無かった。その無限とも思える反復は、アイーシャがとりなすまで休み無く続いた。

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