無様にも背中を見せて逃走したエビルボアーだが、ついに最奥の部屋まで追い詰めた。聖槍の光が、隅っこで丸くなる巨大イノシシを照らしている。
「さぁ立て、仕切り直しだ! かかってこい!」
「ぽぇぇ〜〜」
「情けない声を出すなって! その足で立ってみろ、お前は雄々しき魔獣だろうが!」
何度怒鳴り散らしても同じだった。エビルボアーは繰り返しポエポエ言っては、オレに上目遣いする。
「ねぇライル。さすがにやめよう? イジメは良くないと思う」
「何いってんだ。さっきまで青ざめて震えてたくせに。つうか焼き殺そうとしたヤツのセリフじゃないだろ」
「でもさ、なんか可愛くない? お友達になれちゃったりするのかな〜〜」
「黙ってろ、今は取り込み中だ」
柄を踏んづけてみろと槍を差し出してみたが、イヤイヤと首を横に振った。刃を噛んでみろと顔に寄せてやると、この世の終わりみたいな声でポエる。
あぁ、やっぱりダメか――。
そう確信した時、オレの腹に駆け巡った熱意は、欠片さえも残さずに消え去った。
「チッ。仕方ねぇな。どっかいっちまえ」
「ぽぎぃ〜〜」
「ここからは出ていってもらうぞ。どっか他所に行け、分かったか?」
「ぷぎっ」
オレの言葉が通じたか分からない。しかし、エビルボアーは静かな足取りで、いずこかへと立ち去っていった。すっかり小さくなった背中が、闇の中に消えた。
「ちくしょう……結局ダメだった……!」
「あはは。何か変なところに着地したなぁ。あの子を倒してないから、依頼料も無理だね。報酬の800ディナはもらい損ねたかぁ〜〜」
「どっちにしろオレはタダ働きだろ。ギルドの許可がないんだから」
「ライルはそうだったね……。それにしても今回は散々だなぁ。アイテムは使い果たしちゃうし。命があるだけマシだけど、もう大赤字だよ」
オレは別に依頼料なんていらない。山分けして400ディナずつ、仮に800を丸々もらったとしても利息に足りないからだ。聖槍を破壊して借金をチャラにしてもらう以外に、生き延びるルートなんて無かった。
そして見事に未来は閉ざされた。今日中に強敵を探し出すだなんて、まず不可能だろう。情報も時間も足りていない。
「あぁチクショウ! 結局プリズン送りかよ!」
床には藁(わら)が無造作に敷いてある。自生したものじゃない。恐らくは寝床で、エビルボアーがせっせと集めてきたものだろう。そこそこ獣臭い。
だが構わず寝転がる。さすがに疲れた。全身が鉛みたいに重たくて、藁に身体を預けた。
「クソ槍が。思わせぶりに光りやがって。お前のせいでオレは破滅だよ」
いつの間にかエリスグルは元の状態に戻っている。こうなると神々しさもなく、ただの金食い虫でしかない。
「まったくよぉ、何だこの人生!? 悲劇そのもの――いや、悲劇を超えてんぞ絶対!」
エリスグルを蹴飛ばして端に転がした。すると、それに巻き込む形で硬いものを蹴ってしまった。
今のは石か……と思うが、様子がおかしい。手のひらサイズのそれは、暗闇の中でキラリと煌めいた。ランプに照らされたせいもあるが、それだけが理由じゃない。
すかさずアイーシャが飛んでいき、石を手に取った。
「うわぁ、すごいよコレ……。高純度のアニマストーンだよ!」
「アニ……なんだって?」
「魔力(アニマ)が込められた石だよ。天然でここまでの品質って、なかなかお目にかかれないかも」
アイーシャが石を両手で捧げ持ったり、降ろしたりと繰り返す。石はそのたびに色味を変えている。確かに普通ではない、不思議な何かを感じさせた。
「そんだけご立派な代物なら、高く売れそうだな」
「もちろんだよ。これなら1千ディナ……いや2千くらいいくかも」
「2千だって!?」
飛び起きたオレはアイーシャにズイと顔を寄せた。相手が首を引っ込めるのを無視して叫んだ。
確かに聖槍は壊せなかった。しかしまだ生存ルートはある。それは1千ディナに及ぶ利息金を支払って、乗り切る事だ。
「行くぞアイーシャ! 今直ぐだ!」
「行くって、どこに?」
「ロックランス村に決まってんだろ! 急げ、店が閉まるまでに!」
「そんなに慌てなくていいじゃん。まだ足も痛いし、少しくらい休んでからに――」
ごねるアイーシャ。ならばオレ1人で村に行くか? いやダメだ。村の連中を思えば、買い取り拒否は十分にありえた。やはりアイーシャの同席は必須だろう。
「担いで連れて行く、掴まれ」
「ちょっと! 今度は何なのよ〜〜!?」
アイーシャを荷物ごと肩に担いで、出口に向けて走り出した。果たして今は昼か、夕暮れ時か、夜更けかも分からない。だが希望を失ってはいけない。物事は確定するまで変化するものだ。
息を切らしながらダンジョンの坂道を駆け上がっていく。肺が破裂しても構わないから、今は一歩でも前へ。
「やべぇ……もう夕方かよ……!」
洞窟から飛び出して見上げた空は、赤く染まっていた。何時間ぶりかに太陽を目にしたのに、腹の奥がギュウッと締め付けられた。
背負ったアイーシャを降ろしつつ、訊いた。
「ハァ、ハァ、急ぐぞアイーシャ。走れるか?」
「少しくらいなら。それよりライルの方がヤバくない?」
「頼みがある。一足先にロックランス村に行って、雑貨屋で売ってきてくれ。今日中じゃないと手遅れなんだ」
「何を急いでるか知らないけど、今からだと間に合わないよ。村に着くのは夜遅くだろうし。それにね――」
「それに、なんだ?」
「もうアイテムが尽きちゃったから、独り歩きなんて怖いもん。魔獣に襲われたらそこでお終いだからね」
「マジかよ……。じゃあ行くしかねぇな」
再びアイーシャを担ぎ上げ、村へ急いだ。
少しでも近道をと思い、街道から外れて雑木林に向かった。それで移動距離は短くなるが、足元は悪い。天然の段差は多く、小石や岩が頻繁に邪魔をする。
悪路が着実に体力を奪った。喉も渇ききってしまい、舌の根が張り付くようだった。
「み、水が飲みてぇな……」
「アタシ持ってるよ。ちょっとだけ休もうったら」
差し出された革袋を受け取り、呷るように飲んだ。氷のように冷たいのは素直に嬉しい。
喉を潤したあと、大木の幹に背中を預けた。身体はクタクタで立っている事すら辛くなっている。しかし猶予はない。空は既に赤黒くなり、夜に染まるのも時間の問題だった。
「待たせた。じゃあ行くか」
「村に戻るのは明日で良くない? 今夜は野宿で過ごそうよ」
「いやダメだ。理由あって、今日中に金を用意しなきゃならない。さもないとワクワクプリズン送りになっちまう」
「なにそれ……。もしかして、夜のお店? 推しのお姉さんに貢ぎたいとか?」
「フゴッフゴ」
「そんな楽しい話じゃない。オレの人生がかかってるんだよ。自由に生きられるか、それとも奴隷暮らしになるかの瀬戸際で――」
「フゴゴッ」
「ら、ライル! うしろ、うしろ!」
「ハァ? 何だよ急に」
オレは肩越しに振り返ると、背中の大木が動いた。木の幹と思われたそれは、グラリと動き、向きを変えた。
そしてこちらに顔を向けた。そこでやっと気づく。オレが寄りかかっていたのはエビルボアーの背中だった事に。
「お前、こんなところに居たのか。用なんて無い、サッサと行け」
「フゴゴ〜〜」オレの身体に鼻先を擦り寄せては、小さく鼻を鳴らした。持ち上げた尻に、短い尻尾をピコピコ振り回す。
「何だよその態度は。どっかに消えろっつの」
「ねぇライル。もしかして、懐いちゃったのかな?」
「勘弁しろよ。こんなデカブツなんてペットにもならねぇぞ」
エビルボアーの態度は一貫しており、低く鳴きながら鼻先をこすりつけてくる。こいつなりの愛嬌かもしれない。
だがその時、閃いた。巨大イノシシの背を叩いた。
「オレたちを乗せて走れ、分かるか? 村まで運んでけ」
「えっ、魔獣にそんなこと出来るの?」
「他に手段はねぇだろ。出来るか、オイ?」
「ブモッ!」
「頼むぞマジで。お前が最後の希望だからな」
エビルボアーの背に乗ったオレは、アイーシャにも手を貸してやった。そして背中にしがみついては、イノシシの尻を叩いた。
「よし、全力で行け!」
「フゴーーッ!」
疾走し始めたエビルボアーは、さすがに速い。そしてたくましい。岩をたやすく飛び越え、木々も避ける必要はなく、体当たりで弾き飛ばしていく。
無茶苦茶だが、馬よりもはるかに早く、豪快だった。だが所詮、イノシシはイノシシである。
「おい、行き過ぎだ! 左の方に曲がれ!」
走り出したら一直線、まさにそれだ。村へのルートから大きくはみだしてオーバーラン。切り返す用に、今度は左方向に走らせたのだが、またもや行き過ぎる。今度は右方向へ。左、右、左右。
そうしてジグザグな進路で、せせこましく駆け抜けた。
「よし止まれ! このへんで良いぞ!」
村郊外の森で告げた。空はほとんど暗い。日没まで秒読みという頃合いだ。
「いくぞアイーシャ。足の方は?」
「うん。少しくらいならいけそう」
すかさず駆け出すオレたち。背後からは、アイーシャの荷物が鳴る音、そして大地を揺るがす振動が後をついてきた。
いや、ついてきた――じゃないが。
「デカブツ、お前まで連れていけるかよ。さっさと消えろ」
「ぷぎぃ〜〜」
「こんな所を誰かに見られたらどうすんだ。誤解されるだろが。とにかく行け!」
エビルボアーはまたもや肩を落として立ち去っていく。そちらに構うゆとりはない。急ぎ、村中央にある雑貨屋へ。
「あそこだ! まだ灯りがついてる!」
店先に店主の姿がある。看板に手をかけているところで、「開店」の札をひっくり返そうとする真っ最中だ。
オレは足に渾身の力をこめた。膝が笑う。足腰は限界だ。しかし走れ。翔べ。ラストスパート。
そしてついに、オレの手は店主の傍に伸ばされた。札が裏返るのを寸前で阻止した形だ。
「はぁ、はぁ、店じまいの前に、話を聞いてくれ……」
「誰かと思えば、槍小僧のライルじゃないか。何を慌ててるか知らんが、今日はもう看板だ。明日にしてくれ」
「今日じゃなきゃ、困る、頼む……」
「困るのはお前さんであって、オレじゃない。さぁ帰った帰った」
雑貨屋のオヤジが太鼓腹を揺すってピシャリと言った。しかし、遅れて駆け寄ったアイーシャの顔を見て、態度が急変。
「誰かね、この美人さんは!?」
「連れのアイーシャだよ。それがどうした?」
「ま、まぁ、話くらいなら聞いてやるかね。んふっ」
鼻を膨らませた店主は札から手を離した。にわかに、寂しさ漂う茶髪頭を手ぐしで整えるなり、ドアを開けた。そしてニヤケ面で「どうぞ」などとのたまった。聖槍でシバキたくなる。
数日ぶりに訪れた雑貨屋は、やはり雑然としていた。食料品や日用品、それと冒険者向けのナイフやバッグ、とにかくまとまりが無い。
きっとアニマストーンも買ってくれるに違いない。実際、店主は目を丸く見開いていた。
「こりゃスゴイ。なかなかお目にかかれない代物だ……」
「どうなんだよ。いくらで買ってくれる?」
「そうさなぁ……。500ディナってところかな」
「ご、500だって!? 安すぎるだろ!」
「ガキの小遣いには丁度良い、むしろ多すぎるくらいだ。槍小僧の所持品ってだけで値が下がるところを、お情けで買ってやろうってんだ。感謝して欲しいくらいだね」
「こいつ……!」
「嫌なら他所に行けばいい。もっとも、店なんてここにしか無いがな」
オレが拳を硬く握ると、それにアイーシャが手を添えた。それからは袖を引いて、出入り口まで連れて行こうとする。
「何だよアイーシャ。まだ途中だろうが」
「ライル、これはもう交渉決裂だよ。やっぱり行商の人に売っちゃおうか」
「えっ、何を言って……」
アイーシャが視線だけを不自然に2度さげた。合わせろ、という意図だろうか。
「街道で出くわした商人だよ。あそこなら2千は出すってさ。交渉次第じゃもっと引っ張れるかも」
「そんな上手くいくか?」
「まかして。アタシけっこう得意だから。それじゃあ行こうか」
アイーシャがドアノブに手を伸ばしたところで、青ざめた店主が待ったを叫んだ。勝敗が決した瞬間だった。
「やったねライル。2千ディナで売れたよ」
売買を終えたオレたちは、店を後にして、村の通りを歩いていた。パンパンに膨らんだ革袋から銀貨を半分抜いたアイーシャが、残りを袋ごと手渡してきた。
「はいどうぞ、ライルの分」
「確かに10枚、1千あるな。助かったぞアイーシャ。お陰で首の皮が1枚繋がった」
「いえいえ、むしろこっちこそ助けられたよ〜〜。ライルが居なかったら、今頃は魔獣の晩餐になってたハズだし」
雑談の傍らでフィンの姿を探したのだが、見当たらない。家に戻るべきかな。自宅に向かおうとして村の通りを歩いた。
そしてギルドの裏手側に差し掛かったところで、珍しく村人で人垣ができており、足を止めた。彼らは一点を見つめている、集会所の方だ。
その瞳には、憤りの色がありありと浮かんでいた。
「何事だ、これ。どうして集まってるんだ?」
「ねぇライル。ちょっと怖くない? 変に殺気立ってると言うか……」
そこで集会所の方から大声が鳴り響いた。それは忘れもしない、レックスの声だった。
「オレは見たぞ! オレだけじゃない、ラティやオルガナもだ! ライルの野郎がダンジョンのボスと繋がってやがったんだ!」
そこまで聞いて、オレは目眩を覚えた気分になる。
ようやく金を手にしたと安堵したところ、突如暗雲がたちこめる。まだまだ今日という日は終わらないらしい。
(流れ次第ではレックスをぶちのめしてやる。)
そう心に誓うなり、聖槍をそっと握りしめた。