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第9話 急がば回らず直線で

 エイレーネの街まで徒歩5日と聞いて、フザけるなと思った。単なる移動にそこまでかけたくないし、街道は魔獣も滅多に出ない事もムカつく。危険性ゼロの旅だなんて、とてもじゃないが容認できない。


 しかしそれが最短で最善のルートである、とはアイーシャの談。地図を広げながら言う。


「ホラ見てよ。このマグノー街道は、ロックランスから北に延びてるでしょ。道なりに行った先にエイレーネがあるの」


 地図上の道は一度西方向にグニャリと曲がっている。それから北に進むにつれて、今度は大きく東に湾曲している。このムダとしか思えない左右の移動は何なのかと。


「まっすぐ突っ切れば早いだろうが。直線距離なら半分くらいじゃないのか」


「そこはマグノー大森林だよ、入ったらヤバいとこ。魔獣がうじゃうじゃして危ないって有名だよ。だから皆もね、こうして大きく迂回するっていう――」


「そうか。望む所だ」


「ちょ、ちょい待ち! 早まっちゃダメェ!」


 止める声を無視して、およそ北東に向かって歩き出した。街道から外れて、茂みをまたいで森の中へ。


 こちらは前評判通りに無人だった。木々は空を埋め尽くすかのように高く、下生えの草も果てしない。獣道を経由して進むことになりそうだ。


「そんなに急がなくても良いじゃん。骨休みしながらエイレーネに行って、そこでまた頑張ろうよ〜〜」


「それじゃ遅いんだよ。ウカウカ休んでいられるか」


「その槍を壊したら借金がタダなんだっけ?」


「そうだよ。親父が遺した槍と、10万ディナの借金を精算して、その時になってようやくオレの人生が始まるんだ」


「いちいち壮絶だよね。ちなみに何の借金なの

?」


「うん……。えっ何? どういうこと?」


「お金を借りたって事は、使い道があったんだよね? 何に使ったのよ、10万だなんて」


「そういや聞いてねぇな。なんだろ……」


 想いを巡らせて、ふと脳裏を過ったのは書斎の本だ。特に『なんちゃらパイ祭り』とかいう、いかがわしいヤツ。あんなものをコッソリ買い集める親父だ。きっと夜の店で金をばらまき、そこでもパイ祭りを愉しんだことだろう。


「考えたくもねぇな。それより先を急ぐぞ」 


 腹立たしい想いは心の片隅に追いやって。さらばムッツリコミュ障親父の記憶よ。


 けがれた過去を振り払いたくなり、茂みをかき分けながら進む。アイーシャも不平を並べながらついてくる。


 確かに人が足を踏み入れないだけあって、道は劣悪だった。雑草も茂みも、高くそびえ立つ大樹も、全てが障害物に思えた。


「通れるのは獣道くらいか。なかなか骨が折れるな」


「じゃあ、ここはやっぱり――」


「街道には戻らんからな」


「ううっ。方角はあってるかなぁ。太陽を見失わないようにしなきゃ……」


 鬱蒼と茂る森だ。しかし、所々で日差しの差し込むエリアがある。そこに生まれた影の角度から、アイーシャは方角を割り出していた。


 さすがに慣れた奴だなと感心させられた。


「へぇ、やるじゃん。そんな技術もあるんだな」


「言っとくけど夜は動かないよ。確実に迷っちゃうからね。そうなったら5日どころか、何ヶ月も彷徨った挙げ句……帰らぬ人に……」


「そん時はそん時だな。さすがのフィンも、冥土まで取り立てに来ないだろ」


「命を大事にしなさい!!」


 アイーシャが叫ぶと、それに応じたかのように茂みが揺れた。そして大きな陰が2つ飛び出す。


 鼻につく獣臭。姿は人型で毛むくじゃら、オオカミの顔。ワーウルフだった。


「ぎゃあああ! 早速襲われてるーー命を大事にできないーー!」


「うるせぇ。あと、そこを絶対に動くなよ」


 アイーシャを背後にしながらエリスグルを構えた。魔獣たちは、口の端から粘り気のある唾液を垂らしつつ、オレを見ている。大きなアゴ、膨れた筋肉。そこそこ強いかもしれない。


「さぁ、期待に応えてくれよ!」


 さり気なく一歩前に出た。それに釣られたワーウルフたちは跳んだ。一匹は遥か頭上、もう一匹は這うように低く。


 低い方から処理。鋭く爪による横薙ぎを槍の柄で受けた。しかし見た目に反して圧力は軽く、爪も傷1つすら刻む事なく、押し合いの形になった。


「チッ。話にならねぇ。お前は不合格だ」


 がら空きの腹を蹴り飛ばしてご退場。間もなく、高く跳んだほうが来る。両爪の振り下ろし。こっちには期待したいが――。少し威力が重たくなった程度。


「お前もだこの野郎。素振り千本こなしてから出直してこい!」


 茂みの向こうへ蹴飛ばす。その2匹が動きを止めると、辺りは静けさを取り戻した。


「クソ弱い。マジで話にならねぇぞ」


「ライルってさ、控えめに言ってバケモノじゃない? なんでそんなに強いのよ」


「親父に絶望的な稽古をつけられたからな。村から逃げても連れ戻されて、夜中まで強制稽古。たぶん2、3回くらい死んでんじゃねぇかな」


「あはは。似たもの親子なのかな……父親譲りの強さってやつ」


「アレと一緒にすんな。おぞましい。不快極まる」


「ほんと辛辣だよね。気持ちはわかるけど」


 間もなく移動を再開。さらに強い魔獣との遭遇を期待していたが、完全に肩すかしだった。とにかく敵が弱すぎる。


 ワーウルフはもちろん、突貫ビートルもダメ。飛行しながら1本角で突撃してくるのだが、槍の形状から攻撃が見事に逸れるので、まともな負荷がかからない。つまりは用無し。叩き落として地面にめり込ませてやった。


 暴れ大蜂なんてもっとダメ。人間の頭くらいのサイズで、毒も脅威だと言うが、肝心の腕力は皆無に等しい。


「いや待てよ、毒液で槍が柔らかくなるかな……」


 大蜂が宙空に舞い、尻の針を膨らませて毒液を撒き散らした。もったいねぇとばかりに刃で受け止めた。だが変化なし。足元の雑草は白煙をあげて溶けていくのとは正反対で、エリスグルは万全そのものだ。


「お前も不合格だ、出直してこい!」


 浮いてる蜂をパァン。四方の空から駆けつけてきた残り5匹も、端っこからパンパンバァンと叩き落とす。


 その頃になると、魔獣たちの攻勢が途絶えてしまった。


「おいおいどうなってんだよこの森は! もっと強い奴はいねぇのか!?」


「いやいや、ライルの兄貴が強すぎんのよマジ。それより約束だよね。もう日が暮れるから野宿にしようよ」


「収穫ゼロかよ、クソッ」  


 アイーシャはいつの間にか魔法のランプを浮かべていた。それでも、暮れゆく森を照らすには足りない。辺りの雑草を払っては、空いたスペースに枯れ木を積み上げる。続けて焚き火を灯した。


「夜になると更に怖いなぁ。今にも何か飛び出しそう」


 温かな炎がチラチラと揺らめきつつ、オレたちの影を長く伸ばした。それが大木の幹に映る様が、アイーシャは不気味に感じるらしい。


「飛び出してくれた方が好都合だ。探す手間が省ける」


「ライルにしたら、そうでしょうよ」


「しかし残念な知らせがある。辺りに敵意は感じられない。襲われることも無いと思う」


「昼間にだいぶ暴れたもんね。魔獣なんて全部倒しちゃったとか。あるいは、皆怖がって隠れてるのかも」


 聞こえるのは虫の音、それと野鳥が響かせる声。風流な夜で腹立たしい。


「ともかくね、安全なら良かったよ。これから晩御飯を用意するね」


「用意するって、食材は?」


「アタシは錬金術師だよ。任せなさいって」


 アイーシャはバッグの中から空っぽの金属釜を取り出した。子供が隠れてしまいそうなサイズ感だ。相変わらずのサイズ感だが、本人曰く、まだ小さい部類だという。


 アイーシャは慣れた手つきで、釜の中に物を放り込んでいく。石、葉っぱ、雑草に小砂利。


 口に入れられるものは1つとしてない。


「おい、晩飯を作ろうって話だよな?」


「そうだよ。割と質素になるけど、そのへんは勘弁してね」


「そこじゃねぇよ。食い物を作るってのに、石とかお前――」


 言い募ろうとしたその時だ。何かの気配が感じられた。かすかにだが、甲高い音も聞こえてくる。


「アイーシャ。これは例の鈴か?」


「え? ううん。バッグに入れてあるけど、それじゃないよ」


 耳を澄まして気づく。音を鳴らすのは聖槍エリスグルだった。柄に埋め込まれた石が、青く輝いていた。耳を近づけて分かる、やはり鈴にも似た高い音を響かせていた。


「どうしたんだ。こんなことは初めてだぞ」


「何かを知らせようとしてるんじゃないの? もしかして、とんでもない魔獣とか!?」


「あり得なくもないが――」


 不意に視線を感じた。闇の中。焚き火が燃える向こう側だ。


「そこに居るのは誰だ!」


 オレは咄嗟に足元の小石を投げつけた。石が硬い物で弾かれる音。それに続けて、茂みをかき分ける音が遠ざかっていった。


「逃げてんじゃねぇ!」


 オレは燃えさしを片手に走り出した。アイーシャのすがる声が後から着いてくる。


「待ってよライル、深追いは禁物だってば!」


「確かに誰かがいた! こんな夜中に魔獣がうろつく森だぞ、絶対強い!」


「どんな相手か分かんないじゃん! まともじゃなかったらどうすんの?!」


「強けりゃ何だって良い! それだけだ!」


 しかし、アイーシャが渾身の力でしがみついてきた。


「ダメだってライル。焚き火を見失っちゃう、そしたら本当に迷子だよ? 下手したら野垂れ死になの、分かってよ!」


「チッ。今日のところは勘弁してやるか」


「明日になってもダメだからね。まっすぐエイレーネに向かおうよ。探索でも討伐でも、ギルドを通さなかったらお金にならないんだから」


「面倒くせぇ……。どうして世の中はこうも複雑になりたがるんだ。もっとシンプルに生きさせろよ……うん? 何だこれ」


「今度は何よ」


「アイーシャ、ランプを。変なもんがある」


 オレが地面にひざまずくと、魔法のランプが辺りを照らした。赤い線で描かれた細やかな模様がある。まるで絵画のような繊細さだ。


 地面の赤い部分を指先でなぞってみる。感触、臭いをかいだところで、ギュッと唇が引き締まった。


「血だぞ、これ。何かの血で書かれてる」


「うわぁ……。魔法陣っぽいけど、絶対ヤバいよ。まずロクでもないやつ」


 赤い線はおおよそが滲んでいる。慌てて踏み消したような跡だ。その一か所に視線が吸い寄せられていく。


「だいぶ荒らされてるが……ここらへんは羽根の形をしてるよな」


 もしかして、違い羽根の紋章。そう思った途端に胸はドクンと早鐘を打った。一体ここで何をしていた。どんな目的があるというのか。


 しかし、アイーシャが喚くので、思考はまとまらなかった。


「だからもうヤバいって。荷物も置いてきちゃったし、一旦戻ろうよ。探索は明るくなってからでいいじゃない」


「確かに、こうも暗いと調べるのも厳しいな」


 こうしてオレたちは焚き火に戻ったのだが、口数はほとんど無かった。おかげでジックリ考える余裕はあったが、分かる事はほとんどない。


(村長のローブにも羽根の紋章があったよな。たぶん、あれと同じものが描かれてた。でも何のために……?)


 ゴロリと横になる。アイーシャも座り込んだままで、船を漕いだ。眠いなら寝たら良い。そう声をかけるまえに、寝息が聞こえるようになった。


 翌朝。鼻歌が聞こえて目を覚ました。すでにアイーシャは起きており、錬金釜の傍に居た。


「おはよう〜〜。昨日はごめんね、ご飯を作る前に寝ちゃったんだ」


「別に良い。それより何を作ってる?」


「朝ごはんだよ。丁度できたとこ」


「言っとくが、食えるものだよな? 石とか草とか土とかじゃないよな?」


「当たり前でしょ。ハイどうぞ〜〜」


 釜の中から取り出されたのは、焼き立てのパンだった。とろりとした炙りチーズが切れ目に挟んであった。


 恐る恐る食ってみる。香ばしく、そして温か。少し酸味のあるチーズと、小麦の甘みは相性バッチリだった。


「美味い。美味いけど、何か怖いな……」


「味が良いなら平気でしょ。元がどんな形してたって」


「おい! やっぱり変なもんを食わせただろ!?」


「そんな事無いし、普通です〜〜。それより早く食べちゃってよ。探索するんでしょ?」


 何か言いくるめられた気持ちになるものの、2人揃って完食。最後まで違和感は無い。それでもなんとなく腹の都合に不安を覚えるのは気のせいか。


 そして荷物をまとめて、いざ茂みの中へ。昨夜の場所へ訪れたのだが――。


「見てライル。あの魔法陣が……」


「入念に消されてるな」


 地面を掘り返して埋め直す、そんなやり方だった。昨晩の名残と言えば、近くの茂みに跳ねた血液くらいか。


「ごめんねライル。アタシが帰ろうって言ったばかりに……」


「いや、そうでもない」


 これはこれで、分かる面もある。あの文様は見られたらマズイ代物だと言う事。わざわざ人目を忍ぶ森の中でやらざるを得なかった事。


 それくらいの収穫はあった。もちろん、誰が何のためかは不明だった。


「もう少し痕跡があればな……。奥を探ってみるか」


「ねぇライル、これがもしギルドで出てる案件だったらさ、マジのマジで勿体ないってば。依頼前に解決したら、お金を貰えないよ?」


「小銭なんてもらってもな」


「とんでもない。報酬が1千とか2千なんてのもザラにあるんだよ」


「えっ、そんなに!?」


 一撃で1千ディナも貰えるのか。それは利息金と同額で、聖槍を壊せない場合の次善の策として使える。先日に実践済みだった。 


「金かぁ、う〜〜ん。悪くないけどなぁ」


「それにホラ。街はおっきいから。ライルが期待する強い人だってきっと見つかると思うの!」


「街に行ってまたここに戻ってくんの、めんどうなんだが……」


「ともかく騙されたと思ってさ、エイレーネに行こうよ。あと1日もあれば着くから!」


 そこまで言うならと、騙されてみる気になった。そして実際騙された。1日で踏破できると行ったのに、着いたのは翌日の午後だった。


「1日じゃねぇじゃん。嘘吐きやがって」


「そんなの大体に決まってんでしょ! それに見てよ、丘を降った先。あれがエイレーネだよ」


 オレは緩やかな坂の向こうに広がる街を見て、まず足を止めた。そして震えた。膝は大地震にでも見舞われたようにガクガクと止まらない。


「おい、なんだあれ! 本当に人の住む街なのか!? 大巨人の住処じゃなくて?」


「当たり前じゃん。どうしたのよ」


「だって、その……デカい!」


「だから言ったでしょ。とにかく付いてきて」当たり前のように先を行くアイーシャ。


「ま、待て! 置いていくなよ!」


 驚愕と緊張に浴びせられた手足は、もはや他人のもののようだ。関節という関節がピンと伸びたままで、坂道を転がるように降っていった。


 どことなく得意げになるアイーシャの後を追いかけながら。



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