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第10話 巨大な街エイレーネ

 見るも巨大な街エイレーネは巨大な外壁によって守られている。それはさながら、霊峰のように壮大だった。門をくぐる時なんてまさに、超大型のバケモノに食われる疑似体験だ。


 エイレーネによる洗礼は、それが始まりだった。


「なんだこれ……。マジで人間が作ったのか?」驚きのあまり立ち尽くすと、アイーシャが手を引いた。


「ボサッとしないで。人が多いから、簡単にはぐれちゃうよ」


「はぐれる……?」


 初めのうちは理解できなかったが、間もなく肌で知る事になる。門を抜けた先は、驚愕の世界だった。


 レンガ造りの広い道、左右にひしめく大小の家屋はどこまでも続き、そしてどこを見ても人だらけ。数え切れないほどの老若男女が行き交っていた。


 あまりの光景に両目も口も大きく開いてしまった。ロックランスでは道端でまばらに2、3人という程度だった。


「なんだよコレ……。この世の全てがここにブチ込まれたのか……?」


「何いってんの。たしかに大きいけど、ありふれた街だよ」


「こんなもんがまだ他にもあるって!?」


「もちろん。ちなみにマギノリアって街の方が大きいからね」


「やべぇ……やべぇよ世界」 


 無数の露店商が呼び込む声はふぞろいの合唱。ただよう臭いも脂の焼けたものとか、甘ったるい果実とか、様々なものが際限なく混じり合う。


 オレの耳も鼻もすっかり大混雑だ。


「ええと、まずはギルドに行こうかな……」


 先をゆくアイーシャ。邪魔だなぁとブツブツ言うが、オレにとっては心地よかった。人が多いせいか、誰も槍のことを不審がらない。悪目立ちするこの黒髪も、往来でたまに見かけるので、大して珍しくもないらしい。


(こんな感じかもな、聖槍に縛られない感覚って……)


 この時ばかりは、背中に担いだエリスグルも、借金すらも忘れそうになる。さっきまで胸を占領した驚きと戸惑いは、心地よい感覚に変わっていた。


 不意に鼻先が温かな湯気に触れた。思わず左右を見渡すと、露店の男と目があった。複数の布を重ね着するという、見慣れない服装をしている。


 彼はニンマリという音が聞こえそうなほどの笑みを浮かべた。


「さぁさぁ、どうぞ寄ってって! イルタール名物のタル饅頭だよ! おひとついかが?」


「タル饅頭……何だそれ!?」


 好奇心が炸裂するのに任せて、声のする方を見た。露天商だ。


 食い物らしいが、初めて目にする売り方に心が踊った。木箱から蒸気がもうもうと立ち込める中、手のひらサイズの白い塊が転がっていた。店主がそれを棒で突くと、柔らかそうにムニッと揺れる。


 気づけば、口の中は唾液で溢れかえっていた。そして思う。これはきっと、夢のような味がするに違いない――と。


「おっちゃん。それ1個くれよ」


「毎度ありぃ! 30ディナね」


 銅貨3枚……だと? 目を白黒させながら財布を取り出した。要求を下回る全財産がチャリンと虚しく響く。


 するとそこへ、頼るべき相棒が息を切らして戻ってきた。


「ちょっとライル、何してんの。はぐれないでよ」


「アイーシャ、悪いが30ディナ持ってないか?」


「こんな所で散財してらんないよ。ホラ、さっさと行く!」


 アイーシャがオレの袖を引っ張ろうとした時、店主は言った。


「おおっと、これは絶世の美人さんだね。どうよ、この兄ちゃんと散策がてらに饅頭でも食わないか?」


「あはは、ありがと。おじさんも笑顔がステキね。でもお腹一杯だからいらないよ〜〜」


 心のこもってないセリフを残して、アイーシャは立ち去った。チュニックの袖を掴まれたオレも、強制連行されてしまう。


「あのねライル。あんまりキョロキョロしないで。街の商人はみんな口がうまいから、あれもこれもす〜〜ぐ買わされちゃうの」


「ふぅん、そういうもんか」


「とにかく付いてきて。まずは冒険者ギルドに行くから。色々と珍しいかもしれないけど、今は優先順位を――」


「おい、あれは何だ! 犬がヘソから水出してんぞ!?」


「あれは噴水。つうか大声出さないで」


「すげぇぞ、あそこに武器屋がある! 村長の家よりデカいんじゃないか!?」


 オレが店先から中を覗いていると、アイーシャが喚いた。「ついてきてってば!」


 それから路地に入る。まばらになった人波の間を、さしたる苦労もなく歩いていった。


「はぁ、やっとこさ着いた……」


 疲れ顔のアイーシャが立ち止まるのは、ひとつ路地に入った所にある建物の前だ。


 2階建ての大きな造りで見栄えも良い。厚くて真新しい藁葺き屋根、ベージュのしっくい壁は整って、レンガや木材も惜しみなく使われている。何よりもガラス窓だ。日差しをキラリと弾く様には心がワクワクはねた。


「すげぇよアイーシャ。窓ガラスがいっぱいだ……。クリエ村長の家でも2枚しかなかったのに」


「マジでやめて。つうか入るよ」


 アイーシャがギルドの扉を押し開けたので、その後に続いた。中は比較的明るいが、酒の濃い臭いが重たく漂っていた。


 左手がカウンターと依頼用のボード。右手はテーブルが並び、奥にバーカウンターがある。卓上には酒やら骨付き肉の乗っかる皿。その傍らでカードが散らばり、コインの積み上がる様子からは、何か退廃的なものが感じられた。


「アタシはギルド受付と喋ってるから、そこにいてね。トラブルは厳禁で。わかった?」


「はいはい」


 その場に残されてからも辺りを観察するのだが、酒場エリアからは顔を背けた。刺すような視線が不愉快だった。


――うわ、誰かと思えばアイーシャじゃねぇか。あの泣き虫女もやっと仲間を見つけたのかよ。


――おい良く見ろ、連れは槍遣いだぞ。どうりであんな奴とつるんでるわけだ。


――マジかよ。ずっと昔に絶滅したって聞いたが、まだそんなヤツも居るんだな。


 嘲(あざけ)る空気はロックランスとほとんど変わらない。なまじ人が多い分、腹立たしさを覚えるようだった。


 嘲笑を振り払うように、依頼ボードを見てみる。仕事の内容は多岐にわたる。販売補助に薬草の採集、マギノリアまでの護衛、賞金首の最新情報。アルフィオナ教会から週末礼拝に関する通知。それらの中に、マギノー大森林に関する記述は見られなかった。


(つまりあの魔法陣は、ギルドの仕事としてあがってないって事になる。いや時間の問題で、後日には何かしらの更新が……)


 考え込もうとした矢先だった、アイーシャの高い声が鳴り響いた。


「ちょっと! それどういう事よ!?」


 ギルド受付を相手に吠えている。トラブル厳禁とは何だったのかと思いつつ、まずは事情を確かめる。


「どうしたアイーシャ。揉め事か?」


「ライルに許可証を出してもらおうと思って。でもダメだって言うのよ!」


 憤慨する姿を前にしても、受付はしかめっ面で見下ろすだけだった。男は苛立ちを隠さずに口を開いた。頬の動きに合わせて、大きな傷が生き物のようにうごめいた。


「ダメなもんはダメだ、アイーシャ。お前の時でも結構揉めたんだぜ? 規定上、修了資格が必要だってのに、仮免の時点で――」


 アイーシャが身を乗り出してセリフを遮った。


「ちょわーーッ! でもアタシはだいぶ貢献したでしょ? いっぱい働いたじゃない。今やブロンズランクよ? そのアタシが推薦するんだから、ライルを保証できるじゃない!」


「お断りだ。槍遣いなんて雇ったら本部からなんて言われるか。査定が下がったらどうしてくれる」


「いやマジで、ものすんごい働くよ? もうバケモノみたいに強いから、アッと言う間に大活躍の。そしたら本部も文句言えないでしょ?」


「何を言おうと変わらん。聞け。嫌だ」


 受付は口をバカ丁寧に開いて、ピシャリと言い放った。


 その様子を盗み見ていた酔客たちは、それまで含み笑いだったところ、大笑いに変えた。ついに堪えきれず、といった所か。


「ワーーッハッハ! こりゃいい。馬屋姫が槍遣いの下僕を連れて、あつかましく喚いてやがる!」


「良かったなひよっこアイーシャ! そんなヤツじゃなきゃ、誰もお前なんて相手にしねぇもんなぁ!」


 嘲笑の的となったアイーシャが言い返すことは無かった。口元を震わせながらローブの裾を握りしめ、罵倒の嵐に堪えている。睨み返す事もせず、ただじっと、依頼ボードの方を見つめるようになる。


 その姿がオレの胸を小さく差した。


 痛みに堪える代わりに大きく前に歩み出た。左足で木の床を踏みつけにする。それで辺りは一斉に静まり返った。


「この中に、バカみてぇに強いやつはいるか!」


 返事を待たずに続けた。


「どうした、オレの槍をへし折れるような猛者はいないのか? お前らの筋肉はお飾りか!?」


 連中は時を止めたように静止していた。しかし顔色を眺めるに反応は様々。こめかみに青筋を立てるヤツ、料理を片手に驚いて口を開け広げるヤツ、そして苦笑する顔も並んだ。


 その中で、1人だけ真顔の男が居た。筋骨隆々の身体にチェインメイルを着込む、近接型の戦士だろう。


 たぶん強い。直感がそう教えてくれた。


「そこのアンタ。ちょっとオレの相手を――」


 歩み寄ろうとしたが、ふいに襟首を後ろから掴まれた。ギルドの受付だった。


「おい、私闘は禁止だぞ! 出て失せろ!」


 それからは、アイーシャもろとも追い出されてしまった。何の成果も得られず、ただ嘲笑われて終わった形だ。


「ごめんねライル。うまくできなくって……」


 うつむくアイーシャに、午後の日差しは届かなかった。大きな建物が深い影を生み出している。


 オレはどうして良いか分からず、うつむく頭を撫でてやった。 


「別にお前のせいじゃないだろ。また大森林に戻って、例の場所でも探索するかぁ!」


 正直言って、街を離れるのは惜しい。タル饅頭、それとあのムキムキ男。気にならないと言ったら嘘になる。


 しかし、ギルドでは許可証をもらうどころか、アッサリつまみ出された。もちろん依頼の契約も無し。仕事にありつけないのなら、エイレーネに居座る理由も半減する――と思われたのだが。


「アタシはね、転んでもタダでは起きないタイプなの。手ぶらで帰るわけ無いじゃん」


「どういう意味だよ」


「お仕事、貰ってきちゃいました〜〜ん」アイーシャの手には小さな紙片があった。


「えっマジかよ! ドサクサにまぎれて?」


「チラリと見たら、良さそうなのを見つけてね。今回の仕事はスキマ案件ってやつだよ」


「スキマ案件……?」


「依頼ボードに貼ってあるけど、あくまでも募集を呼びかけるだけで、ギルドが管理してないやつ。契約も、許可証だって要らないんだよ」


「へぇ〜〜。世の中にはそんな仕事もあるのかよ」


「そのかわり安いけどね。どう?」オレの脳裏で、例のほかほかタル饅頭が大きく膨れた。


「もちろん。やるからにはキッチリ働くぞ」


「ライルの大活躍に期待してるよ。場所はエイレーネの中央通りだから、こっちだね」


 それを訊いて足が軽くなる想いだ。胸を弾ませながら路地裏を歩いて行く。


 オレの活躍が期待されるとは、やはり討伐だろう。強力な魔獣どもをバッサバッサとなぎ倒し、ついでに槍もぶっ壊す。そして受け取った報酬で饅頭を食う、腹がはち切れるまで膨大に。


 未来とはこんなにも明るい色をしていたのか――と思うと、その場で小躍りでもしたくなる。 


「ところでアイーシャ。今日の仕事って具体的には……」


 問いかけようとした矢先、アイーシャが露天商に向かって手を振った。


「どうも、冒険者ギルドで見たんですけど。お仕事あるんですよね?」


「おっ。待ってたよぉ、荷物は、裏の空いてるところに置いといてね」


 本日の仕事、スキマ案件。それは売り子だった。狭い屋台に積み上がる果物を売る仕事だ。


 完全に肩すかしだったが、そこまでならまだいい。店主がエプロンを着ろとうるさかった。


 アイーシャは似合う、サイズも測ったようにピッタリだ。しかし、なぜオレまでヒラヒラなもんを、と思う。


「オレは普通の格好でいいよな? な?」


「文句言わないの、ライル。擦り切れたボロ服じゃ商売にならないよ。それにブフッ。けっこう似合ってるし」


「笑ってんな、絶対笑ったよな?」


 今日は厄日か、それとも試練か。人生で初めての仕事は、売り子と言う名の、現地民から奇異の目を向けられるという内容だった。

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