売り子の仕事は屈辱的だった。何が哀しくて、ヒラヒラのエプロンに白いブリムなんて被らなきゃならんのか。お陰で通行く人から奇異の目を向けられてしまい、その視線がザクザクと刺さった。
しかしなぜか、売上は絶好調。西の空で陽が傾きだした頃には、山と積んでいたフルーツの全てを売り切っていた。
「いやいや、すんごい良かったよチミたちぃ。また来年来るから、その時もお願いしたいよ〜〜」
店主は拳大にふくらんだ革袋を差し出し、アイーシャが両手で恭しく受け取った。ドサリと重たい音がした。
「それとお兄さん。チミってばほんと素晴らしい! 絶妙! 磨き方次第じゃステキな男の娘になれると思うから、ぜひとも頑張っち〜〜」
「そうか、くたばれ、二度とツラ見せんな」
「それそれ! そのザクッと鋭い毒舌も堪らないんだよ、ゾクゾクするんだねぇ〜〜」
「ずらかるぞアイーシャ。長居は無用だ」
過去に経験のない疲労を背負いつつ、路地裏に駆け込んでいった。店主は最後の最後まで視線をオレに向け続ける。怖い。
「アイーシャ、死ぬほど疲れた。宿屋をとろうぜ」
「今向かってるよ」
「ところで今日の稼ぎはいくらだ?」
「ええとね……ざっと見た所200ちょいかな」
先程の革袋には銅貨がギッチリ詰まっている。苦労しただけあって、その全てが輝いて見えた。
「これでタル饅頭が腹いっぱい食えそう――」
そう言いかけた矢先、アイーシャが袋を閉めてしまった。そして野ウサギが巣穴に駆け込む速度でバッグの中にしまわれた。オレにはたったの1枚も渡される事なく。
「あのさ、お金はアタシに管理させて。慣れてっからこういうの」
「何だよそれ。ちゃんと半額を寄越せ、2人で稼いだんだぞ」
「そんな事言って。屋台で使い果たす未来が見えたよ、ズギャンとね」
「まぁそれは……」
否定できない。疲れ切った自分のご褒美に、と考えていたのだから。露店前を通り過ぎているうちに、財布をカラにしてしまう自信ならば――有り余る。
「お金ってのは使い所があっから。そんじゃ、宿に行きましょ〜〜」
結局はアイーシャに言いくるめられてしまった。それでも今は疲れが勝っており、柔らかなベッドに飛び込みたい気分だった。
路地裏の宿屋街を歩く。ひしめく看板には「素泊まり70ディナ最安値」やら「朝飯付き100ディナぽっきり」といった言葉が踊り狂う。
「宿代も結構高いんだな。稼ぎが吹っ飛びそうだ」
「ここにしよっか。今日の宿は」
「えっ、マジか……?」
店構えは立派だった。2階建ての新築でレンガ造り。季節の花で彩られた園庭も広い。それらを、過剰気味に設置されたかがり火が照らし出す。
確信する。絶対高い。意匠の細やかな白門なんて潜ることを躊躇するくらいだ。
「ライル、こっちだよこっち!」
庭先でアイーシャが手招きをする。それからは建物の入口から遠ざかり、園庭の中を歩いていく。いったいどこへ連れて行かれるのか、見当もつかない。
「なぁ、マジで大丈夫か? よその宿より立派な店だぞ?」
「気にしないで、宿代なら全然出せるから」
「そっか、悪いな……」
オレは胸に温かなものを感じて、心労も癒やされる想いになった。これまで幾度となく窮地を救ってくれた恩返し、というやつだろう。お礼としてフカフカのベッドに豪華なメシを並べるに違いない。
ロックランスの貧乏ぐらしとは天と地の開きがあるだろう。
(どんなもんかな。エイレーネの高級宿って)
やがて裏手まで回ったところで、下働き風の男と出くわした。男の両腕は干し草で満ちている。アイーシャが二言三言話しかけては、銅貨を2枚ほど握らせた。
それで交渉成立したらしい。オレたちが最後に辿り着いたのは――。
「いや、馬小屋かよ!」
ジメッとした小屋は獣と藁の臭いで満ちていた。柵の内側に、興味深そうに見てくる栗毛の馬、あるいはビクついて端まで引っ込む葦毛の馬と、反応もそれぞれだった。
「贅沢言わないの。駆け出しのうちはね、野宿に厩(うまや)って相場が決まってるから」
「だからって、ここまでケチる事ないだろ」
その時ふと、頭上から嘲笑が降り注いできた。宿屋の2階から見下ろす連中、恐らくは冒険者だろう。こちらを指さして上機嫌に嗤う。
オレはすかさずアイーシャの袖を掴み、馬小屋に引きずり込んだ。
「まともな宿をとるぞ。今日の稼ぎで賄えるだろ」
「ダメダメ。明日も同じように稼げる保証無いんだよ? 節約できるなら極限までやる。これ鉄則だから」
アイーシャは意見を曲げなかった。小屋の端にワラを積み上げて、それが寝床だと言う。
「ご飯はアタシが用意するから安心して。残り物だけどね」差し出されたのは、冷えたパンにチーズの貼り付いたもの。朝食の余りだった。
妙に美味いと思ったのは、やはり空腹のおかげだった。怪しげな素材だったことなど忘れて、すみやかに完食した。
そして食ったらやることもない。就寝だ。
「明日からも頑張ろうねライル。泥臭く稼いでくよ」
「それは、まぁ、構わんが」
「そいじゃまたね。ちなみに手出し厳禁だから、おやすみ〜〜」
腹を満たすなり、アイーシャは藁の上で寝転がった。かと思えば、すぐに寝息が聞こえるようになる。
オレも隣の藁に寝転ぶが、あまり眠くはなかった。
(仕事よりも強いやつを見つけないとな。聖槍さえ処分できれば、晴れて自由の身だ)
ギルドのいさかいで見つけたあの男。筋肉の塊のような冒険者は、今どこに居るのだろう。せめて名前だけでも聞けば良かったと悔やまれる。
いつしか眠りに落ちて、次の朝を迎えた。アイーシャは「おはよう」と挨拶しながら、出来立てのミートパイを出してくれた。
既に作り終えているので、錬金術のシーンは見ていない。まともな食材であることを祈るばかりだ。
「食べ終わったらギルドに行こうか。何か仕事があるだろうし」
それからアイーシャは手早く洗濯も済ませてしまい、馬の柵に濡れた肌着をかけた。葦毛の方がヒンと短く鳴いた。
予定に異論はないので、パイを腹に収めてから、すぐに移動。朝の裏路地を歩いていく。ひとつ向こうの中央通りでは、朝早くから荷馬車が行き交っており、今日も盛況であると約束するようだった。
「ライルはここで大人しくしててね。仕事探してくるから」
「売り子は二度とやらんぞ。それと、なるべく派手なやつな」
「はいはい、わかりましたよ」
アイーシャはそう言って、ギルドの中へ。オレは1人軒下で待ちぼうけ。こういう時間は好きじゃない。走り回ってる方がずっと楽だった。
昨日はエイレーネの迫力に気圧されてか、柄にもなく浮かれてしまった。そのせいか、聖槍破壊の目標が何一つ進展しておらず、ひどく焦れる。
タイムリミットの月末までだいぶあるが、だからといってノンビリしたい訳では無い。一刻も早く強敵と巡り合い、槍をへし折り、砕く。そのためにも危険な案件をもぎ取る必要があるのだが――。
「はいはいお待たせ! 今日は配達のお仕事で〜〜」
左手を高速で突き出し、アイーシャの頬をつまんだ。
「うむむ、やめてください〜〜。可愛い顔が台無しになっちゃう〜〜」
「オレの話は聞いてたよな? ダンジョンとか、討伐とか、そういうもん持ってこいよ。なんだ配達ってお前」
「いや〜〜アハハ。無理かなぁ。ギルド登録したての頃はそういうのも貰えたけど、びっくりするくらい上手くいかなくって……」
「もしかして、ビビった挙げ句に逃げたとか?」
「うむ、申し訳ない」
「誇らしげに言うな」
「そんな訳で、アタシは安全なやつしか紹介してもらえないの。ライルはそもそも許可証が無いから、依頼が成立しないしね」
「そうか。じゃあオレは、マギノー大森林で魔獣を漁ってくる」
「えっ、困るけど! 配達ってとにかく人手が欲しいやつで」
「知るか。お前が2人分働けばいいだろ」
時間をムダにした。売り子に配達だなんて、それでどうやって強敵と巡り会えるというのか。馬小屋生活に何のメリットがあるのか。そこらの森で野宿した方が、魔獣に襲われる分、目標達成の可能性が広がる。
「あっ、あ〜〜! なんだったかなぁ。エイレーネ最強の剣士が、そろそろ戻ってくるんだったけなぁ!」
「最強? 何だソイツ、詳しく教えろよ」
「いやごっめ〜〜ん! ついド忘れしちゃってさ。顔も名前もギルドランクも。でもそうだなぁ、配達の仕分けとかやってたら、思い出すかもなぁ〜〜」
姑息。オレはもう一度アイーシャの頬をつまんだ。「やめへぇ〜〜」というユルユル断末魔を聞きながら、今日という日を諦めた。
「えっへっへ、悪いねぇ配達を手伝ってもらってさ」
小狡い笑みを浮かべるアイーシャは、先導するように道を急いだ。行先は街中央にある領主館で、今日は政務室での手伝いだという。
こう聞くと、何か重要任務な気にさせられるが、実態は違うらしい。労力になるなら浮浪者でもオッケーという、忙殺地獄が待っているとのこと。
「なおさら行く気にならねぇ。なんだその職場は」
「スキマ案件のお得意先みたいなとこだよ。仕事内容はまぁ、お察し」
「最悪、途中で帰るからな」
領主館の大きな建物が見えてきた。どんな目に遭わされるのかとゲンナリする。
するとその時だ。雑踏の音にまぎれて、不思議な足音を聞いた。素早い、だが気配が極端に弱い。何らかの修練を感じさせる足さばきだ。
それは背後からこちらへ急速に近づいている。
「何事だ……」
一直線に駆けてきたのは、1人の男だった。追い抜きざまにぶつけられたアイーシャは、思わず転がりそうになる。そこでオレは彼女の倒れかける肩を抱きとめた。
「あ、ありがと……」
「大丈夫か? 怪我でもしてないか確かめるべく馬小屋に戻ろうか。そして配達の仕事も見送って、治療がてら最強男について語り合おう」
「そういう訳にはいかない――って、あぁ! ライル、聖槍が!」
ぶつかって来た男は、駆け去りながらエリスグルを抱えていた。どうやら狙いはそっちのようで、振り向きもせず路地裏に消えた。
「今のはスリだよ。きれいな宝石が付いてるから目をつけられたんだ!」
「ふぅん、そっか。確かに高そうに見えるか」
「何を落ち着いてんの、おいかけないと!」
「いや、その必要はないぞ。たぶんな」
怪訝な顔を向けるアイーシャだが、すぐに知ることになる。まず路地裏で悲鳴があがり、何かが猛スピードで天高く打ち上げられた。
上を向けば青空。たゆたう雲、それに向かって猛然と空を貫く棒切れ。その先端はギラリと冷たく輝く。そんなものが見えたかと思うと、地表目指して急転直下。エリスグルだ。それは穂先から地面に突き刺さり、地響きとともに帰還した。
聖槍エリスグルからは逃げられないのだ。
「まぁこういう事だ。ある程度離れると戻って来る仕様らしい。こうじゃなきゃ、とっくに捨ててるぞ」
「あはは……クッソ怖い。お陰で軽く漏れたよ、自尊心を失う危機だったよ」
「今のは隠してた方が自尊心を保てたぞ」
スリの捜索とはならず、案件が優先された。まもなく政務所に辿り着く。
さすがに領主館に併設されるだけあって、外装も内装も立派、絵画1つとっても高級感を漂わせる。
「あぁ、来たのね。さっそくお願い」
カウンター越しに、政務官と呼ばれる女が言った。制服とおぼしきシルクの服は上等だ。しかしボサボサ髪にゲッソリ削げ落ちた頬、それと落ち窪んだ瞳が、凄まじいギャップを生み出していた。
案内されたのは隣室だ。小部屋の中には木箱が雑然と並び、中は全て配達物という魔窟だった。
「えっと、役割分担しよっか。アタシが仕分けをやるから、ライルが配達に出てよ」
「待てよ。オレは街のことをよく知らないぞ」
「まずは知ってそうなエリアに絞るから」
アイーシャは箱を順々に眺めては、早くも何か掴んだらしい。テーブルから箱を下ろして作業スペースを確保。そして目にも止まらぬ速さで仕分けていく。
「はいどうぞ。まずはこれね。宿屋近くのだから、場所もわかるでしょ」
「わ、わかった」
押し付けられた3通の手紙を持って、政務所を後にした。さすがに道は把握している。案内が無くても辿り着けるだろう。
「それにしてもアイーシャのやつ、神業かよ。錬金術より政務官に向いてるかもな」
手紙を片手に、路地へ差し掛かったところで、一迅の風が吹いた。すると、オレの手元に微かな衝撃。攫われた感覚が残る。
「へへっ。お仕事ご苦労だな、槍遣いのゴミカス」
革鎧を着込む軽装の男が、屋根の上から言った。その手には手紙の束がある。今の瞬間に奪い取られたらしい。
初対面ではない。ついさっき見かけたばかりの盗人だ。
「またお前か。それを返せ」
「嫌なこった。返して欲しけりゃ捕まえてみな、ウスノロ野郎め」
男は小柄な身体を翻して、屋根伝いに駆けていく。あっという間に1ブロックを走破した。
「モノを盗られちまったが、どうするか。いったんアイーシャに相談すっかな」
「おいテメェ、どこいくんだ! 早く追っかけてこいよ!」
屋根の上で男が吠えた。付いてきて欲しいならそう言えよ、と思う。
男が屋根の上から逐一叫ぶ。道案内そのものだった。
――最初の辻を左に、小さな緑地は通り過ぎて、2つ目の路地を右に曲がれ。しばらく真っ直ぐ。早くしろ、野良猫とか良いから! 構ってんじゃねぇよ!
そうして廃屋が続くエリアに出た。人の往来はほとんどなく、たまに、道端で座り込む浮浪者の姿が見えた。いつしか、盗人の男が屋根から飛び降り、オレの前を駆けていった。
そこは石造りの広場で、へし折れた剣や木の人形が転がっていた。打ち捨てられた練兵場といった様子だ。誰も管理してないのか、敷地の隅はゴミで山が出来ていた。
「おせぇぞ、散々またせやがって!」
ボロボロのソファに腰掛ける大男が怒鳴った。案内役の方が、飛び跳ねてまで怯えてから、愛想笑いを浮かべた。
「すんませんヴァラキンの旦那! こいつがどうもノロノロしやがってですね」
「つうかよ、オレはそいつのキラッキラの槍を盗んでこいって言ったんだよ。持ち主ごと連れてきてどうすんだ」
「それがですね旦那。あの槍は不思議な力がありまして。きっと持ち主がくたばらねぇと自由にならねぇとか、それ系ですぜ」
「クソッタレ。面倒クセェな」
喋る大男の傍には、武装した奴らが固まっている。正面に5人、背後に2人隠れている。いずれも小さくない闘気を放っていた。
正面の大男が身体を揺らして立ち上がった。縦にも横にもデカい。その手には大斧が握られていた。
「そういうことだ。覚悟しろよ小僧。ガキの分際で不相応なモンを見せびらかしたこと、後悔させてやるぜ」
そのセリフにオレは頬を緩ませた。予期せぬ闘争は助かる。厚い作りの斧は、かなりの威力が見込めるはずだ。
退屈な配達から救ってくれた救世主が、緩やかに歩み寄ってきた。オークよりもでっぷりと太っていた。