ギルドマスターが棒を手に取ると、すかさず受付が動いた。
壁に貼り付けられたのは地図で、大陸北部が描かれている。中心にあるのがエイレーネで、東にマギノリア、南の方にロックランスが辛うじて載っていた。
ギルマスが棒でエイレーネを差した。
「エイレーネ騎士団分隊から連絡が入った。マギノー大森林で大規模な錬成陣が出現し。デモノイド・ウェーブが発生した。魔族の大軍と騎士団が衝突したとの事だ」
棒は森の東側を小突いた。その辺りはエイル湖を中心として、3箇所に村が点在。湖から見て北の草原、街道の通る西側、そして南の畔。
ここから1番離れた南の村がアルケイルで、アイーシャの故郷だ。
「オレたち冒険者ギルドにも出撃要請がきた。なにせ魔族(デモノイド)が相手だ。獣とは違い亜人種が主で、タクティカルな戦闘となる。激戦を覚悟しなきゃならんな」
周囲の反応は鈍い。瞳に闘志を宿すのは少数派で、大半はうつむくか、テーブルの隅を見つめていた。
ギルマスの咳払い。喚起する意味合いだろうが、士気をあげるには至らない。
「オレたち冒険者の役割は、村の防衛と戦闘補助だ。対象となる村はレイクウッド、ベテルの2箇所」
「アルケイル村は?」誰かが疑問を投げかけると、ギルマスは冷たく言い放った。
「そこは対象外だ。防衛料を出さなかった。その代償は血でもって支払うべきだ」
背後のアイーシャが息を飲み、震えた。目に見えた反応があるのは、それだけで、誰も問題視しようとしなかった。
「作戦はこうだ。街道に陣取った騎士団と協力して敵を撃つ。オレたち冒険者は別働隊として展開し――」
なおも続くギルマスの説明を、オレは一歩を踏み出して止めた。
「待てよオッサン。アルケイルを見捨てるつもりか!?」
全員が一斉にオレを睨む。ギルマスが口を開くより先に、赤ら顔の冒険者が吠えた。
「口の聞き方に気をつけろや。アルケイルは金を払わねぇんだ。そんな奴らを命がけで護れってのか? こちとら慈善家じゃねぇんだよ!」
そうだそうだと、周りも同調する。顔色を見るに、総意と見て間違いない。
すると、堪りかねたアイーシャが飛び出し、床に這いつくばった。
「助けてください、お願いします! アルケイルは伝染病が流行ったせいで、村にお金がないんです! アタシが立て替えるから、どうか!」
両手で差し出された革袋は、銅貨で膨らんでいる。オレたちが必死に貯めた金だった。
赤ら顔の男が手を伸ばし、中をあらためる。すかさず酒臭い鼻息を撒き散らした。
「クッソ貧しい! こんな端金で命張れっかよ! 金貨もってこいや金貨をよぉ!」
「ええと、今は持ち合わせがなくて……でも、お金は絶対用意しますから!」
「払う見込みのねぇ金より、出来ることがあんだろうよ、アァ?」
男の視線がまさぐるように動く。舐め回すような軌道が嫌悪感をもたらす。
「オレたち全員と相手しろや、毎晩毎晩、休まずによぉ? そしたら優し〜〜い誰かが、村も助けてくれんじゃね?」
「あの、それは……」
「へへっ。手付金がわりに貰っとこうか。早く脱げよ、お前のくっさいおパンテュを――」
男がおもむろに手を伸ばす。
オレは素早く踏み込み、男のアゴを蹴りつけた。白い歯が羽虫のように飛び散った。
床に転がった財布は拾い上げて、アイーシャの手元に押し付けた。
「この野郎! 何しやがる!」
別の冒険者が憤激して立ち上がるのを、今度は槍で制した。壁に向けて石づきを叩きつけると、しっくいに大きなヒビが走った。
これしきの事で連中は怯む。話にならない。
「どうしたゲスども。達者なのは口だけか」
口で挑発する傍らで睨みつけた。ほとんどが目を逸らす。
「文句があるやつは来いよ! 数が多いだけの金の亡者め! お前らが束でかかって来ても、オレの槍がへし折れるもんか!」
「このガキ……言わせておけば……!」
一旦は萎んだ闘気が、またもや膨らみはじめる。するとそこでギルマスが吠えた。「静まれバカども!」
その一喝で乱闘騒ぎは収められた。オレはともかく、ゲスどもは戦う気が失せたようだ。
「これはルールだ。どんな事情があっても、支払わなかった奴らは護らない。泣き落としも無用。そこまで啖呵(たんか)を切るなら、お前が護れば良いだろ、槍小僧」
「フン。腰抜けどもなんて足手まといだ。オレ1人で十分」
「大言壮語でないことを祈ってやる。せいぜい足掻け」
ギルマスの説明はたいして続かなかった。敵は主に亜人種で、数が多い。作戦詳細は騎士団に聞けという。
そこまで言うと、ギルマスは視線を辺りに向けた。
「ところでヴァラキンたちはどうした。エイレーネ最強軍団は?」
オレはむせて咳き込んだ。受付の男も気まずそうに「依頼で大怪我を。一味もろとも」と絞り出す声で。
ギルマスは溜め息とともに天を仰いだ。同時に居合わせたゲスどもも戦慄し始める。
――マジかよヴァラキンたちが大怪我って、普通じゃねぇぞ……。
――もしかしてデモノイド・ウェーブに巻き込まれたんじゃ。今回の魔族はそんだけヤバいのか?
ざわめきが収まらない中、咳払いが響く。耳目を集めたギルマスが力強く言った。
「居ないものは仕方ない。やれるだけの事をやれ。いいな?」
反応は鈍い。こんな時、責任者としてどうするのか。彼は金で釣る事を選んだ。
「報奨金を支払うぞ。魔族1匹分のアニマにつき100ディナだ」
「100 だって!?」
色めき立つ声には、オレのものも含まれていた。10体も倒せば利息金になるし、頑張り次第じゃタル饅頭の宴も楽しめる。
「よし、行ってこい! 存分に働けよ!」
次々とギルドから飛び出していく。オレは、座り込んだままのアイーシャに手を伸ばして、立たせてやった。
「すまんな。ブチ壊しにしたかもしれねぇ」
「ううん。そんな事無い。庇ってくれてありがと」
無数の男どもから浴びせられた悪意は、ダメージも深刻だ。今は静かなところで落ち着かせてやるべきか。
アイーシャと連れ添うようにギルドを後した。ドアをくぐろうとした時、声をかけられた。しかめっ面のギルマスだった。
「あんだけの大口を叩いたんだ。逃げるなよ」
振り向いたオレも、同じく顔をしかめた。「アンタこそ報酬を忘れんな。しこたま稼いでやる」
そして、入口に詰めかけた住民たちをかき分け、路地をゆく。行き先に悩み、辿り着いたのは馬小屋。結局ここがホームだった。
「気分はどうだ、アイーシャ?」
「うん、どうにかね。さっきはショックだったけど、持ち直したよ」
栗毛の馬が心配そうに顔を寄せてきたところ、アイーシャがその額をなでた。葦毛の方はやはりビクビクして、隅っこでヒンと鳴いた。
「一休みしたらアルケイルに直行するか。いや、騎士団の駐屯地に向かうべきか?」
「ありがとう、本当に感謝してもしきれないよ。ライルはアタシだけじゃなく、故郷まで救ってくれるんだから」
「やめろよ。オレはその、あれだ、報酬目当てだよ。1体倒すだけで100も貰えるなんて、これは金持ちフラグだろ。ぼろ儲けの貧乏脱出確定だな!」
「そこなんだけど……」
「アイーシャも喜べよ。渡航費用を一気に稼ぐ大チャンスだぞ。オレたちで全部倒したら一万近く貰えるんじゃないか?」
「ライルは報酬をもらえないんじゃない? 許可証がないから、記録がとれないもん」
「ハァ……?」
アイーシャが言うには、魔族を倒すとアニマと呼ばれる魔力が出現するらしい。許可証には魔法が施してあり、それを吸収するのだとか。討伐の証拠として扱われる。
つまり、オレの働きは稼ぎに繋がらない、という事だ。
「べ、別にいいもんね! 槍は護りだし? 弱い奴らの為にあるし? そういう運命だしね!?」
「あの、無理しないでいいよ? 村の事は、アタシがギルドのみんなに奉仕して、頼んでみるから」
「あぁタダ働き最高! 金目当てだなんてありえねぇよな、あんなゲスどもと一緒になっちまうしな!」
この世はクソだ。ゴミ溜めだ。どう足掻いても割を食うシステムにはうんざりだ。
それでもアイーシャの顔がほころび、馬と優しく戯れるのを見て、思う。悪いことばかりじゃないと。
「お前も働くんだぞエリスグル。聖槍の名を汚さねぇようにな」
オレは槍の柄を力強く握りしめた。ムカつくクい手に馴染んだ。