親父を知る男に初めて出会った事に驚かされる。それは相手も大差ないようで、カーターも目を大きく見開き、無精髭を小刻みに揺らした。
「君はデキン殿の息子なのか。あまり似てないな。茶髪でゴツい体つきの父親に比べ、君は黒髪だし線も細い。母親似なのかもな」
「おい、親父はアルケイルに来たことがあるのか?」
「そうだ。3ヶ月ほど前になるか。朝晩が冷え込む時期で――」
「借金か!? 親父のやつ、金を借りたりしてないだろうな?」
オレの剣幕に押されてか、カーターの顔が引きつった。「い、いや。そういった話は特に……」
「じゃあ女絡みはどうだ? 村娘をさらったり、脅かしたり、夜な夜な生き血を啜るような真似は!?」
「君は父親を何だと思ってるんだ?」
訊いてみれば、借金なし、トラブルなしの完全無罪。むしろ彼らには感謝されていた。
親父は断続的に現れる魔獣を倒し、壊れた家具を直したり、村人とノンビリ釣りを楽しむこともあったという。身なりは旅の冒険者で、実際にそう名乗ったらしい。
親父なら死んで村に埋めたと伝えた。するとカーターは顔をクシャクシャにして悼んだ。「惜しい男を」とまで言うので、秘蔵のエロ本は伏せてやった。せめてもの情(なさけ)だ。
「しかし女神アルフィオナは我らを見捨てはしなかった。デキン殿の御子息が、こうして駆けつけてくれた。ろくな報奨もないというのに」
「冒険者に金を払わなかった、と聞いたが?」
「そうだ。騎士団にもギルドのいずれにも、防衛料を収められなかった。アルケイルは流行病にさらされ、ようやく立ち直ったところだ。金なんて村中ひっくり返しても有りはしない」
カーターが思い出したように咳をした。空咳だった。
「金が無きゃ守ってくれないとか、世知辛いなんてもんじゃねぇわ」
「そもそもアルケイルは豊かでない。ミシェルが存命だった頃は、錬金術の品々を譲ってもらうことで、それなりに潤っていたが」
「ミシェル?」
「アイーシャの母だ。イルタールで命を落とした、と聞いている」
「あいつはまだ信じてない。父親もだ」
「その父、アイザックもすでに亡い」
カーターがなぜか視線を壁に逸らした。一息つくというよりかは、心の蓋をおずおずと開いているようだった。
「あまり話したくはないが、伝えるべきだろう。アイーシャの仲間なんだろうし」
「もったいぶるな」
「アルケイルで病が流行ったのは、ミシェルの亡霊のせいではないかと噂されている」
「亡霊? 死んだやつが悪さをしたと?」
「先月のことだ。真夜中にミシェルとよく似た女を見た奴がいる。それはスゥッと彼女の家に向かい、消えた。満月の蒼い光が照らす晩だった」
「それが悪さをしたって?」
「確証はない。ないのだが、夫であるアイザックは、それから間もなく病に倒れて死んだ。娘のアイーシャも、村に残っていたら同じ末路だったろう。そう皆が口を揃えている」
「こじつけだろ。母親が死んだのは何年前だと思ってる。因縁があるにしても、何で今なんだよ」
「ミシェルは偉大な錬金術師だった。それが彼女の死に、何倍もの意味を持たせてしまっている。『偉人は死してもなお凡夫を縛る』と言う。無力なオレたちは震えて暮らすしかないのさ」
オレはふと、集会所でのシーンを思い返していた。カーターが一旦は薬を拒んだ事は、少し不自然に思う。
「お前らが怯えてるのは分かった。だがまさかとは思うが、アイーシャまで疑ってんのか? なぁ、さすがに違うよな?」
「あの時に躊躇したのは認める。事実、錬金術師に対して薄気味悪さを感じている。自分だけじゃない、村の皆も同じで――」
「フザけんじゃねぇ!」
テーブルを割るつもりで叩いた。実際は木椀が卓上から転げ落ちただけだった。
「アイツがどんな気持ちだったか考えた事があるか! ギルドに全財産を差し出そうとしたり、無理を押してまで救援に駆けつけたんだぞ! それを無免許だの、薄気味悪いだの好き放題言いやがって、何様のつもりだ!」
「あぁ、いや、済まない。それはもっともだと思う」
「親を亡くしてんだよアイツは! それでも必死に生きて、チマチマ金を貯めて頑張ってるっつうのに、お前らと来たら……! そんなに自分が可愛いか!?」
青ざめるカーターが、ひどくつまらないモノに見えた。そうなると、この狭苦しい小屋も、室内を大きく占有するテーブルも、全てが不快に思えてくる。
「気が変わった。アイーシャを連れて出立する。お前らは勝手に滅びちまえ」
「待ってくれ!」
ドアを引いて開けた所、背後からカーターが止めた。その顔面に肘を打ち込みたくなり、ウズウズした。
「離せよ、鼻をへし折るぞ」
「いや、まったくもって君は正しい。我々は、病におかされ、立て続けに魔族にも襲われた挙げ句、エイレーネからも見捨てられた。少なからず自暴自棄というか、自分を見失っているんだ。君たちに不快な想いはさせない。だから、どうか、力を貸して欲しい! 頼む!」
すがるような目をしたカーターが、深々と頭をさげた。オレは聞えよがしに舌打ちを鳴らした。
「気遣う相手はオレじゃねぇ。アイーシャだ。あいつにほんの僅かでも冷たく扱ってみろ、次の瞬間には村を見捨てるからな。覚えておけ」
家を後にする時、ドアを締める音が強く鳴った。正面には見える集会場の脇では、エビルボアーが腰を降ろしていた。
腹ばいに座るエビルボアーの回りに、子供が数人たむろしていた。
「うわぁすごい。毛がフカフカだよ〜〜」
子供たちは、体毛に手が埋まっていくのが楽しいらしい。母親と思しき女たちは、不安なのか、手元を忙しなく動かしている。引き離すか、それとも見守るかの境目だった。
念の為、エビルボアーには釘を刺しておく。
「くれぐれも気をつけろ。子供たちに怪我させんなよ、揉めるからな」
「ポェッ」
悪くない返事。オレはデカブツの頭を雑に撫でてから、その場を立ち去った。
ちょうど集会場の入口に差し掛かった所で、アイーシャと出くわした。疲れ顔だが清々しさも滲んでいる。
とっさの一声が出せずにいると、向こうが先に口を開いた。
「ライル、お疲れ様〜〜、こっちはだいぶ上手くいったよ。今は様子見ってとこ」
「そうか。頑張ったな」
「そっちのお話はどうだった? 何か変なこと言われてない?」
「まぁ、その、あれだ。仲良くしようぜって話」もちろん亡霊の話などは伏せる。アイーシャも微笑むだけで追求はしなかった。
「ねぇ、良かったらアタシの家に行こうよ。せっかくだからさ」
「お前んちか……。今夜は久しぶりに、まともな家で眠れそうかな」
「父さんのベッドなら使って良いよ」
アイーシャは集会所を離れようとして、背後に声をかけた。「ボアちゃん行くよ」
すると、ゆるやかに立ち上がったのだが、背中に乗せた少年がバランスを崩した。コロリンと背骨伝いに転がり落ちた所、彼はケタケタ笑った。
「今のもう1回」とせがむのを、付近の母親が押し留めた。
「アタシんちはね、村の東側なんだ。そんな立派じゃないからガッカリしないでね」
「高名な錬金術師だったんだよな?」
「母さんは珍しい素材で散財してたんだよね。それにアタシの学費も捻出したし、割と生活は苦しかったかな〜〜」
集会所から東に向かい、家を3軒ほど通過したところに、アイーシャの家があった。しっくい壁や藁屋根に、多少の古めかしさはあったものの、良い方だろう。少なくとも、オレの生家(オンボロ)より10ランクは上だと思う。
「ボアちゃんは裏庭で待ってて。ライルは中へどうぞ、ホコリっぽいけど」
家の中は整然としていた。1階は台所にダイニングテーブル。パーテーションで区切った向こう側は、タンスや本棚、それとソファが並んでいた。
梯子を登ればロフトで、ベッドが2台並んでいた。方や2人が眠れるサイズで、その隣は1人用だった。
「さぁてと。ライルには今回も助けられてるし、晩御飯はがんばっちゃおうかな〜〜」
「頑張るって、錬金術だろ?」
「もちろん。満月が近いから魔力(アニマ)のノリも良いんだよね〜〜。ウッカリ絶品料理が出来ちゃうかも」
「まぁ、食えるなら何でも良い」
アイーシャは台所で錬金釜を置いた。そして、そこらの雑草や小石、木の皮、エイル湖から汲みたての冷水という、お察し食材で調合を始めた。
日が暮れるころに完成だ。渡されたのは熱々のポトフ。何でだよ。
「先に食べてて。アタシはボアちゃんにあげてくっから〜〜」
アイーシャが裏口から出ていった。夕闇に染まる部屋を魔法のランプが照らす。1人では広すぎる家だと思った。
仮に噂が正しいとしたら、母親の霊が寄り付く家。それを信じる要素は特にない。少なくとも今は、ごくありふれた民家でしかなかった。
まもなく裏手のドアが開いた。
「どうよライル。お味の方は……って全然手をつけてない!?」
「あぁ、ええと、お前を待ってたんだ。一緒に食おうぜ」
「何それ地味に嬉しい〜〜。そんじゃ食べましょうかね」
アイーシャがポトフにがっつくのを見てから、オレも食べ進める事にした。割と食える。ちゃんと美味かった。塩味が少し強い気もするが、酷使した身体は正直に喜んでいる。
この料理がもし、まともな食材だったなら。もっと美味いのかもしれない、少なくとも気分的には。
「ベッドは父さんのでよろしく。アタシは自分ので寝るから〜〜」
夜更けになると、アイーシャがベッドに寝転んで言った。そして間もなく、アイーシャは夢の世界へと旅立った。早すぎると思うが、当然かもしれない。
「さすがにオレも疲れた。ベッドで眠れるとか、贅沢だな……」
オレもすぐに眠りに落ちた。窓から差し込む月光が眩しかったが、それでも睡魔が勝った。
しばらくして、喉の渇きで目が覚めた。水を飲みたい感覚が強い。
「まだ夜か……」
オレは半開きの眼でハシゴを降りて、裏口から出た。するとその先は花畑で、白い花が咲き乱れていた。
エビルボアーは気遣ったのか、やや離れた所で寝転がっている。寝息は図体に似合わず大人しい。
「井戸、じゃなくて湖の水でも飲むかな」
その時だ。花畑に突然、音もなく1人の女が現れた。とっさにオレは身構えた。
「誰だ!?」
女は背中を見せたままで、振り向かない。
夜空には無数の星々と、蒼い満月。ただ静かに花畑を照らしていた。風にそよぐ純白の花、それと、生気を感じさせない後ろ姿を。
噂の亡霊か。そう思いつつも、オレは無言で立ち尽くしていた。その儚い姿を、ただボンヤリと見つめるばかりだった。