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第19話 母が遺したもの

 蒼く長い髪が、艷やかなシルクのローブの裾が風にそよぐ。女が肩口から時おり振り返る。微笑む目元は、アイーシャと似ていた。


「アンタがもしかして、ミシェルなのか?」


 そっと手を伸ばす。触れようとした肩は、すり抜けてしまい、ただ虚空を撫でてしまう。実在しない女、としか言いようがなかった。


「噂は本当だったのか。幽霊が出るだなんて……」


 カーターが言うには、亡霊が村に災いをもたらした。つまり悪霊だ。だが、眼前のミシェルからは凶々しいものは感じられない。たおやかに立ち尽くし、花畑を眺めるだけだ。


――見て、あなた。今年も綺麗に咲いたわ。


 どこからともなく声がした。消え入りそうなほどに小さく、そして風に乗ってきたかのような響きだ。


 すると、いつの間にか、ミシェルの隣に赤髪の男まで現れた。短いチュニックにズボン、引き締まった体つき。これは察しが付く。ミシェルの夫でアイザックだろう。


 2人は何をするでもなく、その場に寄り添った。そんな光景も、湖から吹き付ける夜風にかき乱されると、音もなく消えてしまった。


 あとには花畑と、エビルボアーの寝顔があるだけだ。


「アイーシャの両親が出てきたってことか……」


 母親の霊が現れたのだから、やはり、イルタールで命を落としたのは事実だ。アイーシャにどう伝えたもんか。


 オレは喉の渇きなどスッカリ忘れてしまい、そのままロフトへと戻ってしまった。ベッドに寝転ぶと、アイーシャの安らかな寝顔が見えて、胸がしめつけられる。


(なんて言えば良いんだよ……)


 この日の夜は、今までで1番長かったかもしれない。浅い眠りを繰り返し、いつしか辺りは白むようになる。


 ふと気づくと、アイーシャの姿は無かった。下からは鼻歌らしきものが聞こえてきた。


(あいつはもう起きたのか)


 とりあえず降りよう。身を起こそうとした時、それは聞こえた。


――あなた、アイーシャ、ご飯ができたわよ。一緒に食べましょう〜〜。


 まず理解不能。誰だ、今の声は。ロフトから覗き見ると、青髪の女が立っていた。昨晩見かけた幽霊と同じ姿をしている。


「おい、何でお前がここに……!?」


 慌てすぎたせいか、盛大につまづいた。ロフトを飛び出した身体はハシゴを越して、真っ逆さまに落ちていく。


 着地の瞬間、受け身をとって立ち上がった。その間にミシェルと衝突したのだが、やはり肌に触れるものはなかった。


「あっ、ライルおはよう〜〜」


「アイーシャ! えっと、この女は!?」


「ごめんごめん。教えてなかったね。そこの母さんは幻だから」


 アイーシャは卓上に置かれた箱を、軽く叩いた。それは木箱で、正面の側面にガラスが埋め込まれていた。


「メモリースコープっていう錬金アイテムだよ。記録した過去を、アニマストンの力で映し出す事ができるんだよ」


「よく分からんが……つまりは幽霊じゃないと?」


「違う違う。過去のワンシーンを呼び出してるだけだから」


 しばらくすると、ハシゴから2人が降りてくる。男と子供。先に降りるのはアイザックで、その上のチンマリした子供はアイーシャだろう。


 幼いアイーシャは降りる時にバランスを崩し、宙に放り出された。それを慌てて抱きとめたアイザックも、後ろめって倒れそうになる。そんな2人を、駆けつけたミシェルが踏ん張って止めた。


 そんな一幕が繰り広げられると、3人は同時に消えてしまった。


「懐かしいなぁ。こんな事もあったっけ……」


 目を細めるアイーシャが、皿をオレに渡した。チーズを挟んだパンに、スライスしたトマトや葉野菜が添えられている。恐らく錬金クッキング。食材が何かは聞けていない。


「すごい道具だな。過去を残せるなんて」


「正確には、そこに居た『人』だけ残せる感じかな。例えば今のシーンも、ハシゴを捨てちゃってたら、何も無い所を降りてくるように見える」


「何にしても、すげぇわ」


「でもねぇ、これ母さんが作ったやつだから、もう古いんだよね。勝手に動いたりするの。中を見たらパーツがちょっと悪くなっててさ、メンテしなきゃダメかも」


「勝手に動く?」


「ずっと窓辺に置いてたんだけどね。たまに裏庭の方を映してたっぽい」


「やっぱりか! 原因はそれかよ!?」


 昨晩の幽霊騒動も、この錬金アイテムが原因だった。ミシェルの声が妙に小さかったのも、建物を挟んだ向こう側から発したものだから、という事だ。


「クソッ、眠れぬ夜を返せ! お前に母親の亡霊をどう説明するか、グルグル考えたんだぞ!」


「あはは! ごめんねぇ〜〜。変に気を使わせちゃったかな」


「死んだ今もお前を見守ってるとか、会いに来てくれたとか、感動系にすれば言いやすいかなと考えたり……」


「眠れないほどに悩んだの? もしかしてライル、超絶美少女と噂されてそうなアタシに気があるとか〜〜?」


 対面から浴びせられるニヤケ面で心は荒波に。すかさず手を伸ばしてアイーシャの頬をつまむ。「やめてぇ〜〜伸びちゃうから〜〜」という悲鳴を聞き流しながら。


「ごちそうさまでした。さて何しようかな」


 食器皿をツボの水で洗いながらアイーシャが言う。濡れた皿を受け取ったオレは、素早く振り回して水気を払った。


「魔族どもの動きは?」


「まだ聞いてない。でも、騒ぎになってないから」


「襲撃や、その気配はないってことか」


「たぶんね。カーターおじさんに聞けば分かると思うよ」


 それからは別行動になった。オレは村で情報収集。アイーシャは自宅でアイテム作成で、エビルボアーは大人しくポエる。


 村には霧が薄っすらと立ち込めており、ただでさえ木が林立するので、見通しは悪かった。村の往来は人がまばらだ。だいたいは集会所での看護で、彼女たちの顔色は重たげだ。


「ライル殿!」


 集会所付近でカーターが声をかけてきた。怪我人の様子を見に来たという。


「アイーシャには頭があがらんよ。治りが早くてな、致命傷と思われたヤツでさえ一命を取り留めたよ」


「後で本人に言ってやれ」


「まったくだ。気の利いた菓子でも持っていく」


 集会所は開け放たれており、治療は今も続いていた。しかし悲壮感は薄れている。包帯を取り替えて薬を塗る。それを村人たちは繰り返していた。


 その中で、数名の姿に目が留まる。首や肩に真新しい包帯を充てがわれたヤツらは、ひどくボンヤリとしていた。何をされても反応をしめさず、されるがままだった。


「カーター、あれはどうしたんだ?」


 問いかけると、力なくかぶりを振った。


「魔力(アニマ)を食われちまった。寝起きは出来てるから、食われたのは半分だけだと思う。怪我は治っても、自我まで戻るのは何年かかることやら」


「アニマを食うって?」


「魔族が人間を襲うのは、精神エネルギーが目当てだ。斧だの弓だので殺しにかかってくるが、それは手段でしかない。首元にでも食らいついてアニマをすする、というのが連中の最もやりたい事さ」


「精神エネルギー、ねぇ」


「アニマを吸った魔族は、より強大になるらしい。人間を襲う理由はそれだと、デキン殿が教えてくれたよ」


「じゃあガセだな。やめやめ、この話は終わり」


「君はやたら父親に厳しいんだな?」


 怪我人の半数は起き上がれるようになっていた。しかし、まだ戦えるコンディションとはいえない。杖つきの男に、あの素早いキルリザードをけしかける訳にはいかないだろう。


「どうやって村を護るか、だな」


 村の中を歩いてみる。魔族の気配はまだない。それを知った村人たちは少しずつ外出するようになった。


 エビルボアーなどは子どもたちから人気で、散歩相手になり、かと思えば遊び相手になったりと忙しそうだ。


「まともな防衛施設はねぇな。郊外に柵があるくらいか。簡単に乗り越えられるな」


 次はどこから押し寄せてくるのか、見当もつかない。恐らくは西側の大森林だろうが、その保証はどこにもなかった。


「ねぇ何これ〜〜」


 子どもたちが言う。視線の先には、赤黒い球体が地面に転がっていた。あそこで確か、オレがキルリザードを倒したと思う。


「アタシ知ってるよ。これアニマだよ。槍のおじさんが言ってたもん」


「へぇ〜〜そうなんだ。もってかえる?」少年が駆け寄り、手で掬い上げようとする。しかし空を切るだけだった。


「さわれないよ。そのうち土に溶けてなくなるってさ」


「そのうちっていつ?」


「しらない。明日とかじゃないの」


 子どもたちがエビルボアーによじ登っては「アッチに行こう」と笑い合う。残されたのは、鮮血を思わせる球体だけだ。


「こんなモンのために争うなんてな」


 言葉にしたところで意味もない。村を巡回して分かったのは、魔族たちが息を潜めていること。それに、村の防備がひどく粗末なこと。見張り櫓があるのは良いが、外壁の1つもなく、郊外に柵が並ぶ程度だ。キルリザードにとって障壁にはならない。


「ただいま」


 アイーシャの家に戻ると、しかめ面が出迎えた。


「おかえんなさい……」


「どうした。腹でも痛いのか?」


 窓という窓が開け広げられているが、何となく臭う。朝との様子の違いが不可解だった。


「そうじゃなくて、母さんが使ってた錬金術式(アルケミックプラン)を見てんだけどさ――」


 その手には分厚い本があった。以前店で見かけた時、数千ディナの高値がついていたと思う。


 誌面には煉獄幕(れんごくまく)だとか、鉄面絶壁陣(てつめんぜっぺきじん)などという頼もしい言葉が踊る。そこに見たことのない単語が無数に、ビッチリと記されており、薄らと吐き気が込み上げてきた。


「アタシが試してんのはコレなんだけど」


「ええと、この錬成守護者(ゴーレム)ってやつか?」


「もうすんごい難しくって……。そもそも使う素材が、レアアイテムか高度な錬金アイテムだもん。背伸びしても成功しない気がするよ」


「なぁアイーシャ。錬金釜が震えてないか?」


「あぁ〜〜今回もダメかなぁ〜〜」


 釜はやがて音を立てて震えだす。物静かで温厚な人の逆鱗に触れたような、これから噴火するような気配が駆け巡る。


「おい大丈夫かコレ!?」 


「ごめ〜〜ん、息を止めといた方がいいかも」


 やがて釜が煙を吐き出した。普段の7色には似ても似つかない、ドス黒い煙だ。しかも臭う。腐敗したキノコを鼻に突っ込まれでもしたかのようで、涙が勝手に溢れてくる。


「臭ッ! 人生で1番くせぇぞ!」


 オレたちは裏手から外に駆け出した。今ばかりは見目麗しき花畑でさえ、何の慰めにもならなかった。


 アイーシャが壁にもたれかかりながら言う。


「やっぱりダメか……。超難度だもんなぁ」


「無茶すんなよ。素材には限りがあるんだろ?」


「でも、ここで頑張らなきゃ。ライルも知ってるでしょ。この村は、大勢で襲われたら守れないの。だから絶対に成功させなきゃ」


 アイーシャは拳を握りしめた。そして小さく呟くのだが、これは自分に言い聞かせるかのようだった。


「それに、自分の力を試したい。母さんのレベルまでに届いたのか、知りたくてたまらないんだ……」


 アイーシャは息を大きく吸い込み、頬を膨らませてから家の中へ戻っていった。


(すげぇ根性だな。そこまで親の背中が気になるもんかな)


 少しだけ羨ましい。オレの親父は、あんな風に明るい気持ちで追い求める相手ではなかった。ブチのめす。一泡吹かせる。そんな想いばかりだった気がする。


「それに、思い出を再現できたり、教本や素材を遺してくれてるなんて。至れり尽くせりかよ。オレの場合はとんでもない借金を――」


 そこではたと気づく。そうだ、借金。槍は壊せず、そして利息金の用意も出来てない。


「魔族の騒ぎで忘れてた、クソッ……!」


 月末まで残りはわずか。手持ちの金をアイーシャに尋ねた所、利息には届かず、800ディナがせいぜいだった。


「やばい、やばいぞコレ……。支払いに間に合うのか?」


 夜、眠れず。昨日とは全く違う理由で。


 どうするオレ。エイレーネに戻ってスキマの仕事? いやいや、日銭で30とか稼いだところで、とても1千に届く理由がない。そもそもアルケイルを放っておけない。


 隣のベッドでアイーシャがすやすやと眠りこけている。もはや妬ましい。その熟睡っぷり、そして借金どころか遺産があるという境遇に。


「あぁ、誰か助けてくれ。せめてヒント、ヒントだけでも……!」


 ベッドの中で1人祈る。するとどうだ。窓の向こうで、ほんの一瞬だけ閃光がまたたいた。西の空にきらめいた赤い光。


「もしかして、マギノー大森林で何か……?」


 気付いた瞬間には飛び起きていた。エリスグルを握りしめて西へ向かって一直線。


「何でも良いから出てきやがれ! 異様に強いやつ!」


 村の郊外に差し掛かった所で、また森の中から閃光が煌めいた。夜空を赤い光が貫く。するとエリスグルが微かに震えて、飾り石も淡く輝いた。


「なんだよ命乞いか? 壊されるのが怖くて震えてんのか? 待ったなしだよこの野郎!」


 不謹慎だが、強者を求めていた。とにかく槍を壊せるレベルのバケモノ急募。 



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