月明かりが蒼く照らす夜道から、大森林の中を覗き込んでいた。深い森にはおあつらえむきに松明の灯りが輝く。お陰で暗闇を這いずり回る手間が省けた。
「ローブ姿の奴が、何してんだ?」
目深に被ったフードが邪魔で、顔はアゴ先が見えるばかり。恐らく若い、事が分かっただけだ。
「旅人って事はねぇよな。騎士団が駐屯して、森がバカみてぇに燃やされてるんだし」
その時、風が吹き荒れて、木々の枝を揺らした。月光が断片的に差し込む。そうして照らされたのは、その人物の背中だ。濃紺を基調としたローブに、金刺繍で描かれた『違い羽根』の紋章。
(アルフィオナ教会……こんな所で何を!?)
その人物は懐から小瓶を取り出し、封を切った。そして中身をぶちまける。鮮血のような赤い液体は、自ずと地面を這いずり回ってゆく。その光景に、背筋をゾワリとした不快なものが駆け抜けてゆく。
その液体はいつしか幾何学模様を生み出した。円の形。細かな文字に図形。いつしか大森林で見かけた魔法陣を彷彿とさせた。
「何をしてる! そこを動くな!」
叫びながら飛び出した。するとローブの人物が弾かれたように振り向いた。顔は見えない。しかし、驚愕している事は間違いない。
槍を突きつけてやる。間合いに飛び込んで足を強く踏み込んだ。
しかし同時にローブの方が何かを呟いた。地の底から這い出たような声だった。
「何を言って……!?」
すると足元の魔法陣が光を放ち、地面が弾けた。赤い閃光が駆け巡ったかと思うとともに、肌を刺す殺気を覚えた。
魔法陣は地面がえぐれて半壊。代わりに1体のキルリガードが立ちふさがっていた。
「そうか……。テメェが呼び出したのか、違い羽根め!」
教会の奴はローブを翻して森の奥へ駆け去った。
キルリザードはそちらに一瞥もくれない。甲高く叫んでは高く跳ねて、木々の間を目まぐるしく跳んだ。
刺すような殺気、首元がざわつく。白刃が空を裂く音がする。
「ナメんな!」
突き上げたエリスグルが、キルリザードの身体を貫いた。それは間もなく霧化して、赤黒いアニマに変貌した。
「さっきの奴はどこだ!?」
耳を澄ます。虫の音すら聞こえない静寂だ。下生えを踏みつける音。北方面だ。
すかさず追いかける。キルリザードを真似て、枝を飛び回るようにして。これは楽だ、気に入った。
「見つけたぞ! そこのお前、止まれ!」
眼下で教会の奴が駆けている。もちろん止まる素振りもみせない。
オレは枝を手放し、地面に急降下。それはちょうど、相手の真ん前だった。
「聞こえないのか? オレは止まれと言ったんだ」
槍の穂先をローブに突きつけた。さすがに相手は足を止めた。
「お前、さっきの魔法陣で魔族を呼び出したな?」
返事はない。ただ冷たい膠着があるだけだ。オレは構わず続けた。
「どうせならもっと強いやつを出せ。出来ればパワータイプで、それこそもう、城とかぶっ壊せそうな奴だ」
またもや返事はない。しかし相手は動揺したのか、首元が僅かに揺れた。もしかするとオレは、尋問が得意じゃないかも知れない。
「まぁ良い。続きは村で聞く。痛い目をみたくなきゃ付いてこい」
そこでローブの人物が飛び退り、指笛を吹いた。すると間もなく、おなじみとなった奇声が聞こえだし、木々も揺れた。
森の奥から現れたのはキルリザードたちだった。
「そんな事も出来るのか。だとすると、デモノイドウェーブはお前が原因か?」
木々伝いに現れたのは3体。1体が斧を振り下ろしてくる。柄で受け止めては、位置をずらす。相手を倒したところで槍を突き立てた。
残る2体は射手だ。闇に潜んでは素早く矢を射掛けてくる。
「チッ。こんだけ暗いのに、随分と精密だな!」
矢を払い落としていると、例の人物が逃げようとするのが見えた。
「待て!」
オレが叫ぶと、返事代わりに矢が迫りくる音が響いた。
その矢は肩を貫いた。ただし、食らったのはオレのではなく、ローブのヤツだ。
「痛い目に遭わせると言ったろ」
「あ、うぁぁ……」
「毒矢の味はどうだ? お前が呼び出した魔族だ、存分に味わえよ」
それからも何かを呻いたようだが、結局は意識を手放し、力なく倒れた。
「まぁよし。これでお前らの方に集中できるよなぁ!」
意識を集中させた。瞳は虚空を見つめ、闇と一体化する気持ちで。
やがて微かに光った。2つ。矢じりが月光に触れたのだ。
「そこだ!」
足元の石を光に目掛けて投げつけた。2体が枝から地面に落下した。一息で飛んで槍で討つ。
「よし、そろそろズラかるか。謎の男も捕まえたしな」
担いで帰ろう。そう思ってローブに手を伸ばした時、ふと気づく。中の肌着が顕になるとともに、胸元が大きく膨らんでいた。それは重たそうに、しかし柔らかげに揺れた。
オレは思わず首元をかいた。
「まぁ、別に男かどうかは関係ねぇしな」
その女はタルを担ぐ要領で持ち帰った。
夜中だというのに、アルケイルはちょっとした騒ぎだ。集会所の一画はランプの灯りで眩しくなった。怪我の軽い者は、わざわざ起き上がってまで様子を眺めた。
アルフィオナ教会の女はフードを外すと、容姿はありふれたものだった。まだ若く、金色の長い髪を革紐で後ろ縛りにしていた。髪飾りの類は一切ない。
「ほんとにこの人が魔族を呼び出したの?」
アイーシャは傷口を解毒薬で濡らしながら言った。
「こいつのせいで、何人も大怪我を……! それどころか、危うく全滅しかけたぞ」
カーターが口元をわななかせながら言う。下手に刺激すると、斧で頭をかち割りかねない雰囲気だ。他にも集まった大人たちも、怨嗟の目で睨みつけていた。
しかし、これほどの憎悪を前にしても、ローブの女は平然としていた。後ろ手に縛られていることも、さほど気にしていないようだ。
「殺したければ殺せ。私の信仰心を甘く見るな」
挑発するだけの活力も取り戻していた。先程とは打って変わって、やたら饒舌だった。
「私が憎いか、ならば殺せ。どうせこの村も間もなく滅びるのだ。遠からず道連れだ」
カーターが床を踏みつけながら前に出た。
「あぁそうか! だったら今のうちに殺してやろうか!」
振り上げられた斧を、横から手を伸ばして柄を掴んだ。刃は首元の手前で止まる。オレがさしたる力を加えずとも、それは宙に留まった。
本気では無いことが分かり、少しだけ安堵する。
「よせよカーター。殺して何になる」
女の方も肝が座っていた。顔色を変えず平然とした面持ちだ。あと僅かに振り抜いていたら、首が胴から離れていたのに。
「ライル殿、止めないでくれ。こいつのせいで、仲間を何人も廃人にされたんだ。このままじゃ気が済まない!」
「情報を吐かせろ。この女は、デモノイド・ウェーブだけでなく、事情を知ってるはずだ」
「そうだな。その通りだと思う」
カーターが顔を暗く歪めた。それはどこか、凶々しさを漂わせる。
「身体に聞いてやろう。その信仰心とやらがどの程度のものか、オレたちで試してやる」
すると、他の男たちも同調した。どれもこれも、薄汚い笑みを浮かべていた。
「お、おい。お前ら。あまり酷い扱いは――」
オレの言葉は届かなかった。
「言わんとしてる事は分かる。だがオレたちも危険な目に遭わされたんだ。ここは目をつぶってくれないか。まだ夜中だし、一旦寝に帰ったら良い」
それ以上は何も言えなかった。カーターは「必ず情報は聞き出す」と呟いたので、信じる事にした。彼らが少なからず理性を保っていることに。
アイーシャとともに帰宅。お互い、口数は少ないままに眠る。明日は早く起きて様子を見に行こうとだけ約束して。
そして夜が明けた。アイーシャとともに起き、短い朝食の後に集会所へと向かった。
「あの女の人、どうなったかな……」
アイーシャが、不安か同情か、どちらともつかない声色で言った。
そして集会所へ辿り着いたのだが、異様な光景が出迎えた。
「お、おいカーター! しっかりしろ!」
床につっぷすカーターは、苦悶の表情で右手を抱えていた。他の男たちも、腕が痛いと騒ぐ。酷いものは仰向けになって気絶していた。
「まさか返り討ちにあったのか!?」
逃げられたかもしれない。とっさに視線を巡らせた。
すると部屋の隅に、後ろ手に縛られたローブ姿の女。昨夜と全く同じように見えた。違いがあるとすれば、靴を脱いで素足になり、袖もまくられて白い腕が晒されていた。
少なくとも、出血や着衣の乱れはない。
「ふふん、どうした。その程度で音を上げるとは、根性なしめ!」
女が村人たちに罵声を浴びせた。しかし返せるのはうめき声だけ。さすがのカーターも言い返すだけの活力を失っていた。
いや、何があったんだよ。マジで。
「すまない、ライル殿。全力で責め抜いたのだが、全く通用しなかった……くぅっ!」
「うん、そっか。何をしたんだ?」
「徹底的に足裏をくすぐった。脇の下も、にの腕も! しかしどんなに責めても、女は口を割らなかった。おかげでもう、指が限界を……!」
「あぁ、うん。そっすか」
脱力するオレとは違い、アイーシャは戦慄を覚えていた。
「そんな、なんて信仰心なの……」
「信仰心で片付けて良いのか、それ?」
「だっておじさんのくすぐり技はすごいんだよ? アタシがちっちゃいころにイタズラした時、お仕置きされた事があるんだけど。あれは凄かったよ。今でも足の裏に感覚が残ってるもの」
「うん、もういいや」
プロセスはともかく、情報を一欠片も吐かせていないのは問題だった。しかし、女はまだ余裕を見せている。聞き出すのは難しいだろう。
「カーター。この女はオレに任せてくれ。いいよな?」
「君に委ねる、頼んだぞ」
許可が降りたことでバトンタッチ。女の身体を担ぎ上げては、アイーシャの家に戻った。
「ねぇライル。何を考えてるの? アタシは拷問とか、そういうの好きじゃないんだけど」
「別にお前は特別な事しなくていい。予定をそのままこなしてくれ」
「そうなの? それは良いけど……」
アイーシャの家に着くなり、女をダイニングの椅子に縛り付けた。これで身動きは取れないはずだ。
「ふん。何を企んでるか知らんが、ムダなことだ。私は殺されても口を割らない。たったの一言さえも教えるもんか」
「その威勢がいつまで続くかな?」
アイーシャは不安気だが、オレは重ねて言った。予定通り動けと。
すると釜を用意して、錬金術を開始。ゴーレムの生成は極めて高難易度だと言う。もちろん、黒煙を吐き散らしての失敗だ。
オレたちはすかさず外へ逃げた。だが例の女は、煙のたちこめる部屋の中だ。激しく咳き込む声が聞こえてくる。
「よしよし良い感じだ。強情な女も、この死にたくなる臭いにいつまで堪えられるかな?」
「やめてくんない!? 人の失敗を拷問代わりにすんの、屈辱なんだけど!」
それからも拷問、もとい調合は続けられた。ボン、ゲッホゲホ。ボゥン、ゲーーホゲホ。
そんなループを5回も繰り返しただろうか。女は椅子に縛られたまま、顔を涙で濡らしていた。
「お願い、もうやめて! 全部喋るから、知ってる事は何だって!」
「見ろよアイーシャ。お前のお陰で口を割ってくれるぞ」オレは褒めたつもりだが、真っ直ぐ伝わらなかった。アイーシャがオレの背中をポカポカ殴りだした。
不興を買った事はアレだが、それを補って余りある情報は得られた。女はルカと名乗った。
「私は察しの通り、アルソフィア教会のものだ。マギノリア教区の助祭なんだ」
「助祭ってのは、司祭の補佐みたいな奴か。そのお前が大森林まで来て何を?」
「魔法陣により魔族を錬成した。デモノイド・ウエーブだとか、災厄のように皆は言うが、違う。これは人為的に生み出されたものだ」
ルカの言葉は、にわかに信じがたいものだった。それでも、彼女の瞳には嘘偽りの色は感じられなかった。