助けろというアイーシャのそばで、錬金釜が踊っている。今度は走らないまでも、タップダンスを披露するかのごとく、尻を小刻みに浮かせていた。
「おい、何とかなるんじゃなかったのか!?」
「これでもマシな方なの、つうか押さえて! 濃度がバラけちゃうから!」
「押さえろって、コイツかなり強い……!」
二人がかりで抑え込んだ。振動する釜は、ヒート・アップするように振動を早めていく。そして、釜を満たす調合液がキラメキ出し、ボンと弾けた。
煙は七色の光を帯びていた。久しぶりの成功だった。
「やったか!?」
「成功した――と思うけど」
煙の中に人影が見える。どうやら、釜からゆっくりと立ち上がる最中のようだ。
視界が晴れるに従い見えるのは、湖面のように蒼く長い髪と、さらに色濃い瞳。白魚のような肌。女らしい凹凸があり、衣服は着ていないが、全体的にのっぺりしている。
ボンヤリと立ち尽くすオレたちに、それは言葉を発した。落ち着き払った声だった。
「我が名はゴーレム。呪法を介した契約に基づき、貴方がたの守護を担いましょう」
オレはゴーレムの身体をまじまじと見た。細い手足はいかにも貧相で、頼りない。
「大丈夫かよコイツ。本当に役に立つの――ごブゥっ!?」遠慮ゼロの体当たりがオレの脇腹に突き刺さる。アイーシャだ。
「何してんのライル! ダメでしょ、女性の裸をジロジロ見て!」
「いてて……。人形みてぇなモンだろうが。実際、恥ずかしがってねぇし」
オレの言葉にゴーレムが反応した。瞳は湖面のように穏やかだが、無機質でもあった。
「ご安心ください、私に羞恥心を感じる機能はありません。よって誰かしらが、合成人間に倒錯的な劣情を抱いたとて、一切の嫌悪感なしに受け止める事が可能です。そこに羽虫を眺めるが如く哀れみや、侮蔑の念などありません」
「絶妙に口が悪いなコイツ!?」
アイーシャが裸ん坊に服を着せてやった。母親の古着がちょうどよく、半袖チュニックとズボンという装いになった。長い後ろ髪は後頭部に高く結んだ。
「んで、どうなんだよコイツは。ちゃんと戦えんのか?」
「忠実無比で勇猛果敢。問題はアニマストーンの燃費だけって書いてあったよ」
「勇猛でも弱かったら意味ねぇんだが」
その時だ。辺りに半鐘が鳴り響く。けたたましく打ち鳴らされたそれは、危急を知らせるものだった。
外に飛び出すとカーターが叫んだ。「ライル殿! こっちへ来てくれ!」
彼は見張り台に立っていたので、オレもハシゴを登り、そこに並んだ。眼下にはエイル湖と、遠くまで広がるマギノー大森林が見えた。
その森は今、新たに炎が立ち昇っていた。
「魔族の追い込みが始まったのか?」問いかけにカーターは唸った。
「これまで何度か矢が射掛けられていた。魔族が動かなかったので、業を煮やしたのだろう。放火すれば効果的だが、鎮火にしくじると大惨事だ」
火の手から逃れるようにして、数体のキルリザードが飛び出してきた。だが、その背後には全くの別個体まで続いた。
異質な魔族は2体。キルリザードよりも顔は大きく、骨格も太い。斧や弓といった武器は無いが、両手の爪が長く、武器として十分に扱えそうである。
見るべきは身体のサイズだ。キルリザードの2倍は大きく、さながら大木が歩行するかのようだ。実際、大森林の木々が蹴倒されてしまった。
「リザードロードだ……!」カーターが声を震わせては、続けた。「あんなものまで相手にしなきゃならんのか!」
「でかいな。ほとんどドラゴンだろ」
「オレもそう思う。炎を吐かないだけ、本物よりはマシだが」
魔族たちは森から出るなり、一直線に騎士団へと襲いかかった。騎士団は弓を射掛けて応戦するが、リザードロードの硬い外皮には通用しない。
剣を抜いて衝突。突撃の声は悲壮感に満ちていた。
「始まったな。だが、長くは続かない」
カーターの予言は的中した。騎士団の最後尾から、騎馬隊の一団が遠ざかっていく。エイレーネに向かったのは、恐らく団長と側近だろう。
まもなく騎士団は蹴散らされた。いや、蹂躙されたというべきか。リザードロードに手傷を負わせる事もなく、そして、爪や牙で銀鎧は紙細工のように切り裂かれていた。
「見ろよカーター。後衛の騎士は踏ん張るどころか、前衛を見捨てて逃げ出したぞ。骨のない奴らだ」
「無茶言うな。あんなもの、エイレーネ軍だけじゃ太刀打ちできない。オレだってアルケイルの出じゃなけりゃ、尻尾巻いて逃げたいくらいだ」
カーターの引きつり笑いが、敵の強さを物語っていた。より顕著なのは、付近の村を守る連中だった。
ベテルやレイクウッドに展開する冒険者たちは、目に見えて動揺した。群れから数名が逃げ出すと、雪崩を打って逃走を開始。ロクなまとまりもないままに、エイル湖をたどって東の方へ遁走した。
「誰もいなくなったな。オレたちはどうすんだよカーター?」
「今まで通り、村の守りを固めるしかあるまい。それがベストだ。ここから逃げようにも、怪我人連れでは追いつかれる」
「だったら集会所を砦に守ったほうが、いくらかマシかもな」
視線の先、魔族たちは移動せずにその場で釘付けになった。大小の魔族いずれも、倒れ伏した男たちに群がっている。食っているんだろう。部隊の半数は逃げ遅れて、牙の餌食になっていた。
さらに強くなるかもな。オレは無感動に成り行きを眺めていた。
「おい。ありゃなんだ?」
オレはレイクウッドの方を指さした。そこで黒い煙がモウモウと上がっているのだが、規則的だった。燃えるがままにあがったものじゃない。
「狼煙だな……。あいつら、この期に及んで助けて欲しいと言ってやがる」
カーターが奥歯をきつく噛んだ。
「オレらはあっさり見捨てたくせに。どの口がほざく! 魔族に食われちまえば良い!」
ベテルからも狼煙があがった。こちらは魔族の脅威だけでなく、近くで森が火災を起こしている。そのいずれかで滅びる瀬戸際だった。
「カーター。村の防衛は任せた。皆がパニックをおこさないよう頼むぞ」
「待ってくれライル殿」
「オレはあの魔族どもと戦ってくる」
オレは制止の声を無視してハシゴを降りた。あのドラゴンにも似たバケモノは最高だ。鎧をあんな簡単に切り裂けるなら、さすがの聖槍だってひとたまりもない。
やろう、今すぐに。勇み足で駆け出そうとしたところで、行く手を遮られた。アイーシャが、エビルボアーやゴーレムを従えて待ち構えていた。
「行くんでしょ、ライル。アタシたちも連れてって」
「何いってんだお前。死にに行くようなもんだぞ」
「ライルが死んじゃったら、この村も守れないよ。これでもアタシはレベルアップしてるし? 結構やれるようになってきたし?」
「声が震えてんぞ」
「うるさい! いいの! 戦えなくても、火を消したりできるでしょうよ!」
それは正論かもしれない。オレが敵を押し留める間、アイーシャたちに鎮火を任せる。リザードロードさえぶつからなければ、何とかなるだろう。エビルボアーもアイーシャの援護があれば戦力になりうる。
ゴーレムの能力は知らん。たぶん弱い。
「断ってもついて来るんだろ。好きにしろ。そのかわり、危なくなったらデカブツに乗って逃げろよ」
「大丈夫だよ。ライルがいれば安心だから」
「ベテルに向かう」
オレたちは村を西側から出て街道を進んだ。森を焦がす炎はジワジワと村に近づいている。郊外の雑草が端から燃えてゆく。
その光景を目にした時、すでに侵略は始まっていた。騎士団を粉砕した魔族は、今度は村人たちに襲いかかっている。
「素早いキルリザードどもが先に侵攻、3体か。リザードロードはまだ遠いな」
少年が1人、こちらに逃げてくる。背後には斧を振りかぶる魔族が。
飛ぶ。間に割って入り、槍で受けて敵の腹を蹴り飛ばす。
「早く逃げろ!」そう叫びつつ、キルリザードの首を槍で貫いた。
「アイーシャ、お前らはこのまま火消しだ! 危険を感じたらアルケイルまで逃げろ!」
エビルボアーにまたがったアイーシャが西の方へ駆けて行き、森の中に入った。
しかしゴーレムは、なぜかオレの傍らに残った。
「どうした。お前もアッチの班だぞ」
「いえ、計算するに、この集落の安全確保を優先すべきです。そうなれば村人を消火活動に駆り立てる事が可能となります」
「理屈としちゃ正しいがよ……」
ゴーレムは理知的な口調とは裏腹に、茫洋な瞳を周囲に向けていた。まるで田舎村を観光するかのようだった。
「やっぱりダメか、こいつは役に立ちそうにない……」
ゴーレムは何かを呟いている。距離10024k、方位294と、耳慣れない数字の羅列。
最後に『解』と呟くと、目まぐるしく跳んだ。家の壁を蹴ること3度、スピードを殺さず遠くまで駆け飛ぶ。そして屋根の上で矢をつがえる1体を踵落として破壊。
落下しながら石像を蹴り飛ばして方向転換。地を滑るように進む。新手のキルリザードの足を絡め取って倒し、その顔を踏み潰した。
ゴーレムがこちらに戻るころ。2体の魔族はどちらも赤黒いアニマに変貌した。
「先遣隊を殲滅しました。残すは本隊のみです」
「お、おう?」
思いの外、ゴーレムはやれそうだった。
「こちらから出向いて迎撃するのが良いかと。リザードロードに手間取ると、集落に潜む村人たちが焼け死ぬ事でしょう。あるいは蜘蛛の子を散らすように無様な逃避を断続的に繰り返し、魔族に食われる事態になります」
絶妙な口の悪さは健在だった。
「とにかく迎撃に出るぞ、お前も来るんだよな?」
「はい。一致して戦うことで勝率が高まります。なお、最も勝算が見込める策は、村人を囮としてけしかけて、敵の隙を突くという――」
「さっさと行くぞ! 来い!」
オレたちは、村を南から突っ切った。無人だが人の気配はある。皆が皆、屋内で息を潜めているようだった。
やがて北端から郊外へ向かおうとしたところ、行く手に巨体が現れた。2体のリザードロード。その威風を前にして、敵の顔を見上げながら身構えた。
熱風が肌をうつ。炎もまた、ベテルの街に迫ろうとしていた。