アルケイルからエイル湖にかけて、無数の松明が並んだ。その内側で、夜更けだと言うのに、大勢が集まり酒を酌み交わした。酒は1人2杯、焼いた肉がひとつまみという質素なものだが、誰もが曇りなき笑顔だった。
どこの村から持ち出した酒樽の栓を抜いて、麦酒(エール)で満たしたものを配っていく。そして行き渡った所で、カーターが音頭を取った。
「偉大なる錬金術師ミシェルが娘アイーシャと、槍聖人ライルに乾杯ーーッ!」
木椀を掲げて皆が叫ぶ。
オレはというと、慣れないシチュエーションに身の置きどころがなく、ちびちびと酒を舐めては湖面を見ていた。青い月が水面で優しく揺れていた。
「まったく、人間というものは都合が良いですね。危機には見捨てて、救われれば媚びる。高潔のこの字も知らぬよう」
オレの隣でゴーレムがピシャリ。ちなみに、左腕はゆったりローブで故障を隠し、煙も吹き出てはいない。
酒食は味わえない、ということでアニマストーンに変えられた。エビルボアーがリザードロードのアニマを食った事で、石については困らない。ゴーレムも、腹の引き出しをぱかっと開いては、小石の一つまみを放り込んだ。
反対側は空席で、乾杯直後にアイーシャは外していた。その隙間に、中年のむさ苦しい男たちが次々とやって来た。ベテルやレイクウッドの村長だった。
「いやはや、槍遣いのライル様! この度はまことに、感謝の言葉もございません!」
「お、おうよ」
「今後はアナタ様に足を向けて寝られません。まさか槍がここまで強いだなんてもう、驚天動地とも言える新事実ですな!」
ここぞとばかり褒められて、オレは曖昧に笑った。彼らの村は流れで助けただけなので、こうも持ち上げられると面映ゆくなる。
すると赤ら顔のカーターが横から絡んできた。
「ずいぶんと調子が良いもんだ。見捨てられる側の気持ちが少しは理解できたか?」
「まったくもってその通りだ、返す言葉もない」 得意になるカーターを背後から刺したのはオレだ。
「おい、ずいぶんと饒舌だな。アンタもやらかしてんだ。程々にしておけよ」
「え、いや、オレは何を……」
「アイーシャだよ。錬金術が怪しいとか、母親の霊がどうのと騒いでたろ」
「その事か、嘘ではないぞ。確かにミシェルの姿を見たんだ。1人や2人ではない」
「その種明かしをしてやる。余興がてらに」
すると、アイーシャが松明の外から言った。「ちょっとこっちを見てよ!」両手でメモリースコープを抱えている。その背面をまさぐって起動。
そうして現れた光景に全員が腰を抜かした。中には木椀を放り投げてしまい、頭から酒を被る者までいた。
「み、ミシェル様だ!」
月明かりも手伝って、青白い女が彼らの前に立った。過去を映したものなので、村人たちの言葉に彼女が反応する事はない。
しかし、その幻は絶妙に動いた。前かがみになりつつ、眼尻をきつくして、ピシャリと叱った。
「コラ! 怪我人はさっさと寝る! カーター達もいちいち酒に誘わない!」
その場に居合わせた村人たちは大慌てだ。皿も椀もテーブルに放り投げて、一目散に逃げていく。口々に「すいませんでした!」とわめきつつ。
残されたのはオレたちくらいだ。アイーシャは、息が詰まるほどに笑っている。
「あっはっは! ヤバ! 母さんのお叱りは今も健在とか!」
「おい、話が違うぞ。幽霊の誤解を解くんじゃなかったのか? あの様子だと火に油だろうが」
「そうだよね〜〜。でもなんかこう、イタズラ心がモキモキと」
「お前なぁ……。どっかで説明しとけよな」
祭りの後は、寂しさよりも混沌が勝っていた。飲み食いがおおよそ終わった後だが、容器がそこかしこに散らかっている。
片付けよう、という気分にはなれなかった。全ては明日に回したら良い。そう思って席を立つと、不意に闇が動いた。
「誰か残っているのか?」
目を凝らすと、それは見上げるほどの長身だ。そいつは椀を片手に言った。
「どうもどうも〜〜。月夜の晩にこんばんわ、調子はどうです?」
「てめぇかよ、フィン」
「そろそろお役目の時なのでねぇ。お目障りかと思いますが、まぁご容赦を」
フィンは狐の仮面を少しずらして、酒を呷った。タダ酒をもらったくせに「うん、イマイチ!」などとケチをつけた。
「せっかく来てもらったが、金ならないぞ」
「ふむ。その割には随分と堂々としてますねぇ。利息金を払えなかった時の事、お忘れですか?」
「別に忘れてねぇよ。だがな」
オレはエリスグルを手に取り、フィンに向けた。
「納得いかねぇよ。親父の不手際で莫大な借金を背負うだなんてな」
「お気持ちは察しますが、その態度はいただけませんねぇ。躾が足りていませんよ〜〜」
「オレは別に遊び呆けてたわけじゃない。エイレーネで日銭を稼いで、それからデモノイドウェーブも跳ね除けた。それで多くの命が救われた」
「はい、存じておりますよ。殊勝なことです。がしかし――」
フィンがおおげさにかぶりを振った。
「私には無関係です、はい。金は1ディナさえ負けるつもりはありませんよ〜〜」
「そうかよ。それならそれで良い」オレは槍を低く構えた。「だったらもう、こうするしか無いよな」
「おやぁ? 強硬手段ですか? それだと大変だ。プリズン暮らし編の前に、半死半生の療養編が始まる事でしょうに〜〜」
「もともとお前が気に食わなかった。いきなり現れて、借金だの違い羽根だの、ゴチャゴチャ抜かしやがる」
構えながら聖槍に闘気を送り込んだ。エリスグルは光ることも震えることもなかった。
フィンも、両手をダラリと下げたままだ。その余裕綽々の態度も気に食わない。
(マジで目にもの見せてやろうか……!)
オレが駆け出そうとする寸前、眼の前に陰が割って入った。アイーシャだ。大きく膨らんだ革袋を差し出している。
「あの、フィンさん。ちょっとだけ足りないんですが、全財産です!」
「ふむふむ。いかほどで?」
「800と20くらい……」
「はい、ダメで〜〜す。あと180をかき集めて貰わないと〜〜」
「ええと、どうしよ! 急に言われても」
「そうだ、こうしましょ。村人に金を出してもらうんですよ〜〜。アナタたちは英雄ですから、頼めばちょっとくらい出すでしょ〜〜?」
「わかりました! みんなにお願いしてみます!」
駆け去ろうとするアイーシャの肩をつかみ、押し留めた。そしてゴーレムに目線で合図した。「こいつを守れ」と。
「そんな事する必要はないぞ、アイーシャ。こいつはブチのめしてやる」
「でも、ライル。フィンさんには一応、真っ当な理由があるんじゃない? 胡散臭いけど」
「そうだ。胡散臭いなりにも正当性はあった。それなりに筋を通してきた」
「ンッフッフ〜〜。ボロカスに罵られて、可哀想な私」
「だが今のを聞いたか? デモノイドウェーブを知ったうえで、さらに村人から金をむしれと指図する。あらかたの金を、騎士団だのに貢いだ後だと知りつつ!」
フィンを改めて睨む。ヤツは「それがどうした」とばかりに肩をすくめた。
「ムカつくよな、お前みたいな奴。人の心を平然と踏みつけるような奴は!」
「だから私を殺すと?」
「オレは別に良心の呵責を感じてねぇが」
さらにエリスグルに闘気を送り込んだ。しかしなおもフィンは構えようとしない。
「ンン〜〜やめませんか、この茶番。どんなに虚勢をはっても殺意が無ければ殺せませんよ?」
「……チッ。見抜かれたか」
オレは構えを解くとともに頭の後ろを掻いた。
「さすがに殺す気なんてなかった。でも気に食わねぇのは本当だ。胡散臭いし、ムカつく」
「ンッフッフ。和解したのに、この言われよう」
「さぁどうする気だ。金は足りねぇ。村人から借りる気もねぇ。プリズン送りだろうが、スンナリ言うことを聞くつもりはねぇぞ」
「ええ、それなんですがね〜〜1つ確認したいです。そこのお嬢さん、かの高名なるミシェル名人の娘さんなので?」
急に話題を振られたアイーシャは、声を出せず、代わりに頷いた。
「だったらお金はあるでしょうよ〜〜。大金とまでは言いませんが、1千くらいなら用意出来るんじゃないですか?」
「でも、ウチは色々あって。学費とか。母さんも結構浪費家で、高い素材を買い漁ってたし」
「とりあえずお宅に伺いましょ。こちらですかね〜〜?」
フィンが不躾にドアを開くので、慌ててオレたちも続いた。
「ンン〜〜。お金ちゃんの臭いがしますねぇ、香しや〜〜」
「黙れよ金の亡者」
「こっちからですね〜〜、あの箱なんか怪しい」
フィンが道具入れを指さした。しかし、アイーシャが言うには、金なんて無いという。実際、開いてみれば、焦げた木の根っこやら金属タイルなど、見慣れないものが出てくるだけだ。
全てミシェルが遺した錬金素材らしい。高価なものもあるにはあるのだが、それを売買するには、錬金術師の免許が必要だった。
「ほら見ろ。何が金の臭いだ。その鼻、腐ってんじゃね?」
「その箱を隅から隅まで調べました〜〜? たとえばホラ、二重底になってるとか」
アイーシャが箱をまさぐると、何かに気付いた。
どうやら僅かに隙間があり、下面がスライドすると言う。そうして現れた第二の底には、小袋と、手紙が添えられていた。
そこにはこう書かれている。
――アイーシャへ。もしもの時の為にこれを遺しておきます。無駄遣いしちゃダメよ、特にお菓子とか。 ミシェル
読み終えるなり、手紙を震える手で抱きしめた。しかし、その横からフィンが小袋を奪う。了承を得ずに中を開いた。
そこには、見るもまばゆい金貨があった。
「ホラ〜〜御覧なさい。やっぱりあったでしょう? 金貨1枚で1千ディナ。利息金としてこちらはいただきますね〜〜」
オレはすかさずエリスグルを振り下ろした。
「返せよこの野郎!」
「おっと、危ない」
フィンが皮一枚でかわした。続けて刃で突く。突く。急所を避けもせずに突きまくる。
しかしそれらは掠りもしない。フィンは金貨を握りしめたまま、コウモリの変身を織り交ぜてまで、全てをかわしきった。
「いやぁ怖い怖い。私でなければ死んでましたよ〜〜?」
「うるせぇよ! その汚い手を放せ! こいつの親がどんな気持ちで遺したか、少しは考えろ!」
「おやおや、アナタが親の気持ちを代弁するだなんて、ずいぶんと成長しましたねぇ」
「親父みてぇなクズとは別もんだからだ。つうか金貨をアイーシャに返せ!」
すると、オレの腕にアイーシャが手を添えた。
「ありがとうライル。もういいから」
「何がだよ。あれは母親がお前のためにって!」
「だから、ここで使わせてもらうの。母さんの心は、こっちかなって思うから」
アイーシャが手紙を大事そうに抱えながら言う。当人がこの態度では、オレも振り上げた拳を降ろすしかない。
「チッ。そういう事だ。とっとと消えろ、金の亡者」
「ありがとうございます〜〜、では利息金は回収ということで」
「もう何も言うな。出て失せろ」
「そうですか〜〜。では最後にひとつだけ。違い羽根の連中にはお気をつけくださいね。かの者たちは、アナタの事を微塵も諦めてませんので〜〜」
フィンはコウモリに変化してから、さらに言った。「アナタに死なれたら貸し倒れになっちやわいますから〜〜」と。
「クソッ! とにかくムカつく野郎だ!」
「あはは。色々あったけどさ、どうにか丸く収まったよね。スキマ仕事が随分前に感じるよ」
「すまないなアイーシャ。せっかくの金を」
「だから良いってば。ライルには、言葉に出来ないくらい助けられてるもん。お金で解決できるなら安いと思うよ」
すると、アイーシャの顔が赤みを帯びていった。どうしたのかと思って覗き込むと、弾かれたようにすっ飛んでいった。「お片付けしてくる!」と叫んで、裏口から出ていった。
「どうしたんだ、アイツ……」
呟くとゴーレムが答えた。
「顔が赤くなるのは、アルコール反応の一種です。すなわち酒を飲んだがゆえの事だと断言できます」
「今になって急に? まさか」
そうして家の中で待っていたのだが、アイーシャは一向に戻らない。ゴーレムの言う通り、今さら酒が回ってきたのだろうか。
そう思うなり、様子を見に行った。
「アイーシャ、大丈夫か?」
「あぁ、うん。ごめんね。ちょっと目が離せなくて」
メモリースコープの傍らで立ち尽くすアイーシャは、裏庭の方を見ていた。
「ここに戻ったら、急に動き出してさ……」
花畑には2人の幻が現れていた。ミシェルと、アイザックだ。それらもやはり、月明かりが蒼く照らしていた。