私がこの世界に来てから一ヶ月ほどが経った。
魔法の修行という名の家事を難なくこなせた私は、今日から魔法の詠唱を教えて貰う事になっている。
通常の修行だったら最低でも半年は家事をさせられていたそうだけれど、私の場合は元いた世界で何年も家事をしていたのが幸いしたようだ。
……世の中、何が役に立つのか分からないなぁ、とつくづく思う。
ちなみに私の魔力量は一般的な量より多かったらしく、高レベルの魔法も覚えられるだろう、という事だった。
どうやら言語チートの他にも魔力チートもあったようだ。神様ありがとう!
私に魔力がある事がわかれば次は魔力操作だ。しかし異世界物のラノベを読み漁った私に抜かりはない。
(きっと身体全体を巡る魔力の流れを感じるのだわ!)
……そう意気込んでいたけれど。
「ん? 魔力操作? いんや? 別にそんな事せんよ?」
あれれぇ〜? おかしいなぁ……。まあ、全てがラノベ通りな訳ないよね!
ちょっとがっかりしたものの、魔力操作が不要なら、どうやって魔力を魔法に使うんだろう……? 早速私はエドヴァルド様に質問を投げてみた。
「人間には胸の中心に<魂の核>があってな。そこから魔力が生み出されておるんじゃよ。じゃから魔法を使う時は<魂の核>に意識を集中し、そこに貯められている魔力を開放してやるのじゃ。さすれば魔法の詠唱と相まって事象を起こす事が出来るのじゃよ」
──なるほど、この世界では<魂の核>というものが魔力を作る機関なんだ。
「<魂の核>は心と同じじゃ。心の持ちようで魔力が枯れたり暴走する事もある。じゃから、優秀な魔導士は常に平常心を保っておるのじゃよ」
(<魂の核>=心なのか。なら、魔力は感情に左右されやすいのかも……暴走しないように気を付けなきゃね……)
魔力操作が必要なかったので、早々に魔法の実技へと移る。ついに私も魔法を使う時が来たのだ!
ちなみにこの世界では本を読んで魔法の詠唱を覚えるのだそうだ。
私がエドヴァルド様から借りたのは初級魔法が載っている、主に子どもたちが使う初心者用の本だ。
ここでも言語チートが役に立ってくれたようで、文字が読めたのは本当に有り難い。
でもどの国の文字も読める訳では無いらしく、この国以外の文字を読む事は出来なかったのはとても残念だった。
でも贅沢を言ったらバチが当たるし、魔法書が読めるだけでも感謝しないとね。
「本に書かれている呪文を覚えるだけでも魔法は発動するんじゃがな。その時に使う属性に関係するものをイメージするのじゃよ。水じゃったら触れた感触に冷たさ、流れていく様などじゃな。そうすれば魔力消費の効率が良くなるんじゃ」
(おお……! なるほど! 記憶力の他にも想像力が必要なのね!)
だからエドヴァルド様は修行のメニューに、敢えてその属性に関するものを触れさせようとしていたんだ。
「水の初級魔法の詠唱はこうじゃ。<我が生命の源よ 清らかなる水となりて 我が手に集い給え アクア=クリエイト>」
エドヴァルド様が腕を伸ばし、手を広げて呪文を詠唱すると、キラキラと光る粒子のようなものが手のひらに集まった。この光るものが魔力なのだろう。
そして魔力がうずまきながら水に変化していく。初級の魔法とは言え、魔法がない世界から来た私にとっては奇跡の御業だ。
「……! す、すごい……!!」
それからエドヴァルド様は手のひらの上でたゆたう水に、更に魔法をかける。
「次は火の初級じゃな。<我が生命の源よ 燃え盛る炎となりて 我が手に集い給え フレイム=スフィア>」
エドヴァルド様が詠唱すると、今度は炎が現れ水を包むように燃えると、蒸気が発生してきた。すると、うずまいていた水が段々お湯になって行くのが見てわかる。加熱された水が沸点に達したのかゴボゴボと泡を立てはじめ、徐々に小さくなって消えていった。
(ほえ〜。水が蒸発して無くなっちゃった……)
水の魔法から火の魔法の連続技に、私は呆気にとられる。
「水と火さえ覚えておけば、どこに行っても生活出来るからのう。野営の時は重宝するぞい」
「野営!? わあ! すごく楽しそうですね!」
私がこの世界に来てから行った事がある場所は、エドヴァルド様が住んでいるこの<隠者の森>だけだ。
ちなみに私が転移したここ<隠者の森>は、エドヴァルド様の領地なのだそうだ。しかも森だけじゃなくて更にその周囲の土地もエドヴァルド様が所有しているらしく、その広大な土地には山や湖もある……と、私はヤースコさんから教えてもらった。
そんなに広い土地を持っていても、エドヴァルド様が管理出来る訳が無いので、自然を壊さないという条件のもと、かなりの低価格で人々に貸し与えているのだそうだ。
だからエドヴァルド様のこの領地は、観光資源が溢れる立地なのに安価な土地代のため、国中から人々が次々と集まってきて、かなり大きな街になりつつあるらしい。
ちなみにヤースコさんが住んでいるベンディクスがその人気の街だ。その内街から都市になるのではないか、と言われている。
「この森の中じゃったら自由に出歩いてもいいんじゃがの、結界の外には出ないようにするのじゃぞ」
エドヴァルド様の言う<結界>とは、<隠者の森>をぐるっと取り囲んでいる巨大な警報装置の様な魔法なのだそうだ。
その結界は害意があるものが侵入すると、その存在を排除するために作られた自立型ゴーレムが起動し、侵入者を追い続けて捕まえるまで活動を停止しないと言う。
私が森に転移してもゴーレムが起動しなかったのは、恐らく私に害意が無かったからだろう。
……この森だって十分広いけれど、せっかく異世界に来たんだったら、色んな国に行って、色んな種族に会ってみたい。
(私が魔法をある程度修得出来れば、他の国にも行けるのかな?)
この世界をもっと詳しく知るためにも、私は一先ず魔法の練習を頑張る事にした。
そして私はエドヴァルド様に教えて貰ったことを思い出し、<魂の核>に意識を集中する。すると、胸の真ん中──身体の奥深くに、何かの存在を感じる。
(この胸の中にある温かいものが魔力……?)
私に<魂の核>があるのかどうか分からなかったけれど、どうやら異世界人にも<魂の核>とやらは存在したらしい。
自分の中に魔力の存在を感じた私は、家事をしている時に感じる水の触感や冷たさをイメージする。
「我が生命の源よ 清らかなる水となりて 我が手に集い給え アクア=クリエイト」
呪文を詠唱すると、胸の奥の更にその先で、魔力が弾けたのがわかった。
すると私の目の前にキラキラした光が集まっていき、徐々に水へと変化していく。
(やった! 出来た!! うわぁー! 何だか感動しちゃうなあ……!!)
私が魔法で出した水は、エドヴァルド様よりも量はかなり少なめだったけれど、初めて魔法を使えた事に、私はすごく興奮した。
「ほうほう、初めてにしては上出来じゃわい。さすがじゃの。これならすぐに他の属性も使えるようになるじゃろうて」
「本当ですか?! 有難うございます! 頑張ります!!」
私の気合が入った返事に、エドヴァルド様がうんうんと満足そうに頷いた。
こうして結果が出るのが目に見えてわかると、俄然やる気が湧いてくる。
この調子でバンバン魔法を覚えるぞ!
次は火の魔法だ! とワクワクしながらエドヴァルド様の指示を待つ。だけどエドヴァルド様は座ったままで何も言わない。
あれ? と思ってエドヴァルド様の側へ。すると……。
「あ、寝てる」
エドヴァルド様はまたもや座ったまま「すぴーすぴー」と、健やかに寝息を立てていたのだった。