突然現れたシルヴェ……ノイ……何だっけ? もうシルヴィさんでいいか。
そのシルヴィさんを見てヤースコさんと私は驚いたけれど、エドヴァルド様は予めわかっていたらしく、驚いた様子は全く無い。
「最近の宮廷魔術師は作法がなっていないのう」
「これは申し訳ありません。私もまだまだ未熟故、エドヴァルド様には是非王宮にお戻り頂き、ご指導賜りたく存じます」
エドヴァルド様がシルヴィさんを咎めるけれど、シルヴィさんはそれがとても嬉しそう。……怒られて喜ぶ人なのかな?
そんなシルヴィさんに戻って欲しいと言われたエドヴァルド様は一言、
「いやじゃ」
と、即答していた。
そんな、にべなく断られたシルヴィさんだったけど、断られるのは想定内だったのか、特に気にする事無く話し続ける。
「それにしても流石エドヴァルド様ですね。私に気付いていらっしゃったとは。防衛の術式はある程度解除していたのですが」
「ふん! ワシからしたらお前なんぞまだまだひよっこじゃ。簡単にトラップに引っかかりおって」
「……ああ! あの最後の術式はデコイでしたか! これは気付きませんでした!」
「わざとらしい芝居はやめるんじゃな。お主わざと引っかかったのじゃろ? ……で、何をしに来た? 焼き菓子を食いに来たわけではあるまい?」
エドヴァルド様は顔をますます険しくしてシルヴィさんを睨んでいるけれど、シルヴィさんは全く気にしていないみたいでニコニコと師匠を見ている。
「いえ、先日王宮にとある報告が上がりましてね。その報告内容を確認しましたところ、我が敬愛するエドヴァルド様のもとに怪しげな女が転がり込んだと書かれていましたので、居ても立ってもいられなくなりまして。これはどの様な女か自分で見定めようかと思い、馳せ参じた次第です」
(……うわぁ。すっごく喋る人だなぁ。って言うか、怪しげな女って何!? これ報告したのってヤースコさんだよね!? 一体どんな報告したのよ!)
私がヤースコさんをギロリと睨むと、ヤースコさんは顔を真っ青にしてブンブンと首を振っている。
シルヴィさんの話を聞いて、「異議あり!」とツッコもうと思ったけれど、私の言葉は声にならなかった。何故なら凄まじい威圧のようなものに身体が竦み上がってしまったからだ。
(え、え!? 何これ……!? 怖い……!!)
少しでも動いたら、体中を目に見えない槍のようなもので貫かれそうな、そんな生命を脅かすような緊迫した雰囲気の中、地の底から響いてくるような、凄みのある低い声が聞こえてきた。
「……怪しげな女じゃと……? それは誰のことじゃ……? よもや、カティのことを指しているのではあるまいな……?」
声が聞こえた方向へ眼球だけを動かすと、普段のおちゃめな雰囲気からは想像も出来ない程の、憤怒に燃えているエドヴァルド様の顔があった。
(エ、エドヴァルド様?! 何だかすっごく怒ってる?!)
私は美形が本気で怒るとこんなに怖いのだと初めて知った。とにかくすごい迫力だ。
しかもエドヴァルド様の怒りに呼応するように、目に見えない何かにヒビが入っていくような、「ピシッ」という音が部屋中のあちらこちらから聞こえてくる。
「……ぐうっ!! ……うあぁ……っ!!」
何だかこのままだと屋敷が崩れ落ちてしまいそうな、身体が押し潰されてしまいそうな、そんな強力な圧力の中、苦しげな声が聞こえてきた。
その声にハッとした私が思わずそちらの方へ顔を向けると、蹲って苦しそうにしているシルヴィさんの姿があり、その向こうではヤースコさんが泡を吹いて倒れていた。
どうやら私が感じていた威圧は、シルヴィさんへ向けられたものが漏れたものらしく、私の周りはまだ比較的マシな状況だったようだ。
(……っ! ちょ……! 威圧の余波だけでこんなに強力だなんて……っ!)
空間が軋むほどの威圧を叩きつけられているのに、それを耐えていられるシルヴィさんって……かなり凄い人なのかもしれない。
激怒したエドヴァルド様の威圧に、何とか耐えていたシルヴィさんだけれど、ついに限界が来たのかシルヴィさんを守っていたのだろう、目に見えないガラスのようなものが”パキィィィン!!”と音を立てて砕け散った気配がする。
(……これ以上はダメだっ!!)
このままではエドヴァルド様がシルヴィさんに怪我を負わせてしまうと焦った私は、思わずシルヴィさんの前に飛び出していた。
「師匠っ!! ダメですっ!!」
私が叫んだその時、暴風のように荒ぶっていた空気が一瞬で静まった。
「……ぶはっ! ごほっごほっ……っ、はあ、はあ、はあ……っ!」
強烈な威圧に息が出来なかったのか、シルヴィさんが咳き込み、酸素を取り入れようと必死に呼吸する。どうやら身体は大丈夫のようだ。
エドヴァルド様の方はどうだろうと私が視線を向けると、ビクッとエドヴァルド様が体を震わせた。どうやら悪いことをしたという自覚はあるらしい。
「……師匠?」
いつもより低めの声でエドヴァルド様を呼ぶ。するとエドヴァルド様は視線をあちこちに彷徨わせ、両手の指を組んだり離したりとせわしなく動かしている。
「……その、ついな、カティを侮辱されて、その……つい頭に血が上ったと言うか何と言うか……」
初めて逢った時の威厳ある雰囲気は何処へやら。萎縮したエドヴァルド様は随分小さく見える。
「師匠、私は別に怒っていませんよ。すごく驚いたし、怖かったというのはありますが。でも師匠はギリギリのところで威圧を止めてくれていましたよね? だから私の認識は『生意気な子供に躾をしているお爺ちゃん』です……ちょっと次元が違いますけど」
私が苦笑いを浮かべながらそう言うと、エドヴァルド様が「本当に怒っておらんのか?」と窺うように聞いてきた。
ぷるぷると震えながら恐る恐る尋ねてくる生まれたての子鹿のようなその姿に、世界中から敬われている大魔導師という威厳は全く無い。
……むしろ私の方がか弱い老人をいじめているみたいではないか。
「もう怒っていませんよ」
私の言葉に、怯えていたエドヴァルド様がほっと安堵の溜息を漏らす。そうしてやっといつもの穏やかな雰囲気に戻ったかな、と思っていると、私の後ろでブツブツと呟く声が。
「まさか……エドヴァルド様の怒りを、ああも簡単に……って言うか、子供……? この私を、子供扱い……だと……? この小さい少女が……?」
エドヴァルド様に怒られた事と、私の例えにショックを受けたのか、座り込んだまま表情が抜け落ちた顔で、独り言を呟いているシルヴィさんの姿は軽くホラーである。
「……えっと、シルヴィノネン様? でしたっけ? 何か用事があったみたいですが、今日はもう帰られた方がよろしいかと……」
何となく厄介そうな人だし、ヤースコさんも気をつけろ的な事を言ってくれていたから、このどさくさに紛れてさり気なく帰宅を促してみる。
「エドヴァルド様っ! 教えて下さいっ! このおん……彼女は一体何者なのですか!? エドヴァルド様にとってどういう存在なのですかっ!!」
シルヴィさんがエドヴァルド様に縋り付くように問いただす。って言うか、今「この女」って言いかけたな……? もしかして懲りてない?
「カティはカティじゃ。それ以外の何者でもないわい」
……相変わらずエドヴァルド様の中では私はカティさんのままなんだ。いつかエドヴァルド様に「ケイコ」と呼ばれる日は来るのだろうか……。
「その『カティ』って何者ですか!? 彼女の名前は『ケイコ』だと報告されていました! それに、先程の威圧を無効化したのは一体……!?」
エドヴァルド様より先にシルヴィさんに本名を言われてしまった。って、この人日本語名の発音上手いな!
いやいや、気になるのはそこじゃなくて、威圧の無効化って何? エドヴァルド様が威圧を止めたんじゃないの?
「何じゃ、お主はカティを知らんのか? お主の二代前辺りの師団長にキャスリーンという名の者がいたじゃろう?」
エドヴァルド様からキャスリーンという名前を聞いたシルヴィさんがハッとする。
「……まさか……その、キャスリーンという方は……!」
シルヴィさんが何かに思い当たったようだ。……で、二人は何のお話をしているのかな?
そんな私の疑問は、エドヴァルド様の衝撃的な言葉で解消される。
「そうじゃ。キャスリーンのあだ名がカティじゃ。このカティはお前と同じ魔術師団長だったんじゃ。彼女はお前の先輩じゃよ」