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第7話 Blood and feces

夕刻、小学校のチャイムが鳴っている。

校庭はがらんと静まり返り子供たちの姿はない。

用務員の男は一度見回りを終えると用務員室に戻り腰を下ろした。

この学校は至って普通で穏やかだ。

なんの問題もない。

用務員室奥にあるキッチンで湯を沸かすとお茶を入れた。

これから夜間から朝までが男の時間である。

その後、交代の職員が来るが小学校に泥棒が入るということはない。

湯のみを持ちモニターの前に座る。

時間つぶしの動画が流れ始めると男はごろりと横になった。

狼のような声を聞いたのは夢の中だったのか。

男はハッと目を覚ました、時計は丑三うしみつつ時を指している。

顔を両手でこすって体を起こすとモニターの電源を落とした。

靴を履いて用務員室を出る。

廊下に面しているドアから灯りがこぼれて、それ以外は真っ暗だった。

男は懐中電灯を手にゆっくりと歩き出す。

この学校は三階まである。

三棟がコの字型に繋がっており、ルート的には奥まで進んだら階段を上がり廊下を進む、そして突き当たったらまた階段を上がる。

上まで登り終えたら今度は同じことを下りでやる。

二重のチェックになるので見落としはない。

小学校といえどセキュリティは万全である。

いたるところに監視カメラがあり、実際は用務員の見回りなど必要とはしていないはずだ。

しかし無くならないのは、いつの間にか入り込んだ子供や不審者のためでもある。

コツコツと靴を鳴らして廊下を進む。

今日はやけに空気が気持ちが悪いと男は感じていた。

変な夢を見たからだろうか?

懐中電灯を教室のほうへ向けて中を確認する。

扉は施錠せじょうされているため、窓から光を差し込むと中は無人だ。

一つ一つ同じ作業をして廊下を突き当たると階段を上がった。

最上階、廊下に出て先を照らした時、異常に暗い気がした。

学校というのは陽が入るように設計されている。

外からの光は差し込んでくるのだ。

懐中電灯を前に出して、廊下奥の異常に暗い部分を照らした。

しかし黒は黒のままでなにも映し出さない。

男は目をしばたかせて一歩前に踏み出す。

その時、風の音のように廊下を高く響く音が進んできた。

男を通り抜けて後ろへと走っていく。

『なんだ?』

犬の遠吠えのような、けれどどこか違うような。

もう一度同じ音が聞こえた。

今度は目の前から男に向かって飛んでくる。

鼓膜がビリビリとした気がした。

男は片方の耳を押さえて懐中電灯を前に出す。

光は円を描いて広がり、その中央の闇を照らした。

動物の足だ。

黒い毛の前足が見える。

『いや・・・まてよ。おかしいぞ。戸締りはしてあるから外からは入れない。』

そう、夕方に男は子供たちが去った校舎を見回りしている。

誰も何も存在するはずがない。

ふと懐中電灯を持つ手が震えていた。

口元で歯がカチカチ音を立てている。

何だ?

怖いのか?

まさか?

頭は恐怖を感じていなかった。

しかし体は正直だ。

男が一歩後ずさりした時、暗闇の中の黒い獣の手がすっと消えた。

『え?』

男は顔を上げた。

何故上げたのかは理解していなかった。

目の前にある口を開けた何かを見て、ああ、喰われる。とそれだけを思った。



夜明け前、緊急ダイアルに男の悲鳴が届いた。

恐怖にひきつった声がモニターの前にいた数人に共有される。

昨日から軍のバックアップもありスタッフたちは緊張していた。

『大丈夫ですか?落ち着いてください。』

『助けて!廊下中!廊下中、血が!!』

混乱しているのか激しい息遣いが続いている。

『現在地を確認しました。今そちらに向かっています。できれば安全な場所へ移動してください。聞こえますか?』

オペレーターの声に電話口の男は何度も頷いているようだった。

『だ、だ・・・だ、だいじょ・・・。』

『・・・?どうしました?』

モニターのスピーカーから、鈍い音と何かがぶつかる音が響いた。

耳をすませていると何かが歩く音だ。

廊下を歩いているはずなのにやけに静かで、でもかすかにカツンと聞こえてくる。

オペレーターは黙ったまま両手を挙げた。

何か危険な状況になっている可能性がある。

音を立ててはいけない。

モニターの右端のランプが点灯する。

レスキューが近くまで来ている。

オペレーターは両手を祈るように組むと額をつけた。



レスキューが学校へ到着した頃、少し空はしらんでいた。

まだ人々は眠り、覚める頃だ。

レスキューは学校の門を開くと用務員室に入った。

中のモニターを確認する。

丁度最上階の端のカメラからいくつか壊れている。

急ぎ現場に向かうが、レスキューに同行していた軍服がそれを止めた。

『待て、何かおかしい。』

二階への階段をゆっくり上がっていたがレスキュー達も異変に気付いた。

異常な獣の臭いだ。

血と糞尿が混じっている。

全員が防護マスクをすると二階の廊下を覗き見た。

何もいる気配はない。

ないが強い刺激臭が防護マスクを超えてやってきた。

『くさい・・・。』

周りを確認しながら階段を上がる。

階段の踊り場が見えると大きな姿見の前に何かが立っている。

レスキューたちが、それが人であると認識するには少し時間がかかった。

まるで科学実験室に置かれている人体模型のように見えたからだ。

それは鏡にもたれていた。

ほんの少し呼吸があり生きているのがわかったが、触れることができないため、レスキューの一人が急いでレスキュー車へ戻って行った。

『大丈夫ですか?』

小さな呼吸を繰り返すその人に聞こえる声で囁く。

ぎょろりとした目玉がレスキューを見る。

その意味が何を示すのかはわからない。

ふと軍服が鏡の端に何かが映るのに気付いて、ピストルを構えると振り返った。

階段の一番上、大きな黒い猿のようなものが手に何かを持っている。

ヒラヒラと動かしているそれは人間の皮膚だ。

おそらくここにいる人の皮膚。

大きな黒い猿は両手でそれを持つともてあそぶ。

そしてくるりと踵を返すと行ってしまった。

軍服は自分がピストルをかまえているのに撃つ事も出来ず、目の前で起こっている出来事に真っ白になっていた。

あんなもの見たことない。

存在するのか?

今まで戦場では人を殺してきた。

なのに恐怖で震えている。

隣にいたレスキュー隊長は同じくテーザー銃を構えていたが、口をあんぐりと開けていた。

そこからだらしなく舌がべろりとたれている。

『おい!』

軍服が彼に触れるとその場に崩れ落ちた。


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